拝殿の右手奥に佇む磐座(いわくら)

向こうに見えるのは能舞台↑

今にも祠(ほこら)の上に落ちてきそうな巨石↑

脇の石段を上がり磐座の裏へ回り込む↑


こっちのほうが落ち着く・・・・・・




兵庫県三木市細川町垂穂にある
御酒(みさか)神社


「三木(みき)」の語源は「御神酒(おみき)」に。

三木市内には
“みさか”と呼ばれる神社が8ヵ所もあり、
そのひとつがこの御酒神社。

境内にある磐座に行きたくて。




イワクラ=磐座(いわくら)

それは自然への畏怖。
古代における“自然(巨石)信仰”の名残。


或いは

“巨石文明(テクノロジー)”の痕跡か。




倒れそうで、倒れない。

なんとか保っている・・・




私は
人が“カミ”を崇め奉りだす以前の時代、

神殿や祭祀場、
後に“神社”というものを建造したり、
そこに“神々”を祀ったり、

仏教で言えば経典や仏像をつくったり、
寺院や塔などを建立したり、

つまり人が、
儀式やしきたりにとらわれだすもっと前、


“自然との調和を大切にしていた頃”
興味があって・・・



私はこれまで各地をめぐり、

さまざまな奇岩や巨石(群)、磐座、遺跡などに
ふれてきました。



数年前に高知県足摺岬近くの山中にある
唐人駄場(とうじんだば)遺跡を訪れたとき、

私は目の前の巨石群を見上げるや否や、
まるで何かが憑依したかのごとく
突然石の山を登りはじめ、、、


気付いたら、
頂上で心地よい風を浴びていました・・・




呆気にとられた弟が撮影  ↑

上からの景色  ↑


幽かな音があって感じられる静寂の中、

言葉では説明しきれない感覚に包まれた私。


震えるほど澄みわたる空気。


なにか“不思議なチカラ”を感じました。






どこまでも深淵なこの世界。

すぐ近くに眠る膨大な神秘。


それに触れることなく、覗こうともせず、

どうして平然と過ごすことができようか。


私にはできない・・・




なのに…


“社会”という窮屈な枠組みの中での自由を語り、

自ら幸せや不幸せを生みだして。


勝手に妄想しては勝手に悩み苦しみ、

なんてもったいない時間を過ごしてるんだろう。



次第に…

嘘にまみれた表面的な社会での出来事より、

私たち人類の誕生秘話、
想像をはるかに超える壮大な物語、

そして、
その過去を決定づける今、これからの未来
興味が湧いていき・・・


二十代半ばを過ぎたあたりから
自然と思考が変わりはじめ、

“真実を知りたい”

そう強く思うようになっていて・・・



私の中で

すでに“心の旅”が始まっていました──





終わりなき旅、

“後戻りする気は毛頭ない”




辛丑 大雪後二日 旅先にて古を懐う
KANAME


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