忘れないことが供養 | 巡禮記(じゅんれいき)

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聖地先達がお届けする満たされるくらし

こんにちは!

巡禮記の松本育子です。



巡禮記のお参り先達の仕事を通して

本当にたくさんの、
人のドラマ《現実創造》に
出逢わせてもらっています。


今日はそんなドラマの一コマでもある
「供養」の姿勢について。。。


亡くなった方々への供養は、


「忘れないことが供養」
「あなたが幸せに生きることが供養」


と、巡禮記ではお伝えしています。


 
形式の供養の前に、
とても大切なことだから、


それを知って安堵して心が軽くなったり
あったかい気持ちで故人を想えたりする!と
喜んでもらえています。

 


さて、その「忘れないことが供養」だけど、


忘れないのは一体
何を忘れないことなのでしょう?




死んでしまった人と
生きている人をつなぐのは、


変わらない時の止まったままの
【記憶】
だと思われがちですが、


【記憶】というのは生きています。
生きているから変わっていくんですね。
 

亡くなった人たちとあなたを結ぶ
その【記憶】は、


ずっと意識のなかで
生まれ変わり続けて、成長し、
どんどん輪郭を変えていきながら


呼吸している生き物のように
あなたと共にあります。


亡くなってしまった妹さん、弟さん
お姉さん、お兄さん
娘さん、息子さん、
おかあさん、おとうさん、
おじいちゃん、おばあちゃん、
おじさん、おばさん、いとこのお兄さんお姉さん
大好きだった友達、先生、大切な人。。。


その面影を心の中にとどめながら
この世を 懸命に生きているあなたは、
生きているから当然、新陳代謝して
身体も心も魂も 生成化育  変化しています。


そしておなじく、あなたの記憶も
新陳代謝して、変化しているんです。


だけど、よく誤解をされてしまうのが、


生きてる自分は変化するのに、
【記憶】の中の亡くなった人たちは
時が止まったままなのだと。。。


まるで額装された固まった絵のように
勝手に感じてしまう、ということ。


あの人は肉体を無くして こころも、
考え方も、魂も当時のままで
成長も時も止まっているのに、


自分だけ、生きて
どんどん変化していると誤解してしまって、


そのズレに不安や怖さや、
罪悪感や葛藤が出てきたりする。。。


亡くなった人たちの魂に
もう してあげられることはないのか、
このままでいいのか?わからなくなり、


忘れてしまうことへの罪悪感が出てきたり、


【記憶】の中のその人を
超えてはいけないのではないか、
置いてけぼりにしてはいけないのではないか


という怖さも 
ふいに得体の知れぬ形でやってきたり。


そんな声も時々お聞きします。


双子のお姉ちゃんが亡くなり、
生き残った妹さんが
自分だけ幸せになっていいのか  
ふと怖くなったり、


亡くなったおじいちゃんの頑なな教えを
もう守らないで自分らしく生きたいけれど、


背いてしまうことが供養にならなかったら
悲しませるかな、応援してもらえないかなと
不安になったり。


当時の事情で過去に水子さんになった
赤ちゃんがいて、
今の子どもたちを愛して育てているのに
どこかで産めなかった罪悪感がつきまとって
ずっとこころが幸せに向けなかったり、


自分だけ、生きてるものだけが幸せでいいの?と
後ろめたさが遺っていたり。


そういうことは、
日常に実際すごくたくさんあるケースなのだと
みなさんのお話を聞いていて感じています。


まず、心からあったかい供養をしてゆくには


どうぞ、誤解を解いて


亡くなった人たちと自分を結ぶその【記憶】も
自分たちと同じように変化していることを
感じてみてほしいと思うんです。


肉体はなくても、ともに魂は成長しているし
【記憶】という結び目 は新陳代謝していて、
 常にあなたとの新たな関係性が生まれています。


何度も、何度も、呼吸をするように、
今、生きているあなたの望む
幸せのあり方に沿うように、


【記憶】は結び直ししている、と
考えてみてください。


その人を当時の肉体の記憶で捉えていても
どんどん呼吸とともに霧のようにモヤが
かかってしまうこともあれば、


繰り返し同じ印象の記憶だけが
鮮明に現れることもありますが、


その印象も関係性も、
魂の世界はナマモノですから
生きている私たちと共に
どんどん変わっていって自然なんです。
 

あなたが、供養していこうと思うほどに
大切な人の魂たちなのだから、


「忘れないのが供養」の
忘れない」のは、


あなたを縛る頑なな教えそのものでもなく、


恨みでもなく、悲痛さや不幸さでもなく、


亡くなった無念さでもなく、罪の意識でもなく、


苦しみの連鎖でもなく、


背負う家系の重圧でもなく、比較でもなくて、



忘れないのは、


「あなたがいてくれて わたしがいること」

「存在してくれたこと、出会ってくれたことを

自分なりに生きる応援に変えていくこと」


そのご縁を

「自分なりに嬉しいものにしてしていくこと」


「今もずっと、魂として共にあり

お互いに成長して変わり続けながら

あなたの生を励まし、応援してくれている

あったかい存在だと信じていること。」


忘れないことが供養、の
忘れないのは、そこなんです。



巡禮記で出会う参加者さんの後ろの方々は


亡くなったご先祖さまや 
あらゆるご縁ゆかりの方々なのだけど


「魂の再生」がテーマの
ご供養をしっかりしてゆく熊野ツアーの後には、
その後ろの方々から生きた参加者さんたちへ
ご感想みたいなのが届いていたりします。


わたしには、それは木々の葉ずれの音のように
風が重なり合うように伝わるんだけど


その時に伝わる、
それぞれの生きてる方への想いは


とってもあったかくて、感謝にあふれていて、


人の想いがむすぶその【記憶】の結び目が
供養を通して
ふわりと優しく脈打つものになっています。


ああ、記憶は生きているんだなぁと
感じる瞬間です。


その声はこんなふうです。


あなたが生きて出会うさまざまなチャレンジや
豊かさや、新しいふれあいや、よろこび、
たくさんのチャンス、可能性に どうか
心軽く向かって行けますように。

 
心の鎖になっているものを  外して緩めて
わだかまり  許して、許されて、溶かして 
この子が素直に 生きて行けますように。


大丈夫だよ、しんぱいしないでいてね。
いっぱい笑って生きてくれますように。

 
たくさん愛し合って 
この子たちが思い切り生きられるように。


やりたいことを やんちゃのままでいいから、
たのしんで生きられるように そばにいたい。


この子がこれから出会うご縁すべてに
よろしくお願いします。


こんなメッセージがたくさん重なって伝わります。


あなたの【生きる】に、
こんなにも見えない応援があること
そのことを、
忘れないことが供養なのだと伝えてくれます。
巡禮記 松本育子

 

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