努力は足りているか? 才能の限界について | お受験ブルーズ

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現役講師がお受験を通じて世間を眺めています。
大手塾勤務→独立→プロ家庭教師と変わって来ました。(作曲・編曲、戦国シンフォニックメタルバンド「武士メタル~Allegiance Reign~」のベーシストとしても活動しています。どっちも本気です)

 やはり毎年いろんな、それこそ成績が振るわない子から、全国1桁に入るような子を個別かつ、お宅にお邪魔したりして見る機会がありますと、「才能の差」は厳然として感じます。おかげで、パッと数分見ただけで、大体の「この子は偏差値的にはこの辺が限界だろう」みたいな冷徹な観測データが出たりもします。

 最近では、その後の才能の開花ぶりをみる機会も多い(要は長期間の因果が見れている)ので、さらに人間への思慮が深まっている部分もあります。

 僕自身に関しても見解が深まり、さすがに才能はないことはなかったけど、ま、中学受験時点では四谷でせいぜい偏差値56、7くらいの才能であることを自覚しています。一応宿題などはする方ですので、生まれ変わっても、やはりこの程度のところに落ち着くでしょう。この意味でもやはり中高6年間での努力の方が人生を左右します。

 思いますのは、「才能があるが故のダサさ」という部分です。

 ほとんどの子は、僕が「頑張ればこの辺まではいけるな」と思うところの、やや下までしかいけません。僕の指導力がない、と行ってしまえばそれまでなのですが、一番の要因は「僕が思っているほど頑張っていない」ということなのです。

 僕は人生がかかってんだから、テレビも漫画も我慢して必死にやるだろう、という希望的観測をもって他人を見ています。もちろん、自覚のない生徒さんとかもいますので、「この子ならこのくらいは頑張れるだろう」または、頑張ってもらえるように頑張ろう、と個別的個人差を考慮してはいます、が、そこまですらも、できない子が多いです。(もちろん、それ以上突き抜ける子も毎年のようにいますが)

 最近、プロのいわゆる作家と言われる人たちに触れ合う機会がありまして、その人生(かなりお年を召したかたばかり)や生き様に触れる機会がありました。

 やはり、人間というのは、すぐに「努力」を忘れてしまう生き物なんだな、ということを良く感じるのです。プロの作家さんでも貧乏な時代は奮闘しきってすげー作品を生み出しているのに、小金を得、ステータスが出来上がるとその辺でちょっとペースダウンしてしまうのかな、と思います。不摂生がたたり、晩年は身体を壊してしまっている方も多いです。
 まあ、もちろん、それでも僕ら若輩者からすれば突き詰めてやっている方ではありますが。

 受験での天才君たちも同じように、「才能はあるが伸びきらない」ことが多いです。まあ、それでも偏差値60ちょいちょいのところに受かってしまったりして、そこに気づきにくくもなっています。ギリギリの努力でそこの学校なのか、まだ余裕があったけどそこの学校である種妥協したのか、はしっかり考えなければいけないと思います。

 結果として、「才能はそこそこだったけど、努力して昇ってきた」人間に簡単に負けてしまいます。僕の中高時代はもちろん、昇って来た方の人間でしょう。
 いわゆる中途半端な天才は、精神的に弱くプレッシャーにも敏感で、よくわからないプライドばかり持っているので、揺さぶるのが簡単で、勝っていくのは楽な感じがしたこともあります。ま、その後僕もよくわからないプライドを持つ側になったこともあることも白状しておきますが(笑)

 本当の天才はさらに努力を重ねた人たちで、この域に行く人は僕の目算では千人に一人から二人、マジでやべーよこいつ、となる位だと1万人に一人くらいかな、と思います。
 ただ、僕がみているのは単なる受験レースでの天才なので、結果などが数字で分かり易く、ドライな世界であり、そのような場での天才に過ぎません。世の中を変えていく人はそんな所で図れはしないでしょう。


 今日の記事で言いたいことは、凡才でも努力しきれば、十分に天才にだって勝てるよ、ということなのです。むしろ中途半端な天才は、いつかどこかで必ず崩れてくるので、その時にこちらが努力していれば、簡単に勝てるという勝負の側面をお示ししたいのです。つまりはいつも継続的に空気を吸うがごとく当たり前に努力をしていることが大事なのです。気分的に一時的にするそれは、単なる気分転換に過ぎません。

 僕に偏差値60まで行けると言われて、58くらいで終わってしまうのは、やはり努力部分が足りないと思います。それを才能部分の欠損のせいにしているようではまだまだです。純粋に工夫や努力量の問題であることが大半です。小学生でも、必死でやっている子の目は美しく輝きます。そこで分かります。

 また、僕がその可能性を頑なに信じているのに、応え(ようともし)てねえな、と思う時もあります(笑) 大半の子は自分に自信がなく、そんなに無理だと自分で勝手にセルフジャッジをしてしまい、そのに閉じこもるパターンもあるのです。

 天才にかなわないからといって、努力をしなくなるのは、単なる自分への言い訳に過ぎません。結果など関係はありません。プロ的にはアウトですが、努力できたんなら不合格でも極端な話構わないとすら思います。

 僕自身は結果などでなくても、「努力した」という事実を自分の人生に刻み込むためだけに努力をしていて、死ぬまで結果が出なくてもし続ける覚悟をしています。また、それをいつでも教え子に示せるようにしています。
 結果を求めるのは意味がないし、結構苦しいだけなのです。経験から言っても、段階に達すれば、必ず何らかの結果は出ます。
 そういう意味でもこの捉え方は生きる知恵かもしれませんね。

 とりあえず僕の場合のささやかで分かり易い努力として、1年で100冊の読書は今年も無事達成でき、ま、120くらいまでは行きそうです。世界史や最先端サイエンス、ミステリーにSFと今年は多岐にわたって自分の世界を広げることができました。また、いろいろとダメにしそうな、マジでクソな本にも出会いました(笑) ここでは書けませんが、縁ある人には教えますよ、ふふ。

 今年は、作曲の仕事などもあったことを考えれば、ま、よくやったなと思います。音楽に関しても今年は、馴染みのない分野の音楽のアナロジーをたくさんしましたね。それは楽しいので修行部分には入らないですが。実は同人活動の方でも今年は結果が出ています。

 もう僕は来年に向かって動き始めています。勤勉やろ(笑) 来年はこうしたいから、今のうちにこれは読んどいたほうがいい、創っといた方がいい、ベースもしっかり練習しよう(笑)ってな感じです。ま、僕の努力自慢ばかりしてもしょうがないのですが、ま、参考ってことで捉えてくださいね。

 でもこれが、凡才が天才に勝つ唯一の方法なのです。

 ということで、偏差値が5や10足りないくらいで、受験生は手を緩めるべきではありません。そんなくだらないことを考えているうちに、惜しむように勉強をしましょう。やりきれば、何かが見えます。
 みんな同じ24時間での時間の使い方、これだけが勝負の要諦です。死ぬ気でやりましょう。漫画やゲーム、テレビといつでもできることを、今は、している時ではありません。
 
 いつも読んでくださってありがとうございます。



お問い合わせいただいたメールに返信はできていますでしょうか? 迷惑メールとして処理されてしまって届いていないということがたまにあります。僕は1週間の間に必ず返信は行いますので、1週間経ってもこない方はお手数ですがもう一度しっかりタイトルなどもいれて送っていただければと思います。問題集に載っているアドレスの方にだしていただいても構いません。


5年生や受験学年でない方のコンサルも受け付けております。また、遠方の方も交通費さえ頂ければどこにでもいきます。

教え子の医学部留学生がブログをはじめました。医学部にご興味のある方はどうぞご覧になってください。医学部生のきつさや海外生活なんかの赤裸々なところがわかるかもですよ、むふふ。
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