以前、僕の東大時代の先輩で現在、広島で塾をされている濱崎亨さんが「苦手な子の80点と得意な子の80点は同じじゃない」というような感じのことを言われていました。
これは、僕もまったくの同感で、指導の現場では、苦手な教科で高得点をとってもらうのは非常に難しいです。そこを踏ん張ってくれて高得点をとってくれた時の歓喜は、筆舌に尽くしがたいものがあります。
つまり、同じ点数でもその中身を考えると、まったく違う側面が見えてきて、むしろ受験はそこに重点をおく方が、長い目で見たときの教育効果は高いものがあるのです。点数など一時的なものに過ぎないし、ある点における通過ポイントでしかないのですが、子供にとっては「意味」があります。
表面的な点数や偏差値にとらわれず、そこをしっかり見てあげられているかどうか、が受験生の親にとっては最も大事なことの一つに思います。
同じように、僕は「時間」に関しても、すべての人が平等に流れているわけではない、という見解を持っています。量子力学では、各人によって時間の流れが本当に違うかもしれない、という見解も出ているのですが、そういうのとはまたちょっと違います(笑)
子供のころの時間というのは、非常に価値的なものです。子供の1年は、その後の人生全体を簡単に向上させることができます。幼ければ幼いほど非常に価値・効果が大きいです。
おっさんになってから、努力は無意味とは言えませんが、子供時代に同じ努力をするほうが、当然に効果が大きいのです。(ただ、老年でもなんらかの努力できる・することに個人的には意味も感じますが)
その子供時代の時間をドブに捨てているような子が多いな、というのが最近の僕の見解です。これはなにも公立中に限ったことではなく、有名進学校の生徒も同様です。
ただ、子供時代というのは、僕自身の中学受験の記憶でも強烈にあるのですが、「遊びたい」ざかりでもあるのです。
幼少期というのは、どんな子でも外で遊んだりゲームしたり、何不自由なく暮らし、我慢することもありません。それが、急激に小4あたりから塾に行き始め、多くのことを我慢することになります。特に今の中学受験は過酷です。
都会ではけっこうな率で中学受験するのでまだ良いでしょうが、うちの地元などは教育熱心な地域とはいえ、中学受験するのはクラスの10%くらいです。他の子はまだ鼻を垂らしている状態で、遊びまくっています。それはそれは、羨ましく映りました。「なんで俺だけがこんなことしとんのかな」と、一緒に遊べない現状をよく嘆いていました。
でも、その他人が羨ましい状態で、過酷な塾通いをし、毎日わからない問題と戦い、中学受験をしていた時間は、実は僕にとって、人生の土台を強固に作ってくれた珠玉の時間でもありました。それに気づいたのは、この仕事を始めて、さらに数年たったころでしょうか。
実際に、東大に行けるまでの基礎学力は中学受験期にすでに土台ができていたとはっきり言えます。僕の場合は特に、中学受験をしていなければ、東大までの学力は絶対に手に入っていません。
環境(進学した中学)がある種の「自我」を芽生えさせました。周りが東大京大を目指す人ばかりの環境は僕にとってはプラスが大きいものでした。
そこで、人生の目標や努力の対象ができ、力強く目標に向かえました。
もちろん、そこで努力を緩めた友人もいるわけで、全員が東大京大に行けているわけではありません。最低限の努力を持続したことが大きくもあります。
中高時代という、努力するのにまた素晴らしく実りの大きい時間を無為に過ごしていくパターンもあります。
中高時代というのは、田舎者の僕らにとっては、カラオケに映画に、友人と遠出したりお泊りしたり、ちょっとデートしたりなど、そういう意味でも誘惑の多い時期でもありました。この時期にそれにかまけ切らず努力するのは、やはりなかなかに難しいです。
僕など、友達と心置きなく遊ぶために、ちょっと前倒しで勉強したり、帰ってから猛烈にやったりしていました。時間を捻出するのも結構苦労した記憶があります。
(ただ、中高時代は、遊びも部活も勉強もやると決めていたので、やり切りました。あれ以上の高校生活は無理ですね)
ここでも、この中高時代の1時間の努力と、20代以降の1時間の努力とは、全く価値・重みが違います。10代であれば、まだ、努力は報われやすく、効果もしやすいし、仮にうまくいかなくても、それは精神的成長になっています。失うものがありません。
そもそも、20代からの勉強では、学歴を変えることはもうできません。大学を受け直すのも、別に良いですが、かなりの回り道になります。30代以降では、努力の形は変えねばいけませんし、家庭の事情や経済的事情で、多くのことを犠牲にしなければ一つの努力の継続も難しいものです。
このようなことを考えると、若者にとって、「今できる努力をする」ことがものすごく人生を好転させることがわかります。受験に本腰を入れない、入らない子も多いのですが、非常に無知で罪深いことをしている面があると思います。
まさに、受験がたった1日過ぎただけでも、もう受験に向けた努力は意味を成さなくなるのです。その限定期間は一種の権利であり、特権です。そこに今の10代はもっと意識を持っていったほうが良いでしょう。
また、先生方や親御さんも常にそのような視点をもって、若者に働きかけるべきでしょう。大人側に、そのような全体的視点や「道」的視点が著しく欠けているのが、最近の10代の問題行動の根本にあると思います。
20代以降、もしくはもっと卑近に中学受験以降や大学受験以降も同様にできること、例えばゲームや各種遊びなどは、後回しにして、今にしかできない努力行動(別に勉強でなくても良いですが)に力を注ぐことに全力を尽くしてみれば良いのにな、といろんな子をみて思います。
10代にしかできない遊びや友情などがあるのも確かです。ただ、別にそのあたりの遊びや習い事なども、しっかりスケジュールさえ管理できれば、意外にいろいろはできるものです。そこは要は「全部しっかりやろう」という気合いでなんとかなります。それを決意すれば良いのです。
僕だって、勉強は猛烈にしながらも、部活は県体まで行けましたし、高校のころは彼女もいたし、友達とカラオケに行くのがたまの楽しみでした。(ただバンドだけはできなかった。だから大学からはそっちへまっしぐら、笑)まあ、いろいろな葛藤があったり、それゆえの苦しみはありましたが、まあ良い思い出です。
そろそろ、小5や国公立志望の高2の方なんかは受験に向かっていくことと思います。受験学年になったら、ひとまず、テレビやユーチューブやゲームなど、いろいろやりたいことはあるとは思います。が、それは受験が終わってからでも思いっきりできること。一旦おいておいても良いのではないでしょうか。
受験学年におけるガチの受験勉強は1年そこそこしかできないのが真実です。まずはその期間限定の努力期間を精一杯駆け抜けてみましょう。それがその後の人生にとっても大きな力となります。10代の皆さんにとって、「今」の時間は非常に重く、貴重な時間を生きています。
厳しい10代の期間を耐え抜き、東大という学歴を得て、もっとも大きな「力」「自由」「時間」「満足感」をゲットしている人間がここにおります。僕の与太話を信じて、まずはできるところから、努力してみてはいかがでしょうか。
時間にも中身があるのです。中身を充実させましょう。
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