今回まで、思い出を語らせて下さい。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

昼間、声優・谷口節(たかし)さんの死を悼む記事を、書きました。

いつまでも悲しみにふけっているわけには行かないのですが、そ

れでも今日だけは、いつものように気軽なうんちく、雑学話を書く気

にはなれません。


ということで、今回だけは、昼に続いて故人となった谷口さんの思い

出を、語らせて下さい。


ある試合に、若いメンバーが遅刻しそうになりました。ぎりぎりの時間、

彼はタラタラ歩いておりました。その彼に谷口さんが言ったのは、


「ああいう時、山科ちゃんなら、手前まではタラタラ歩いてても、見える

所からは絶対に息切らして走ってくるよ。そうするとね、皆芝居だとわ

かっててもつい許したくなっちゃうんだよ。そういうのって、結構人の

運命を作用するから、気を付けた方が良いな」


ということでした。まあ、私は、笑うしかなかったですが。


また、一度私は、試合を前日断りの連絡を入れずに欠場してしまった

ことがあるのです。本当に一度だけ。私は、仮病を使って、留守電に

詫びを入れました。すると、


「また、山科ちゃんの言い訳が、延々長いんだ。二日酔いでこれなかっ

たと言えば、5秒なのに」


ええ、何もかもばればれですね。


シリアスな話も、いたします。チームに入ったばかりの時、風の強い日

がありました。こういう時、砂を上に撒いてみて、風向きを確かめるという

旧式の方法がありまして、私はそれをやったのですが、その日の強風

は巻いていて、どうにも癖がつかめません。


すると後ろから「今日はそれ、無理だよ。皆で声を出して、随時確認し合

おう」と、声をかけてくれました。私は、こんなに真剣に好きな野球に没頭

できるなんて、幸せだなと、しみじみ認識したのを、覚えています。


私は、子供の頃の夢だったプロ野球選手(というか中日ドラゴンズの選手)

にははるか遠くなれませんでしたが、色んなチームの助っ人に行って活躍

したおかげで人脈が広がり、それが仕事にもつながったことがあります。


また、「週刊小説」という実業之日本社から出ている小説誌に、野球ミステリ

ー(官能も含まれましたが)のシリーズを準レギュラーで書かせてもらって

いたこともありました。


つまり、野球が私の人生をどれだけ助けてくれたか、わからないのです。

その野球で鍛えてくれた谷口さんは、まさに恩人でした。


また、谷口さんは、「物事がうまくいかない時、原因を他人に求めるより、

自分に求めた方が楽なんだよ。自分に求めれば、解決方法が見えてくる

から、ストレスをためる前に行動したくなるんだ」と、よく言っていました。

最近、そのことを、つくづく実感する機会が増えました。


霊界の存在は、今もう、科学でもほぼ証明されつつあります。丹波哲郎さ

んが生前語っていたようなことは、エジソンやニュートン、アインシュタイン

も語っていたことが明らかになっています。


従って谷口さんは、存在が無になったのではなく、別な世界にそれこそ

行かれたわけです。

そして私も昼間、「一つの時代が終わってしまった」と、書きました。そうで

す。終わったのはあくまで、一つの時代です。明日からまた私の中で、新し

い時代を作ります。そう自分に言い聞かせ、元気に行きたいと思います。


あくまで、明日から。