今晩は (´_ゝ`)


昨日の記事
に引き続き・・・

今日も、『易経』について、
その後半部分をお話したいと思います。



もしまだお読みでない方は、

お時間あるときに、
先に前半をお読みいただいてから、
こちらの記事をお読みくだされば幸いです。

それでは
どうぞ宜しくお願い致します(^.^)





■ 易と宇宙観


元々『易経』
(ここでは、その原型となる二篇「経」)には、

「陰」「陽」という言葉は出てきません。


陰陽が取り上げられるようになるのは、
後にその「経」の解説書としてつくられた
十篇「伝」「十翼」以後のこと。

それまでは、
陰陽は「柔」「剛」で示されていました。


やがて「陰陽説」というものが誕生し、
それがに取り入れられ、

柔剛は陰陽となり、
より高度に発達していきます。


恐らく、陰陽のほうが理解しやすく
柔剛をも内包する利便性に富んだ言葉だった
からでしょう。



前半でも述べましたが、

は、光と影、生と死など、
二つの気(性質)を表した言葉であり、


けっして
どちらが良いとか悪いとかを問うものでは
ありません。ふたつでひとつ。

二つの気は同時に存在し、同時に消え、
同時に生まれます。



この陰陽思想を吸収した易は、
やがて五行思想も取り込みます。
(五行についての説明は、
ここでは割愛させていただきます) 

この五行のはたらきを踏まえて、
宇宙万物の生成の原理を図式化したものに

『太極図』があります。
(はっきりとした作者は不明/下図参照)


 

画像引用:Wikipedia


私たちが目にする太極図☯️とは、ずいぶんと
ちがいますね ↑
この太極図が源流にあります。


この太極図の説明を、
『太極図説』として初めて文献に著したのが、
北宋時代の儒学者、周敦頤(1017-1073)です。

彼はこの他、
『太極図説』に基づく道徳論を述べた
『通書』(易通)を著しています。



余談ですが、

一般的に周敦頤(しゅうとんい)の名は、
花を人になぞらえて表現したことで有名な
『愛蓮説』などの作品で知られています。

都の人々が牡丹に夢中になるなか、
彼自身は蓮の花をこよなく愛しました。



『太極図説』は字数にしてわずか250字程の
文ではありますが、彼はそのなかで、

陰陽五行
さらに道教の宇宙観を取り入れたものを、
易における宇宙論として図式化し、

儒教の解釈によって説いています。


それは、

非物質的な無極から太極が生じ、
太極から陰陽が生じ、
陰陽から五行が生じたとするものでした。





■ 無極


道教では、
太極の前段階に「無極」をおきます。

太極が“有る”ということは、
太極が“無い”状態(無極)が、
最初にあったと考えるからです。

太極は無極から生まれたのだと。


一方、周敦頤は、
太極=無極であるとしました。

つまり表裏一体であるというのです。



この喩えが適切かどうかわかりませんが、
コインの裏表のような関係でしょうか。

しかしながら、

そこにコインが“有る”ということは、
元々そこにコインは“無い”(かもしれない)
ということの示唆にもなってしまいます。

「有る」に対する「無い」。


では、“有る”も“無い”も無い状態
つまりコインという存在そのものが無い状態
とは?

それは「絶対無」です。

道教がいう「無極」とは、この絶対無のこと
なのでしょうか。



絶対無は根源的なものであり、

まったく何も無いからこそ、
そこには
ありとあらゆるものを無限に生み出す働きが
存在する…

無一物中無尽蔵



このあたりは、どうしても終着点なき論議に
陥ってしまうため、何とも解釈が難しい。

ここまでいくと、
もはや言葉にとらわれすぎの気もしないでも
ないような…


ですが、先哲たちがそうしたように、
考える時間、
アプローチする行為、姿勢は大事です。



このように、

「太極」については、諸家によって様々な
見解があり、
これが正解という決まったものはありません。

しかし、
太極を第一義とみなすのは明らかなようです。
 




■ 理気哲学


周敦頤の説を継承し、
さらに深化させた人物がいます。


南宋の儒学者、朱熹(1130‐1200)です。
“朱子”の名(尊称)でも知られるように、
後に朱子学の創始者として尊ばれます。

彼の著書、『周易本義』 十二巻、
『易学啓蒙』 四巻は、
易について述べた大作とされています。


また、
友人の呂祖謙と共に編纂した『近思録』
(北宋代の四人の儒学者の著書から抜粋して編纂した
宋学の入門書)のなかには、

“無極にして太極”という言葉が出てきます。


これは、無極は太極の前段階ではなく、
太極の一状態と捉えたものです。


そして、この太極こそ“理”であるとし、
陰陽によって生じた五行(木・火・土・金・水)
相互作用で万物が生成されると説いています。

すなわち太極を「理」の根源とし、
そこから生成される万物の多様性を「気」
として表します。

これは「理気哲学」と呼ばれていて、
周敦頤に学んだ北宋の儒学者、
程頤(ていい)が立てた「理気二元論」
はじまります。



「理」「形而上(けいじじょう)
(形をもっていないもの/超自然的なもの)の
存在のことで、

「気」「形而下(けいじか)
(時間・空間の中に形をそなえているもの)の
存在とされます。


「理」のあるところには必ず「気」があり、
「気」のあるところには必ず「理」がある。

「理」からすべてが生まれ出るというもの。



朱熹は程頤の学説を受け継ぎ、さらにこれを
「理気一体」(理気一元論)として考え、
それを世に広めました。

故に朱子学は
「程朱(ていしゅ)学」ともいわれます。




少し休憩しましょう・・・ε=( ̄。 ̄ )


ややこしい話ばかりで退屈しますよね。

これらは単なる表面上の理屈や論理なので、
知る必要も覚える必要もありません。

あくまで歴史背景として聞き流して下さい。


正直、私自身も、
つまらぬ話だなぁと感じながら・・・
(^o^;)w



これも陰陽といえば陰陽でしょうか。


つまらないと感じられる話があるから、
面白いと感じられる話があって。

不自由を感じたことのある人だけが
自由を感じられるように。


常識を知ってこその非常識。

便利を知るほど不便を知る。



私は理屈を超えた世界に行くために、

何が理屈かを
ただ整理しているだけなのです。





■ 自己に内在するもの


「理」「形而上(けいじじょう)

「気」「形而下(けいじか)



「形而上」…聞きなれない言葉です。


日本語で「形而上学」と訳される
「メタフィジックス(metaphysics)」は、

ラテン語の
「超える(meta)」と「自然学(physica)」が
合わさった「メタフィジカ(metaphysica)」
という言葉に由来します。


西洋では、
アリストテレス“第一の哲学”と呼んだこと
に起源を有し、

彼の死後、未刊行の論文や手稿を、
ロドス島のアンドロニコスが編纂し、
(アリストテレスの)形而上学』十四巻として
まとめたものが名前の由来となっています。


アリストテレスが“第二の哲学”と呼んだのは
「自然学」
その奥(自然学を超えたところ)にあるのが
「形而上学」です。



一方、
日本語で表記されるこの「形而上」という
言葉の出典は、

『易経』の「十翼」の一つである
「繋辞伝」上巻にあります。

やはりここでも『易経』…


「繋辞伝」には、
「形而上者謂之道形而下者謂之器」とあり、

訳すと
“形而上なるもの、これを道といい、
形而下なるもの、これを器という”
となります。


無論、ここでいわれる“道”は、
目に見える道(ロード)のことではありません。



「形而上学」と一口にいっても、
西洋と東洋では、その本質的な意味合いは
異なります。

西洋では
真実在を自己の外(自然を超えたところ)に
求めますが(二元/分離)、

東洋では
自己に内在するものと考えます(一元/一体)。



どちらがどうということではありませんが、
結局のところ、

外の現象を解釈するのは個人の心なわけで、


自己の内にある何かが変わらないかぎり、

目に映る世界は何も変わらない気がします。



それは、

“常識とされるもの”、既成概念、偏見など、
不要なものを取り外し、心をより鮮明にして
いくことなのかもしれません。


真面目(しんめんもく)に近づくために・・・

 




■ 易と中庸
 

易とは“変化すること”


では
最後にもう一歩踏み込んでみましょう。



そのために、まずは四書五経の四書の一つ、
『中庸』について、
少しふれておきたく思います。

『中庸』は、その考え方や思想において、
易と深いつながりがあるからです。



四書とは、

儒教の経書のうち、
『論語』『大学』『孟子』『中庸』
四つの書物の総称で、
「四子」や「四子書」ともいわれます。


『中庸』の著者は、中国戦国時代の儒学者
子思(紀元前483頃‐紀元前402頃)とされていますが
はっきりとはわかりません。

元々『中庸』と『大学』は、『礼記』の中に
加えられていたものが、南宋の儒学者朱熹
よってとりだされたことで独立。

そのあと、
『論語』と『孟子』と合わせて「四書」
呼ばれるようになりました。




そもそも「中庸」とは一体何なのでしょう。


『論語』のなかに、
「子曰 中庸之爲徳也 其至矣乎 民鮮久矣」
とあります。

“子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。
民鮮なきこと久し”。


これは、

“中庸は最上の徳であるけれども、
民衆からそれが失われて久しい…”

と、
孔子が嘆いて言った言葉ですが、
ここにも「中庸」の文字がみられます。




論理立てると必ず矛盾が生じる

前半の記事の最初でも述べましたが、
「中庸」は言葉で説明しきれるものでは
ありません。


言葉や文字に頼ると、
どうしてもそれにとらわれてしまい、
本質から遠退いてしまいます。


弟子が増えるほどズレが生じるように…

広めようとするほど狂っていくように…



言葉や文字が“答え”なのではなく、
それらは
“答え”へと導いてくれるひとつの素材。


言葉や文字では伝わらない。

そのことは重々承知の上、
それでも、
私がいま文言を並べるなら、


中庸は、

けっして位置的な意味での距離の中間地点を
指すものでもなければ、
2つの数の平均でもありません。

また、
「途中」や「半ば」といった時間の概念とも
ちがいます。

かといって「中立」とも異なります。


…難しいですね。



辞書にはこう書いてあります。

“かたよることなく、常に変わらないこと。
過不足がなく調和がとれていること。
また、そのさま”


…と。





■ まとめ


良いことがあれば良くないことがある。

良くないことがあれば良いことがある。


“人間(じんかん)万事塞翁が馬”



この人生、
何がどう運ぶかなんて誰にもわからない。

むしろ、
いつ何が起きてもまったくおかしくない。



結局のところは、

何事もない状態(平穏無事)が一番良い
ということになるのかもしれませんね。


ですから、“最近良いことがない” …と
嘆く必要はありません。

悪いことも起きていないのであれば、
それは良いことだとみることもできますから。


もし悪いことが続いている
(そういうふうに感じている)なら、
何かを変えるしかありません。

目に見えない“自分の中の何か”を…




易の概念でみれば、
陽極まれば陰となり陰極まれば陽となります。


万物は一瞬の間も、
その活動を止めることはありません。

ですが、
唯一、人間だけが自然の摂理を動かしている。

だからそこに“歪み(ひずみ)が生じる。


当然といえば当然ですよね。



すでに万物は中庸であり、
私たちは常に中庸の中にいる。


中庸を狂わせるのは人の“欲”…だとするなら、
欲を棄てきれない私には未知の領域。

ただ少なくとも、
“一瞬の場面”においてなら、

すでに万物は中庸であることを
意識することはできなくはありません。


身に起こる出来事(すべての現象)を
受け入れる という意味で。



(私自身が中庸を正確に理解しているわけでは
ありませんが…それでも)




“何気ない日常”に、自由がある。


日常に不自由を感じ、外に自由を求めた結果、
さらなる不自由を知り、

それまで不自由だと思っていたことが
実は、自由だったことを知る。


不自由だと思っていても、もしかしたら、
実は、それは自由なのかもしれない…

ということ。



全員が自由であれば、
誰ひとり自由なんてものを知ることもない。

不自由な人、もしくは、
自分が不自由だから(“不自由”と感じるから)、
はじめて“自由”というものを知る。



そもそも“自由”なんて無くて…

人間全員が“自由(freedom)”であって…


ところが、

何かに制限が生まれ、
思い通りにいかなくなった時、はじめて、
“不自由”という観念が生まれる。

つまり
“不自由”があって、はじめて、
“自由(liberty)が生まれていく。




「自在(じざい)」     自ずからに在り

自由は“自分の中”にある。


ということは、

いま“不自由”だと思っているのは、
“自分”であって、

ほんとは“不自由”ではないかもしれない。


“自分自身”が、“自分の心”が、
“自由”であれば、

いくら世間が“不自由”だといえども、
“自分”
“自由”だと感じることができるのでは。



矛盾だらけのルールに振り回され、
制限されることに“不自由さ”を感じて。

でも、よくよく考えてみると、


“自分の心”が“自由”であれば、
どんな環境であっても“自由”なはず。



“外”に振り回されているようで、

実は、
“自分の心”に振り回されている。


“不自由”なのは、

実は、

“自分の心”なのではないだろうか・・・






“何気ない日常”


“ボーッとしているつかの間”


自由でも不自由でもない

“本来の自分”でいられるとき



“いい時間だったなぁ・・・” と、

いつもあとから思わされる。





私はどこまでも心を旅し続ける。


頭を空っぽにして、ただ純粋に、

楽しみたいから。




だから、


隙を見つけては

とことん考え抜いておく。



錆び付くくらいなら、摩り切れたい。




ここまでお読みいただき
ありがとうございました (⌒ー⌒)


平安如意


 
辛丑 夏至後二日
KANAME



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