供養って | 巡禮記(じゅんれいき)

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聖地先達がお届けする満たされるくらし

「供養」 


供養っていうと しなきゃ
ご先祖さまが 祟るかもしれないからとか、
バチがあたるんじゃない?とか


そういう不安や怖さ、 
世間一般の不明確な習慣のままに 
従っていることも多いと思います。 


供養なんてほんとに必要なの? 
そんな重いのはもういらない!! 
そんな声もちらほら聞こえてきます。 
それも時代的に自然な声かもしれません。 




でも、すこし、落ち着いて 
先入観を取っ払って、
「供養」ってなにかを感じてみませんか。 


供養ってなんだろう???

先祖供養ってイメージが
どうも重い?!

今ここにアンカリングできて
肚がくくれる素敵な要素だとしたら?!





供養に限らず、 
ひとの霊性というのは、本来、 
こうあるべき、と決めつけたり 
怖さで枠固められてしまったり 
特別視したりするものではありません。 


供養は亡くなった人たちのことを想って 
手を合わせたり、念仏やお経をあげたり、 
陰膳をしたり。。という行動面に
クローズアップされがちですが、 



その根本は、なんの決めつけもない
「人が人を想うこと」「つながりを感じること」
という、人の霊性そのものであり 
シンプルなこころのあり方です。 




先祖に守ってもらうとか、
お願いしたら何かいいことがある、うまくいく
というのも、供養の目的ではなくて、 

自分の生につながる過去の縁を(認めて許して)
肯定していけると 


他力のおかげさまの幸せも感じやすく 
つながりによる様々な目に見えないサインも 
キャッチしやすいので、そういったことが 
結果的についてくる姿勢になります。



ふと、亡くなった「おばあちゃん」 
のことを思うのも供養。 

自分の事業において大元の創業をされた方を
想って、自分の仕事について 
改めて考えてみるのも、供養。 


そんな風に考えると 
敷居が低くなるのではないでしょうか。 



難しく考えなくても 
人として生きている自分のつながり、 
自分という意識の拡がりのなかにあるものです。




「供養は自分の幸せをみていただいて 
共に喜ぶこと。」

「自分が幸せになることが供養」

巡禮記ではそうお伝えしていて
それは誰もが、心身に負担なく恐れなく、
互いにうれしい生命の方向を向いています。 



供養しなくちゃいけない、とか 
めんどくさいからなんもしない、とか 
そういうDO的な事が先立つと 、
せっかくのいのちの繋がりが
しんどく重くなってしまいますもんね。





先祖ならば、 
自分の生につながるまでの縁故の人たち。

誰ひとり欠けても、誰ひとり生き方が違っても
今の自分は生まれてこなかったわけだから

ご先祖様って生命をつないできたという
ラッキーの力を持ってるんです。 


たとえ血が繋がっていなくても、
「あなたがいてくれてよかった」
そう感じる人たちはみんな大きく先祖だと
わたしは思います。 



供養は、それを生きる応援として
活かしていける考え方です。


具体的にどう活かすのかわからなくても、 
ご神仏にお参りに行くと、 
祈り願ったことを一緒に叶えようとして
聴いておられるし、 
共に喜ぼうと、だんだんと 
ちからを貸してくださいます。 


ときには、ふ、と目につく 
小さな石ころになったり 
吹いてくる風になったり… 

偶然を引き起こすあらゆる現象になって、
背中を押してメッセージもくださるようです。

そうして、本人が会うべき人のところへ 
導いてくれたりもします。 



 
もしも、わたしたちが、
生まれてきて嬉しい! やったー!
ありがとう!幸せ!が 
はらの底から湧いてくる体験をすると、 

見えない縁の拡がりのその先っぽの方にまで、 
その嬉しい!の波動が届きます。 


前にも後ろにも。。。
先祖にも子孫にも今の幸せの光が届きます。 


それが「供養」として先祖代々、
子孫代々にまで 
魂全体を照らしてゆくのだとしたら、
お互いに嬉しくステキなことだと思うのです。 




誰もが応援団を持っています。 
どんな高尚な人もどんな嫌なやつも(笑) 


誰かを見るとき、その人単体だけではなく 
応援団も含めて生きてるんだな、と思えると 
簡単に決めつけられない深みがありますね!



縁がどこでどうつながってゆくか
わからないけれど

ただその時々の人との生の接点を
自分らしく味わえばいいのだなぁと感じます。


だから、供養を身近に感じるほどに
任せるところは任せて軽くなるというか
自分を生きることに集中してゆく感覚が
増します。






「供養は、自分の幸せを 
みていただいて、共に喜ぶこと」 


自分を信頼して、思い切りこの人生で 
自分らしい幸せを見てもらう「供養」を 
してゆきませんか。 



 巡禮記 松本育子 


自分でできる供養を伝えています。
巡禮記のお参りにもぜひいらしてくださいね。

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