2000年頃のネットと秋葉原のことなど | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

たくさんのコメントをいただいて、本当にありがとうございます。

返信はあまりできないかも知れませんが、すべて読ませていただいています。


今回はこの前に引き続いて、また少しネットのことや、それから若干ボクの高校時代のことなども書かせていただこうかと思います。内容にネットのことが必ずしも多くはありませんが、よろしければお読みください。


中学の授業ですっかりパソコン嫌いになったボクは、高校に入ってからもやはりパソコンは苦手なままでした。


ボクの高校では期末ごとの通知表が10段階の評価で、ここで「3」以下になってしまうと赤点扱いになり、二科目以上赤点になった場合には、休みの間に補習を受けないといけないという決まりがありました。

勉強があまり好きでなかったボクは、苦手な物理だとか、生物、英語なんかはいつも赤点ギリギリでしたから、たまに中間試験で35点以下だったりしたときには、もうこれはノートの提出とか、期末テストでどうにか挽回するしかないと、最後まで気が抜けません。テストの返却のときなんかはもう、心臓がずっとドキドキしてました。そのせいか、赤点をとって困っている夢を今でも見たりすることがあります。


パソコンを使う情報の授業もその苦手な科目で、やはりよく赤点をとりそうになって、レポートを出したり、先生に課題を出して、どうにか補習だけは免除されていました。セル計算とか、簡単なパソコンの用語とか、そういったものでも興味を持たないと本当に覚えられないと、つくづく思います。

ですから、いまだにボクはパソコンの基礎機能やアプリケーションソフトはほとんど使えないままなんですけれど。


一方、高校生くらいにもなると、パソコンが好きというクラスメイトもだんだん増えてきて、ボクの友達にもやはり何人かパソコンが得意で、アニメが好きというのがいました。

その中に一人、もうずっとパソコンの話しばかりしているのがいて、よく秋葉原のわけのわからない路地裏にあるパソコンショップを連れ回されたりもしました。


当時の秋葉原は、確か2000年ぐらいのことですが、同人誌のショップや、アニメグッズの店がだいぶ増えて来て、ちょうど電気街からオタク街への過渡期にあったでしょうか。

よく路地裏でフリーマーケットのようにパーツや部品を売っている露店が出ていたり、小さなビルの中にいくつも中古のパソコンショップがあったりして、まだどことなく怪しげな雰囲気があったように思います。

実をいうと、その頃からボクはもうほとんど秋葉原にはいっていません。

どちらかといえば、高校の頃から秋葉原よりも、となりの神保町やお茶の水の界隈の方が好きな学生でした。

秋葉原のジャンクパーツや、パソコンショップを見るのがとにかく好きなやつと、ボクみたいに古本に囲まれてる方が落ち着くのが仲良くなるのも不思議かも知れませんが、人と人の関係は案外そんなものじゃないかと思います。


彼のパソコン好きはとにかく徹底していて、修学旅行にまでノートパソコンをわざわざ持ってきて、夜には部屋で友達を集めてパソゲーをしていたくらいです。そのときのことですが、ボクは彼にはじめて、当時ネットで流行っていたMAD動画を見せてもらいました。


今はニコニコ動画で、様々な動画を自由に見ることができますが、当時はFlashアニメの全盛期で、個人サイトやFlashアニメの掲示板に投稿して見たい人に見てもらう、というのが主流だったそうです。


また、ネット掲示板の「2ちゃんねる」についてはじめて聞いたのもこの頃でした。「アニメやゲームの情報が色々集まっている」というので、当時家に一台だけあった家族共有のwindowsMeのノートパソコンを使って、興味本位のままどうにか入り口まではいったのですが、そのトップ画像がまた、当時はいかにも怪しげなものでしたから、中へ入る勇気も出ずに何度もそこで引き返して、結局入れないでそのときは終わってしまいました。


この当時の2ちゃんねるで代表的な騒ぎといえば、田代祭りだったといわれています。これは2001年に逮捕されたタレントの田代まさし氏を、米国タイム誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選んで表紙にしようと2ちゃんねるで大規模な投票の呼びかけが行われ、そして本当にネット上の投票では、様々なツールなども使用された結果、田代まさしが一位になるという現象が起きてしまったものです(もちろん、この結果はタイム誌上では反映されませんでしたが)。



とはいえ、こういった悪ふざけが社会的に評価を受けることはもちろんなく、それよりはむしろテレビで報道されたような、「犯罪予告に使用される掲示板」、「荒らしや迷惑行為が横行している場所」というネガティブなイメージが、それからもしばらくの間ついてまわるようになったのは、仕方のないことだといえるかも知れません。ただし、2ちゃんねるではそういった世間の評価すら、ある種のネタとして楽しんでいたようですが。


ネットは現実の社会と切り離された場所だから好きなことがいえる。


その結果2ちゃんねるを中心に、この時期から積み重ねられた膨大な情報のやり取りの中には、学問的なものもあれば、社会問題の真剣な討論もあったはずでした。しかし、そのネガティブなイメージに覆い隠されるように、いまだに、そしておそらくはこれからも正当な評価を受ける日は来ないと思います。そういったものもまた、何でもいえるネットの産物に過ぎないのですから、けして世間一般とイコールになることはありません。


表の社会と、裏のネットという構造は、このあたりがもっとも明確に現れていた時代だったといえば、おそらくそれが正しいのでしょう。


さて、高校を卒業すると、ボクのパソコン生活にもまた転機が訪れました。ボクの大学ではパソコンの授業が必修になっていたため、大学に入ると必ず学生はパソコンを一台自前で用意しなくてはならなかったのです。

ですが、ボクは性能などもよくわかりませんから、結局家で一番パソコンに詳しかった父が買ってきてくれたシャープのmebiusが、はじめての専用パソコンになりました。



さて、最後に余談ですが、ボクを秋葉原に連れて行ったパソコン好きの友達はその後、大学で情報技術を専攻し、卒業後は大手のコンピューター関連会社に就職したそうです。

昨年になってから一度、若手のIT分野のホープとして業界紙に取り上げられている彼の写真とインタヴューを見ましたが、一緒に騒いでいた高校時代のことが頭に浮かんで、それがなんだかすごく最近のことのように思うのに、人の付き合いも関係も、こうして次第に変わっていくのだなと、友達の活躍が嬉しい反面で、寂しい気がしたのも覚えています。


それでは、今日はここまでに。

呼んでいただき、ありがとうございました。