「や、今年もまたすごい」
化学室の奥、半分僕の執務室となりかけているそこに彼はいる。骨だけの身軽な姿の彼は、この時期だけは少し体が重たそうだ。
いつのころからか、化学準備室に置いてある骨格標本に願い事を書いた短冊をぶら下げると僕に願いをかなえてもらえる、などと言う噂がまことしやかに生徒たちの間で流れている。七夕伝説を真似たようなその噂のせいか、毎年七夕の季節になると骨格標本の肋骨には短冊がゆらゆらと揺れる、と言う訳だ。
「叶うかどうかは、謎ですけどねぇ…」
噂が噂を呼んで、最初は数枚だけだった短冊は今や鈴なり状態だ。噂が流れ始めた頃は、少し面白がっていた僕もさすがにこうなってくると少し困ったことだなと思う。毎年生徒たちは卒業と入学を繰り返し、3年たてば入れ替わっている状態だから噂もそのうち消えていくだろうと高をくくっていたのがこのありさまだ。さて、どうしたものか。
とはいえ、その生徒たちの願い事をコッソリと見れるという特権はなかなか捨てがたく。この時期だけでも準備室に鍵をかけて生徒たちの立ち入りを制限してしまえばいいという教頭先生の案はいまだに実行されないままだ。
ひらひらと揺れる短冊の多くは学園生活に関するものが多い。ぴらり、と一枚手に取ってみる。
『成績が上がりますように』
噂では願い事を叶えるのが教師である僕、という設定になっているから、やはり成績に関するものが大多数を占めている。化学の成績が上がりますように、とか、○○大学に合格しますように、など。
そして実名記入が多いのもこの手の願い事が書いてある短冊の特徴だ。
「君たちがそう願うなら、僕も叶うように手を貸しますよ」
小さく呟きながら、次の短冊に手を伸ばす。
『○○くんともっと仲良くなれますように』
恋愛に関するものもやっぱり多くて。記名されているものはそう多くはないけれど、やっぱりお年頃の生徒たちにとっては恋愛問題は結構重要らしく。
「うん、先生も君の恋が叶うように祈ってますね」
それぞれの胸に秘めた想いが良い結果を迎えるように、とそっと呟いた。
その他少数にはなかなか面白い願い事も紛れていて。
『極まろメロンパンが買えますように』
うん、それは先生も一緒です。
『アナスタシアのケーキ全制覇したい!』
…お腹を壊さないようにね?
『今年こそインターハイ出場!』
頑張って!
『俺はビッグになる!』
楽しみにしてます。
クスクスと零れる笑みをかみ殺しながら、ぱらりぱらりと一枚ずつ短冊を手に取っていて、ふと一枚の短冊で手が止まった。それは遠慮するように端の方にかけられていて、その少し丸みを帯びた字には見覚えがあった。
そこに書かれていた願い事を読み、僕は少し思案して紙を一枚取り出す。それを細長く切って短冊状にして、黒ペンで文字を書き込んだ。そして遠慮がちに欠けられたその短冊の横に、僕の書いた短冊を並べてつるした。
「…これでよし。そろそろ仕事に戻りますか」
ふうっと息をついて、僕は化学準備室を後にした。
人気のなくなった化学準備室、骨格標本にかけられた願い事は…。
――若王子先生がいつも笑顔でありますように。
――君の心がいつも晴れやかでありますように。