2ちゃんねるの最盛期とその影響について | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

これまで、順を追ってボクの中学や高校の頃を通して、ネットのことなどを書いてきましたが、今回はもっと最近の2005年頃のことを書こうと思います。


その頃、ボクは大学生でした。

卒業に必要な単位をどうにかとり終えて、授業も後は卒業論文やゼミを残すだけになり、空いた時間と、これからどうしていこうかと考えていたところです。


もともとあまり企業に就職する気もなかった上に、大学院へいって研究したいテーマがあるわけでもなく、ただ漠然と何かが作れる、書ける人間になりたいという他には方向性も見つかりませんでした。その結果、こうして今でもずるずると家の厄介になっているわけですが、2ちゃんねるにはじめて書き込んだのは、ちょうどそんなもやもやしていた時期だったのです。


それまでにも2ちゃんには、「ROM専」としてときどき見にはいっていたのですが、その日はとくにいつも見ていたスレッドが面白くて、釣られてとうとう書き込んでしまったわけです。

すると運良くというか、ボクが書き込んだスレの人たちは案外みんな親切で、その板に居ついている常連の人たちも多かったため、おかげでそれからもいく度に色々と教えてもらうことができました。これは、今でもボクは感謝しているんですが、きちんと場の空気を呼んで、相談をすると案外親身になってアドバイスをくれる人は、2ちゃんだけでなくネットでは多いように思います。


さて、当時の2ちゃんねるは今と比べて非常に賑やかな場所でした。利用者はおよそ800万人といわれ、一日の書き込み量も多く、ちょっとしたニュースでも次々にスレッドが消費されていくような状態です。

さらに、この前後にちょうどあの「電車男」がブームになったこともあって、2ちゃんの評価が世間でも少しずつ変わりはじめていたのもこの頃でした。


2ちゃんねるが舞台になったり、そこに立ったスレッドが作品化されたものには「電車男」の後にも、映画化されることになった「ブラック企業に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」や、講談社から発売された「姉ちゃんの詩集」などがありますし、2ちゃんのネタから影響を受けた作品には「ヘタリア」などが大ヒットしました。


そういった中で、2ちゃんねるは相変わらず現実では「アングラ」なものとされながら、ネタの宝庫やネットでのブームの火付け役としても評価されはじめたのは、むしろ当然といえるのかも知れません。

これはtwitterのハッシュタグのやり取りなどを見ていても、ネットのあちこちに2ちゃんから生まれた楽しみ方の名残があることから、わかるのではないでしょうか。もっとも、それがすべて2ちゃんのおかげといえば、これはもちろん過大評価かも知れませんが。


今でも2ちゃんはあくまで、書き込んだことを公にいって喜ばれるような場所ではありません。

でも、実際にはかなりの人が一度くらいは書き込んだこともあれば、チェックしている人も多いのではないかと、ボクは思ったりしています。

そういう憶測ができるのも、これはもちろん2ちゃんだからなんですが。


――今回は、少し記事の内容が長くなってしまいましたので、一度ここまでにまとめようと思います。続きもできるだけ早く更新したいと思いますので、よろしければぜひお付き合いください。


読んでいただき、ありがとうございました。