最もスピリチュアルで妖しい戦、壬申の乱 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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額田王という、才色兼備の妖女がおりました。彼女は、万葉歌人である

と同時に、優秀な巫女でもあり、占いや気功術など、スピリチュアルな才能

を随所に発揮します。


恋愛においてもその力は及び、天智天皇と大海人皇子という兄弟を同時

にとりこにし、兄弟も二股を知りながら納得ずくで彼女を愛し続ける。という

ほど魅力的だったのです。


しかし兄の天智天皇が死んだ後、その息子の大友皇子は、皇位継承の

ライバル大海人皇子の命を狙いにかかります。大海人皇子もそれを受けて

立ち、始まった戦が、かの有名な「壬申の乱」でした。


この際、大海人皇子の戦い方には、大きな特徴があります。彼は戦におい

て、式盤という、干支や八卦、そして星座などが書き込まれた、今でいえば

ルーレットのような形と仕組みをしたものを、利用していました。


これによって、方位や日時を占い戦法を決める。要するに、占いです。これは

単なるくじ引きやコインを投げて○×を決めるなどという、主体性を放棄し

たものとは違いました。大海人皇子自体が、額田王仕込みのスピリチュアル

な力を持っていたからこそ、出来た業であり、それが悉く当たったのでした。


あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る


これは額田王の、万葉集における特に人気の高い歌です。表向きは、「私に

ばかり夢中になっていると、足元をすくわれますよ」という意味ですが、実際

には、「今は焦らず、世をあざむき、機会をうかがうのです」というアドバイス

が含まれていました。つまり、床の中でも額田王は、スピリチュアルな力を

大海人皇子に伝授していたことが、うかがえるのです。


かくして大海人皇子は、壬申の乱に勝利し、天武天皇となりました。尚、「天皇」

という言葉を使ったのは、この天武が最初だったと思われます。それまでは、

「大王(おおきみ)」と呼ばれていたようです。