今回は、前回に続いて2ちゃんねるのことについて、また少し書いてみようと思います。
ボクが2ちゃんにはまったのは、人とやり取りをするのが面白かったことに尽きると思います。
あの当時(2005年頃)も、今でもそうですが、日本では大勢の人間が社会の出来事とか、あるいは趣味のことについて、自由に参加して話し合える場所や機会というのは、ほとんどありません。
だからこそ、2ちゃんで非常に大勢の人とやり取りができ、身近な相手とでは返ってできないような会話を楽しめる魅力が大きかったように思います。
これは、またいずれ機会があれば書きたいと思っていますが、ボクが2ちゃんねるで話した人には哲学が好きだったり、歴史に詳しい人、あるいは専門職の人も大勢いましたし、そういった人たちと話ができたのはやはり楽しかったし、学ぶこともたくさんありました。
もちろん、いつもそういう人ばかりがいるわけじゃありませんし、スレの流れとか、参加する人によって、良スレにも糞スレにもなるように、どんな人が集まるかが結局はすべてのような気がしますが、それが上手くいったときには本当に面白い話ができるのが2ちゃんという場所だと思います。
さて、こうして考えてみると、2ちゃんねるのように匿名であれだけの規模の掲示板が長年続いているのは、世界的に見てもかなりめずらしいことではないでしょうか。
運営は一応存在しますが、ほとんどはボランティアによる有志が行っていますし、板ごとの住み分けができている。
それは、ああいった匿名の掲示板が、日本人の気質にあっていたからだと思います。では、匿名というスタイルがどうして日本に適していたのかと考えてみると、これにもきちんと理由があるように思うのです。
以前からボクは、ひょっとしたら今の日本は江戸時代の文化に近いことろがあるのではないかと、考えています。といっても、けして江戸の文化にそこまで詳しいというわけではないのですが。でもやはり、江戸の文化、とくに町民の文化とネットはどこかに親和性があるのではないかと思います。
例えば、江戸の町ではそのときどきの権力者や世相を風刺した狂歌や、下ネタの多い川柳が大いに流行したといわれています。おそらく、歴史の授業などで聞いたことのある方もいるでしょうが
・太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず
(蒸気船の来航で混乱する幕府を風刺したもの)
・白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
(松平定信―白河楽翁公―の改革を批判して、田沼意次の時代のがまだ良かったのにというもの)
といった有名な狂歌をはじめ(諸説はあるかと思いますが)、ほとんどの作品は作者不詳の匿名で発表されたものが、そのまま残っています。これが、今ならアスキーアートだとか、面白いコピペのようなものになっているのだとと考えてみると、なかなか日本人のやっていることは昔と変わらないように思えて、非常に面白い気がします。といっても、あくまではボクの想像でしかありませんけれど。
今でも、2ちゃんの書き込みに「匿名のまま好きなことを書くのは卑怯だ」とか「直接本人にいえばいい」という批判をする人は、かなりいるように思います。匿名の無責任、ということを考えたら確かにその通りでしょうが、反対に匿名の批判がいけないとなると、今度はあまり面白い意見も出てこなくなってしまうと思います。そこに制限をかけてしまうと、現実とは違う場所だから好きなことがいえる、というネットの利点そのものが消えてしまうわけですから。
ただし、これはもうすでに過去はそうだったという話になってしまっているのかも知れません。
度々、twitterやブログで起きている炎上のようなことも、あれが2ちゃんねるの中での話であれば、匿名性のために見逃されていた可能性は高かったと思います。
ですが、ネットが拡大していくに連れて、ネットが社会にもたらす情報の効果も強くなってきましたし、それがまたビジネスにも影響を与えるようになったことは、最近の「食べログ」ですとか、ステルスマーケティングの事件からもうかがえます。そういった意味では、ネットの利用にもまた今までと違う注意が必要になってきたのは確かでしょう。
おそらくこれからはむしろ2ちゃんねるを含めて、ネットの法規制などはむしろ進んでいくのではないでしょうか。
ボクも、けして2ちゃんねるそのものがすべて良かったとも、またいいとも思いません。ですが、確かに一つの時代性の反映であったとはいえると思うのです。
おそらく、何回かに分けてまた書くことになるかと思いますが、よろしければお付き合いください。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
これで、ボクとネット、そして2ちゃんねるについての触りは、いくらか書き終わりました。
そこで次回は、もしもまとめることができたら、今度はよくネットでいわれている「ネットウヨク」というものについて、これまでに私が関わり、そして考えたことを少し書いてみたいと思います。