ブログを御覧いただきありがとうございます。津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
教えるという場面はいろんなところでありますよね。
教えずに盗め、という世界がお稽古ごとには当たり前のようにありました。
当たり前のようにあった時代は演奏者は少なかったです。
少なかったので、一部の演奏者はすごく儲かりました。
引っ張りだこ、という言葉そのままの状態で条件の良いところを自由に選べるような時代だったようです。
さて、今はというと、盗めという時代は終わり教えるという時代になりました。
人を育てることで業界・世界が成熟していく事に気付いたんです。
また教える事で関わる人が増えます。
人が増えればそこに商売が生まれます。
一部の人だけで回しているより、多くの人がいた方がものがたくさん動きます。
そうなる事でどんどん成熟していき、成熟は発展を生み、どんどんと新しい世界・業界を作り出していきます。
しかし、教えるという事はそう簡単に出来ることではありません。
教えるという前に必要なのが教わるという事でして、教えを受ける側の姿勢が大事になります。
人の話を聞き、理解し、身に着けるように努めるのかどうかが大事になります。
また教わる人の話が理解できない事もあります。
その人の話し方や説明の仕方が理解できない事があります。
その人の教える頻度が少ない事もあるでしょう。
ひとってみんな神様になれる才能を持って生まれているんですが、天才じゃないんですよ。
一発で物事を覚えられる天才はこの世にそんなにたくさんいません。
ほぼすべての人がすぐに覚えられるのではなく、紆余曲折ありながら、気の遠くなるほどの回数を重ね、経験を重ねて覚えていきます。
愚直こそ宝、という言葉が稽古の世界にはありますが、正しいことを正しく何度も繰り返すだけで神業まで昇華させることが出来ます。
ミクロンという単位で物を作る職人が日本の町工場にはいるわけですが、どれだけその作業を繰り返したんでしょうかね。
人とは人知外の努力をする事で神に近づく能力を持っているんです。
ただ、人知外の努力・回数の想像がつきません。
想像のつかない状態で繰り返していくのは苦痛です。
苦痛を和らげたいので教えを乞うわけですが、教えてくれる人の素質がどうであるかが大事になってきます。
師匠は選びましょう。
教わる人も教える人の事を査定しないといけません。
この人に習ってて大丈夫かな、と疑っていないといけません。
ですから教える人は教えを乞うためにきた人に応えてあげなくてはなりません。
教えるために必要な条件を伝えなくてはなりません。
わたしはこういう人間だから、こういう風になった時は見限るよ。
わたしはこういう人間だから、こういう準備はしてね。
わたしはこういう人間だから、こう言われたらこう動いてね。
教材や参考にするのはコレだからよく見てね。
分からなくなったら聞いてね。
こういった感じで相手に伝えるべきです。
仕事がやりやすいか、やりにくいかを人のせいにする人が多いですが、多くは自分の問題も抱えています。
多いのは連絡不足、相談不足、会話不足です。
仕事の成果についてぐだぐだと言いたくなるのも理解できるのですが、そういう話をしている自分自身もうまく働いてくれない相手もそう変わってなかったりする事例はたくさん見て来てます。
人間ってそんなものだから、教える側の人も教わる側の人を見限るわけです。
ですから、教わる側の人も師匠をよく見て信じられる人かどうか判断して、師匠を見限る必要があるんです。
見限る事が出来ないのであれば、話し合わなくてはなりませんよね。
現在、重造会の中で盛り上がっているのがコンクール初挑戦でして、複数人の生徒さんが来年ですが出場を夢見てお稽古に励んでいます。
わたしはこういう人間ですので、恥をかかせないように教える事に努力します。
わたしは恥をかくのは嫌な人間ですので、世間のみんなも同じだと思ってます。
中には平気なひともいるでしょうが、そういう人は稀有な存在です。
だから恥をかかせないためにはどうしたらよいか常に考えてお稽古をつけています。
審査項目も調べます。
審査員がどんな目線で演奏を評価しているのかも調べます。
曲の傾向や好みなども審査員の顔ぶれなどで判断するような姑息な攻略法も考えてます。
順位が下より上の方が嬉しいものです。
自分が予想しているより良い結果が得られた時は喜びます。
そうだと思っている人間がわたしなので、生徒さんが少しでも上位に入るように考えます。
決して「よい師匠」ではありません。
出来ない事はやりませんし、出来そうにない事もやらない人間です。
教えの中にもそういう姿勢が出てくる時があります。
成功率の低いフレーズは使わないように、というのはそういう考え方から出てくるものです。
ミスは減点です。
簡単すぎる話なのですが、意外と皆さん成功を夢見て当日の演奏に挑む人が多いです。
大会って奇跡が起きる場所じゃありません。
実力は目減りしますし、自由に動けなくなる場所です。
ミスして当たり前の場所なので、最初からミスの発生する事はしちゃいけないんです。
こういう話をするとなんか機械的なお稽古する人だな、と思われるんですが、この考え方って特に特殊な考え方じゃないと思うんです。
利益を追求し、そこで働く人を豊かにする使命があるのが会社だと思います。
おそらくどこの会社も理念というものがあるのであればそう謳われているはずです。
経営者や管理職という人間は企業の利益の追求と、社員や従業員の生活を守り、豊かにできるように努めなくてはなりません。
失敗を未然に防ぎ、失敗を可能な限りしない、させないために努力する事が使命になります。
その中で妙だな、という事があれば会社を、社長を、管理職を見限る事も必要になってきます。
当然、見限られる事も起きます。
会社の方針に反発心をおぼえる時もあるでしょう。
仕事を覚えて、理解し、より仕事を安全、確実、迅速にこなせるように努力をしなくてはなりませんし、上に立つ人間はそれを助けてあげなくては会社の発展はありません。
最後にものを動かすのは人なので、企業は人なり、と言葉を残した経営者もいます。
人が会社から教えを受け、または教えを乞い、それを実践してさらに良いものへと昇華させる循環が出来れば、会社は自然と伸びていきます。
上に立つものは道しるべを指さし、掛け声をかけ、もし部下が疲れているなら手を差し伸べて引っ張り続ける困難も引き受けなくてはならないでしょう。
下についたものはおんぶにだっこではいけませんし、可能な限り上に立つものが目標を見失わないように支えなくてはならないでしょう。
起きる事が予想できる失敗は起こさせてはなりませんし、よく見ていれば分かると教えもせず放っておくなんてのはもってのほかです。
お互いに支えあって初めて成り立つもの・・・だと思うんですが、理想的な会社ってのもなかなか存在しませんよね。あはは。
ちなみの話ですが、わたしの場合は教える事で収入になります。
会社は違いますよね。
人材募集にお金をかけます。
集まった人間にはお給料を払わなくてはなりません。
その人が育たなければ大きな損失です。
大きな損失にならないための努力と呼ばれる教育支援法を企業内で作り上げる事が必要になるので、とりわけ人事部に関わる人って大変になるんですよ。
管理職もそうですよね。
会社って大変だ、あっはっは。
さて、そんな感じで話が長くなってしまいましたが、教えるという事は非常に大事で難しい事です。
教える、教わる、双方の立場からよくよく考えてお稽古に取り組みましょう。
ではまた。