ブログを御覧いただきありがとうございます。津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
「現状維持」
「進化もしない退化もしない」
言葉とは不思議だ。
響きひとつで良い印象にもなるし、悪い印象にもなる。
最近この事にとても関心があるのは音を商売にしているからだろうか。
眼からの情報だけではなく肌からの情報、耳からの情報を使って伝わる事もあるんだという事がとても面白いと感じる今日この頃。
さて、前述の「現状維持」「進化もしない退化もしない」なんですけど、これにあてはまる事にわたくし関わってます。
あんまり発展しすぎても困る事っていうのもあるし、発展する方向性を間違う事なんていっぱいあるわけです。
盛り上がってるという事と興味関心を持たれてるという事も似ているようで本当は違います。
あと注目を集めてるなんてのも似てますが、よくよく状況を想像して考えると違う事が分かってきます。
なんでよく似た様を表す言葉がふたつ、みっつとあるのかというと、中身が似て非なるものだから分かれているんでしょうね。
言葉を作ったひとって賢いです。
そういう事に気が付いていたということです。
未来の人々へも通じるかどうかは考えていなかったとは思いますが、核心をついた言葉(響き)を思いついたもんだと尊敬してます。
時代背景によって言葉は変わります。
現状維持って今は良い場面で使われる事が多いか、悪い場面で使われる事が多いか、どっちでしょう。
もっと砕いた表現「進化もしない退化もしない」の進化と退化はどう思うでしょうか。
人間は暮せば暮らすほど衰えに直面する時があります。
その時に「維持する」ことの大切さと難しさを思い知る事になります。
現状維持、という言葉は悪い言葉でしょうか。
進化する事はすべてにおいて優れる事ではありません。
進化したがために絶滅した生き物たちは山のようにいます。
なぜそんな進化を長い時間をかけて行ってきたのか?
絶滅するために進化してきたのでしょうか?
進化する事をやめた道具もあります。
便利さを追求して気が付いたのです。
これであの文化財と同じものは作れない。
軽さ、強度、さまざまにあれこれ工夫して最初の形に戻る。
進化させたものを退化させる事で文化財に迫るクオリティの高い工芸品を作る事もできたりします。
前進したいという気持ち、発展させたいという気持ちは無くてはならないでしょう。
先日もちょっと記事中に書いたのですが、津軽三味線にほかの弦楽器の要素が加わりつつあるような事に触れました。
わたしもやった事あるんです。
知ってる人はよく知ってるんですが、子供の頃からわが家は楽器に触る事に関して寛容でした。
小学校高学年から中学生のあたりはバンドブームで、その頃にわたしもエレキギターが欲しくて買ってもらいました。
三味線の稽古よりギターの練習の方が熱心でした。
三味線を持つと民謡を弾かずにHR/HM(←ググってください)を弾いたりしてました。
今でも寝室にはCDがあります。
たまに息子殿はそれらを持って聴いているらしく、かれこれ40年以上前の作品が今も熱狂的なファンを生み続けている事に驚く事があります。
Youtube先生で年老いたミュージシャンが今でもパワー溢れたパフォーマンスをしている姿が見れます。
年老いたなりの工夫があちこちにありますが、年老いた事を観客は気になんてしてません。
そのミュージシャンが好きなんです。
このくだりは「変えない」という事の素晴らしさと「変わらない」という事の難しさという意味をあらわしてると思うんです。
ちょっと速弾きなんてのにかぶれた時期もありました。
ギターでよく使う事を三味線で、なんて事もやりましたけど…かっこよくなかったんですよ。
わたし以外の人がやればかっこよかったのかもしれませんが、わたしはかっこいいとは思えませんでした。
津軽三味線は津軽三味線なんだからそれがかっこいいのであって、他にもかっこいい楽器があったとしてもそれは違う楽器なんですよ。
バイオリンもヴィオラもカッコいいからどっちも混ぜてやっちゃえばいいんじゃない?って事ではないんですよ。
例えが単純すぎて変かもしれませんが、進化と変化を求められる事も一緒です。
「なんかこう、盛り上がるような事ってできないですかね」って…考えが浅はかすぎて情けなくなる時もありますよ。はい。
世の中には変えてほしい事ってたくさんあります。
去年と一緒っていうのを悪く感じるのも仕方ないです。
でもね、去年と同じ事・先月と同じ事・先週と同じ事・昨日と同じ事・1分前と同じ事を出来るってすごい事なんですよ。
ああ、難しい。
お稽古がんばりましょう。