今晩は ('ー')/
 

今朝、玄関を開けると、
もわっとした熱気とともに
蝉たちの声が一帯に響き渡っていました。

厳しい暑さが続いていますね。
これからさらに猛烈な暑さになるとか…

体調を崩されていませんか?

熱中症にはお気をつけください。



 
“目に見える世界”“目に見えない世界”
 
 
太古の昔、日本列島に存在した
“縄文時代”と呼ばれる時代。

つい最近では、
紀元前の遺跡としては初めてとなる
国の特別史跡「三内丸山遺跡」(青森)を
はじめとした
「北海道・北東北の縄文遺跡群」(全17遺跡)
が世界遺産に登録されたばかり。


ようやくその存在が、その価値が、
再評価されだした…  とみるべきか、

“それ以上調査するな”  …ということなのか、
私個人的には微妙なところではありますが。


今日はその時代、
紀元前に生きた“縄文人”と呼ばれる人たち、
彼らの“精神性”にスポットを当て、

少しだけ覗いてみたいと思います・・・




最初に

縄文人、彼らは“原始人”ではありませんよ!


むしろその逆。

高い知性と精神性を持っていたからこそ、
“必要最小限の暮らし”を意識的に続けられた
(保つことができた)のだと考えられます。

時期で言えば、(地域にもよりますが)
顔に表現がみられる土偶が各地に広まり
だした頃。
祭祀や宗教的儀式が執り行われだした頃。
おおよそ縄文前期の終わり頃
“それまで”保てていただろうと…。



言うまでもなく、当時は、

時間という概念に拘束されることもなければ、
お金というものに振り回されることもなく、

そのため
“仕事”という概念そのものがなく、同時に、
“お金のために働く”という発想も起こり得ず、


また、

土地を所有したり、
必要以上に動物を殺めたり、過剰に蓄えたり、

何かを崇め奉ったり、

敵対したり、

法律や憲法のような
“統一されたルール”をつくったり…等々

その必要性がなく


皆一人ひとりが“自分にできること”をして
日々の暮らしを上手に補い合っていた。



“平和”という概念もなく、

“不自由”という概念もなかったでしょう。


よって
それに対する(解放的意味での)“自由”もなく、

“ストレス”のない(“ストレス”って何?)
“真の自由”の中で豊かに暮らしていた、故に、

“それ以上のテクノロジー”を
求める必要はどこにもなかった。


長い短い、早い遅い、広い狭いのない、
“悠久の時空間”で、

“とき”を過ごしていた・・・



彼らの能力や技術力を、
あえて当時の“科学”と呼ぶなら、

それは“私たちとはまったく異なる科学”
だったはず。
良い悪いではなく、考え方や発想のちがい
と言えばよいでしょうか。


自己に内在する力(超感覚)と、
自然界のエネルギー(仕組み)をうまく融合
させた、
もっと“シンプルなもの”だったと。



彼らは単なる狩猟民族ではなかったのです。

もはや
“縄文文明”と呼んでもいいのでは。




禁止事項約束事の多い学校や職場、
組織や団体ほど、

それだけ
“調和の意識”の乏しい人たちの集まりだと
いうことを示唆しているように、


規則(ルール)が増える、それを喧しく言う、
ということは、
それだけ人の質が低下しているということ。

大道廃れて仁義有り。



文明は、
より機械的に、より派手になっていくことが
“発展”“進化”と思われがちですが、

けっしてそうとは限りません。


何をもって“高度な文明”と呼ぶかはさておき、
物事は“改良”されているようにみえても、
長い目でみると、
実は、“改悪”である場合もあるのです。


その道の達人ほど
舞台の上に塵ひとつ残さないと言われます。

一流の料理人ほど
刃こぼれは少なく調理場はいつも綺麗です。



私は以前、
勉強のため3年間ほど遺跡発掘調査の現場で
作業をしたことがありますが、
(夏と冬は本当に大変でした・・・)

対象が古代の現場だと、出土する遺物は、
基本的に
木製品や石器類や土器類の破片ばかり。

私は
それを“つまらない”とは思いませんでした。


むしろ“素晴らしい”と感じ、
古に想いを馳せながら土を掘り続けました。




今から約16000年以上前の時代。

世界最古の土器や漆も、日本の遺跡から出土
しているようです。
(あくまで出土例なので、それ以前から既に
存在したと思われます)



ところで、

縄文時代は主に言葉だけの文化で、文字は
無かったといわれています …が、


少し見方を変えると、それは、
私たちに読めない(文字として認識できない)
だけで、

土器に施されたその文様・デザイン自体が
文字(ことば/メッセージ)という可能性も
ないとは言い切れません。

もしかしたら、(一部の人たちが)
“文字”だと認めたくないだけということも…



逆に考えれば、

感覚的な能力(以心伝心)に優れ、日常的に
文字を必要とする場面が少なかったから、

或いは、
文字はとても“神聖視されていた”からこそ、
滅多に使用されることはなかった、


さらには、

明らかに機能性を度外視して丹念に作られた
「火焔型土器」のように、器の形それ自体が、
ひとつの“文字”(何かを表す形)であり、

また、文字を超越した何らかの大きな役割や
効果意味(メッセージ性)を宿したものなの
かもしれませんね。
(私たちの想像内に収まるものではないですが)


火焔型土器を目の前で見ましたが、
独特な気配と迫力があり、
技術の高さはもちろんのこと、どう見ても、
ただの器ではありませんでしたよ。



“文字を使用する文明の方が断然進んでいる”

といった、
間違った(古い)見方が、未だに学術の世界を
占領しているのは残念なことです。

とはいえ、
ごく少数の研究者の方々は、以前からその
事実に気付き、理解を深め続けています。
(心強い)


縄文時代の遺物にかぎらず、
世界中で出土している古代文明の物的証拠
その“共通性に対する解釈”を、
一度見直す必要があるように思います。


業界の常識は消費者の非常識…ですから、

“その世界”のど真ん中にい続ける人ほど、
何か大きなものを見失っている気が、
私はします。

既成概念や先入観が邪魔をして…

少し離れて(見る角度を変えて)見てみては。



文字は公に統一されてはいなかったものの、
存在していた(二次的手段として、または
歴史を記録するための手段として存在した)
という可能性は十分にあるかと思います。


それらの一部が、後に、半島や大陸に伝わり、
シュメール文明で使用された楔形文字や、
他の地域で発祥した様々な文字に変化して
いったのではないかと。

世界文明のはじまり(出発点)は、
古代日本列島に興ったこの“縄文文明”
あるのでしょうか。


文明というのは、綺麗に言えば“模倣”、
悪く言えば、
“搾取(奪い合い)”の連鎖で成り立っています。




私たちが想像する以上に、
彼らの暮らしは豊かで、
平穏な日々を送っていたようです。


彼らの暮らしは、
現代の(資本主義、個人主義的な)社会とは
真逆で、

“集団としての(調和の)意識”を保ちながらも、
個の性格や価値観を尊重し合い、

何かを押し付けることはなく、
互いに互いの個性を認め合って生きていた。


自然を破壊して新たに創造するのではなく、
自然と一体となり、

“既に自然が用意してくれている恩恵”
あずかり、
それを有難く、大切に、頂戴していた。


そういう社会。




下ばかりを向いて歩くことはなく、

大空はいつも果てしなく広がり、


“楽しみの種類”は今よりもはるかに多く、

“笑顔”も圧倒的に多かったことでしょう。



無一物だからこそ、
その中に“無尽蔵の創造性”を見出だし、

それを
生活の至る場面に発揮させることができた。


そんな“成熟した文明”だったと言えます。




夜郎自大。

“物質万能社会”に生きるがゆえの錯覚

それは時に恐ろしい高慢を生む。
 

思考の未熟さ、

元々備わる“潜在能力”を養うこともせず、
むしろそうした“超感覚”には懐疑的で、

直感よりも“科学”と呼ばれるもの
(たかだか“人間の常識による科学”)に
依存しっぱなしで…


“すべて科学で解決できる”と思い上がり、

数値化できるもの、
“科学的に”証明されているものだけを信じ、

“理屈”“目に見えるもの”だけにとらわれ…


人の心は数値化できないし、

理屈だけで機能していませんよ。



きっと、
今ほど“ストレス”を感じる時代はない・・・


耐え難い苦しみ悲惨な出来事

未だに続く愚かな争いも含め、

本来、
なくていいことばかり。



これは、
科学技術の発達と増え続ける情報の量にも
比例している気がします。

知識や技術力ばかりが先行し、
心が伴っていない。


例えば、

「SNS」というものがなければ、
SNSによる中傷や、それによる被害は、
起こらなかった。

スマホを手にしなければ、
手持ち無沙汰になり、訳もなく画面を開く
という行為も生まれなかったし、

ずっと誰かに拘束されているかのような感覚
陥ることもなかった。


持つから、それだけ不安になる。
持つから、ストレスが生まれる。

5分もじっとしていられない人は、多い。


知りたくなくても知ってしまう。
見たくなくても見てしまう。

“低俗な情報”を目にする度に溜め息ついて。


(SNSやスマホの存在を、
私は否定しているわけではありません。

私だって思い切り使用しています)



何事も、
便利になった反面、同じだけの不便が生じる。

その“反作用”として、
気付くと心が疲弊していて・・・


今ほど複雑怪奇な世はないかと。





歯止めなき情報の錯綜。

交錯し合う多様な価値観。


枝葉の知識が増えるほど、知恵は貧しく、

“便利”を知るほど“不便”を知る。



いつの世も、“混迷の時代”においては、

思慮深い人ほど生きづらさを感じ、
苦悩が尽きることはない・・・けれど、

そのぶん深い楽しみを味わうことができる。

当然、酒の味もより深いものとなる。



 
さて

縄文時代から弥生時代への移行期に
明確な区切りはありません。
 
後に“弥生人”と呼ばれる渡来人が朝鮮半島や
大陸を経由し、
日本列島に金属器稲作技術(水稲農耕)など
を持ち込んだことが、
弥生時代のはじまりだと言われてきました
…が、
 
稲作は縄文後期~晩期には既に存在していた
といいます。
 
 
 
宮崎正弘著『神武天皇「以前」』が纏める
には、
 
 
(前略)稲作は弥生式の独占物ではなく、
すでに縄文後期から狩猟、漁労、採取と並行
していたことも明らかになってきた。
 
稲作の最も古い遺跡は三千二百年前のものが
発見され、
しかも稲作技術は半島から輸入したのでは
なく遺跡の年代測定で、
むしろ日本から半島へ渡っていた可能性が
高くなった。
 
従来の歴史解釈がひっくりかえりつつある
のだ。」
 
 
 
 
関裕二著『「縄文」の新常識を知れば日本の
謎が解ける』には、
 
 
(前略)「弥生時代」と一つに括ってしまって
いるが、その弥生時代の三分の二の時間は、
縄文的な暮らしを守ろうとする人たちと、
新しい生活を始めた人たちが共存していた
時期だった(後略)
 
 
…とあります。
 
 
 
また、
農耕や金属器の発達が文明社会に及ぼす様々な
影響について触れたあと、
縄文人の才知をこのように表しています。
 
 
「縄文人たちは、技術が無かったから水田稲作
行なわなかったのではない。
農耕の狂気金属器の無謀を
知り抜いていたとしか思えないのである。」
 



科学(物質万能社会)の行き着く果て…


“文明の終焉を知っている者たち”が、
原始の時代にやってきた(戻ってきた)
としか思えません。


また、一部の土偶の格好や雰囲気には、
不思議な違和感が漂います。(私には)

そもそも
あれは“縄文人”(人)なのでしょうか?


彼らは“見たものを作る”  …とするなら、
一体何を目撃していたのでしょう。

その時地球に何が起きていたのでしょう。


彼らは
何を伝えようとしていたのでしょうか。




“歴史は繰り返す”と言われます。

私たちは同じことを繰り返しながらも、
螺旋を描くバネのように、今日までこうして
続いてきている。

それは“進化”というよりも、“変化”

“変化の繰り返し”の中で。



縄文時代と現代とでは、
“目に見えるカタチ”は大きく異なりますし、

“カタチ”というものは
今も絶えず変化し続けています。


しかし、
“目に見えない世界”においては、

彼らの精神性(意識)は、

いまも瑞々しく、
ずっとそこにあり続けていて・・・




離れるほど、近づいていく。


進むほど、戻っていく。



そのように感じます。




私たちは、いま、

古くも新しくもない秘境へ、

帰ろうとしているのだと・・・




ここまでお読みいただき
ありがとうございました(^.^)ノ
 



追記:

2018年のちょうど今頃、
東京国立博物館で開催された特別展、
『縄文』~1万年の美の鼓動~
に何度か足を運びました。

それまで写真でしか見たことがなかった
遺物(名品の数々)を目にし、
その静かな迫力とエネルギー、独特の美に、
思わず息を呑んでしまった私。

その時の記憶を辿りながら・・・


今日のこの記事は、
私が数年前に備忘録としてまとめたものを
再構成し、
今日の気分と今日の言葉で
新たにここに記したものです。


2021.08.02
KANAME


 
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