そもそも | 津軽三味線奏者 佐藤壽治の徒然日記

津軽三味線奏者 佐藤壽治の徒然日記

主に佐藤壽治の日記、重造会の活動など紹介。

宣伝活動、演奏やお稽古について書くこともありますが、大半は日々気が付いた事を書いています。

余計な記事は読みたくない方もいるとは思いますが、お付きあいよろしくお願い致しますm(_ _)m

普段、教室で生徒さんになるべく分かりやすいように教えているつもりなのですが、『実際は違うんだよね』とどうしても思ってしまうことがあります。

第一に来るのは譜面の小節。
合いそうで合わないのが津軽民謡です。

伴奏楽器は後付けのものであり、三味線を演奏出来た人も「とりあえず唄ってくれたらついていくから」と伴奏していたからであります。

天才的な閃きで撥さばきなるものが生まれ、それがたまたま五線譜の世界でいうところの「小節」にぴったんこ来たもので譜面に「小節」を取り入れたのでしょうが、昔の名人たちが作ったフレーズには当てはまるものと当てはまらないものが存在します。

代表的な手のなかで(かまし)と呼ばれるもの自体が半小節で一つの手として使われています。
ですから、『5回にしよう』とか簡単に決めていると妙なことになります。



注:ここからはだんだん津軽三味線を嗜む人にしか分からなくなってきます。



妙なこと・・・これも撥さばきが「小節」にぴったんこ収まるようになっているせいでもあります。

『小節の頭に前撥が来ていたものが、小節のおしりの方に前撥が来た(°□°;)』

このパターンにやたら悩む人が多いですが、それは仕方ないんです。
そもそもズレるんですから。
ズレているからそのフレーズは活きてくるんです。

この辺りの感覚がなかなか伝わりません。
どうしたらよいものやら・・・




昔々のお話しですが、秋田民謡界の重鎮「浅野梅若」先生という人と、民謡三味線界の重鎮「藤本琇丈」先生という人が対談したそうです。 

その時に藤本琇丈先生がある曲のことを指摘したことがあります。

さっきまでのお話しと同じような内容で『小節にうまいことおさまらない』という旨の話をしたそうです。

すると浅野梅若先生が「それを変えると秋田民謡にならないんだよ」と答えたそうです。

昔からみなさんあれこれ考えていたんですね(´ー`)






『説明のつかないルール』が地方の唄にはあり、それを直してしまうと活きてこなくなってしまうんですよね(´~`)

なーんか説明するいい方法はないですかね?
永遠のテーマです。