日本の賭博対策の歴史 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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我が国の歴史の中では、数多くの禁止令が出されておりますが、中で

も最も多かったのは、「賭博禁止令」ではないかと思われます。


たとえば、鎌倉時代を見ますと、1225年から1261年までの37年間

に、10回出されています。これは、江戸時代に14回出された「混浴禁

止令」同様、守られなかったからだと思われます。


もっとも、堂々と破られ、お上も取り締まりに腰が引けていた江戸の「混浴

禁止令」とは違ってこちらは、しっかり刑罰を加えていたし、破る側も隠れ

てやっていたようですが。


刑罰の内容ですが、基本的には島流し。しかしその程度によっては、もっ

と厳しくなります。胴元ともなりますと、指切り、中には鼻をそがれるという

グロテスクなケースもあったそうです。


それまでの時代においては、杖打ち100回が基本で、五位以上の貴族に

なると、解任の上、所領没収となりました。


ところが、少し様子が変わったのが、江戸時代です。刑罰は、賭博の胴元

となると流罪。悪質さの程度で、死罪になった例もありますが、単なる賭博

者は家財没収か3~5貫文の罰金でした。


比較的、軽くなったと思われます。そのせいもあってか、賭け事自体は、こ

の時代、それまで以上に流行ったそうです。一方で、幕府の取り締まり方、

目の光らせ方は厳しく、検挙件数は結構な数に上ったといいます。


これは、どういうことか。私が思うには、経済対策があったと見るのです。徴収

した罰金なり財産は、幕府の財源になります。


従って、刑罰を軽くすることによって、気持ち的に出来心を起こしやすい状況

を作り、捜査を厳しくする。そうして検挙件数を増やすことによって、財源を

増やす。そんな意図が、お上にあったのだと、私は思うのです。


えー、昨日は記事にした通り、何も手につかない一日となってしまいましたが、

これも記事に書いた通り、今日は気持ちを切り替えて、元気に行こうと思います。