忍者出身の言葉だからこそ重みがある世阿弥の「時節感当」という名言。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

室町時代の能楽者、というより能の神様といって良い世阿弥の言葉に

「時節感当」というのがあります。


能の舞台には、「橋がかり」と呼ばれるものがあります。これは後に歌舞伎

の世界でもアレンジして作られ、「花道」と呼ばれるものに発展していきま

す。と言えばわかりやすいでしょう。


ただ能の場合、楽屋と舞台が直接この橋がかりと結ばれていて、この橋

がかりを通って役者は舞台へ出て行くのが基本でした。楽屋と橋がかり

との間には幕があるので、客席から楽屋は、勿論見えません。


幕が上がって、役者が観客から見えます。観客の心も、役者の心も高ま

ります。そんな中、役者は声を出すタイミングを見極めるのです。観客と

自分(役者)。両者が一体となれる瞬間、これを世阿弥は「時節」と呼ん

だのでした。


この時節を読める役者が一流で、また的確に読むことを「感当」と彼は

言いました。


「これ諸人の心を受けて声を出だす」、世阿弥はそんな風にも表現して

いますが、彼の場合、それを能や役者の世界だけにとどめず、世の中

の全てのことに当てはめているのが特徴です。


時節とは、タイミングです。物事は内容も大事だが、タイミングや「間」

は同じくらい大事だと言っているのです。


よく使われている「空気を読む」という言葉。これは少々拡大解釈されて

いて好きじゃありません。空気にも良い空気と悪い空気があって、悪い

空気に無理に従うのはまずいだろう。そう言いたいわけです。


ただそれも、「空気を読めているけど、無視したり逆らったりする」のと

「空気を読めない」は違うわけでして、やはり「空気を読める力」は必要

なのでしょう。それに、逆らうにしても、タイミングは大事ですね。


これらは当たり前のことではあるのですが、ただ世阿弥という人、父親

の観阿弥と共に、伊賀の忍者の出身です。そして足利3代将軍の義満

に寵愛されたわけですが、その時諜報活動、いわば隠密の仕事もして

いたと思われます。


つまり、能役者としてだけじゃなく、人間として、百戦錬磨だったのです。

そんな人物の言葉だからこそ、重みがあるのです。


彼は義満の死後、佐渡に流されますが、脱走に成功するなど波乱万丈

な人生を送りますが、その辺については、スペース的に今日はどうやっ

ても足りませんので、いずれ近いうちに私見をたっぷりと述べようと思い

ます。