履虎尾。不咥人。亨。
 
虎の尾を履(ふ)む。人を咥(くら)わず。亨(とお)る。
 
 
虎の尾を踏むも、噛みつかれず、通る。
 
(・・・だけれども、注意はしなさい)
 
 
 
 
「虎の尾を踏む」は、
 
“きわめて危険なことをするたとえ”として
用いられる、ことわざ、故事成語です。
 
 
この言葉の出典を辿ると、
 
五経のひとつ『易経』(古代中国の書物)
由来します。

紀元前の言葉なのですね (゜ロ゜ノ)ノ
 

 
陰陽を深く理解するには、
避けて通ることのできない『易経』

『易経』は、

自然界の摂理を説いた、言わば、
古代における“自然哲学(科学)の集積書”
とも言えます。

 
 
僭越ながら、
今日はこの、『易経』について
お話したいと思います。
 
ただ、
私の力では到底足りるものではなく、
かなり奥深い世界になりますので、
ほんのさわりだけを (;゚∇゚)


今朝、時を読み、
あえてこの難しいテーマを選びました。

ご興味のある方向けです。
 
 
長い旅になりますので、

今日と明日
2回に分けて記事にしますね(^^)
 
 
 

■ はじめに

 
「易(えき)という言葉を
一度くらいは耳にされたことがあるかと
思います。

いいえ、
もしかしたら一度もないという人のほうが
今は多いのかもしれませんね。
 
言葉は知っていても、
ん…やはりどこか古い“占い”のイメージが
漂いますか。
 
 
確かに、
 
「八卦」を基にして行われる「易占」は、
易者といわれる占術師が、
筮竹(50本ほどの細長い竹の棒)を用いて、
人の運勢を占ったり、吉凶を判断したりする
占いです。

平安時代に元三大師良源によってつくられた
日本の「おみくじ」の源流にも、
やはり易や八卦があります。

 
この「易」が 
形式的に重々しく取り扱われだしたのは、
漢代(紀元前206年~紀元後220年)の頃だと
いわれていますが、

ここでは、‟占術としての易”、
というよりも、

易そのものの構造や、その根幹にある
思想や哲学に着目してみたいと思います。
 
それのほうが大事なので…
 
 

また、
歴史や成り立ち、名称など、
枝葉の細かな用語は、複雑かつ切りがなく、

そこの事実にとらわれている暇はないため、
ササッと読み飛ばしてもらって大丈夫です。
 
さいごの■まとめ だけをお読みください。
 
 
 

 
■ 易とは何か
 
 
まず、
易は「占星術」とはまったくの別物。
 
易は単なる占いの一種ではなく、
また言葉や文字だけで理解できるものでは
ありません。

 
あえて言うなら、

易はすべての事物をの両面から判断し、
宇宙・森羅万象の根源に「太極」をおきます。
 
 
西洋占星術ではそういう根源的な考え方は
しません。これは東洋特有の考え方で、
長い年月をかけ徐々に発達してきました。
 
 
 
簡単にいうと、
 
「易(えき)」とは“変化”のこと。
 
絶えず変化するということです。
 


英語では、“divination”、“fortune-telling”、
または
“book of changes”(これは易というよりも、
『易経』を意味する訳ですが)といわれます。
 
 
「易」という漢字は、
象形文字の「トカゲ」からきています。

トカゲを漢字で書くと、「蜥蜴」。
“セキエキ”とも読みますが、この中にも
「易」という漢字が入っていますね。
 
古代中国には一日に12回も体の色を変える
トカゲがいたそうです。


後漢の許慎(58?‐148)が著した『説文解字』
には、
「易は蜴易、蝘蜓、守宮なり」とあります。
 
蜴易(せきえき)はトカゲ、
蝘蜓(えんてい)はイモリ、
守宮(しゅきゅう)はヤモリのこと。
 
 
それらが何を比喩した表現であるのかは、
また別の領域の話になってくるため
ここでの言及を控えますが、

遠回しに言うなら、
私たち人類と爬虫類は遺伝子レベルにおいて
切っても切れない関係にあるということ。



また他の説としては、
易という漢字は、月日の移ろい、
つまり「月」と「日」からできているとする
見方もあるようです。
 
それは、
漢代の魏伯陽が著した『周易参同契』に、
“月日を易と為す。剛柔相当る”とあり、それが
この説の後押しになっているようですが…

しかしながら、
この説はあまり有力ではなさそうです。
 
 
 
 

■ 易の発端と八卦
 
 
『易経』が、即ち『易経』となる以前、
“易そのもの”の源流には、
 
「八卦(はっけ/はっか)呼ばれる八個の符号
(☰・☱・☲・☳・☴・☵・☶・☷)が
あります。
 
 
「易」、というよりも、
易の発端にある「八卦」の符号それ自体は、

けっして占いのためにつくられたものでは
なく


あくまでも後の人がそれに意味を見出し、
概念を当てはめ、
やがて思想や哲学、「易占」として、
用い始めていったと推察できます。


⚊と⚋の二進数の符号を組み合わせる
ことで表される八卦は、
一種の‟暗号”であり、私たちの遺伝子に
直結するものであるとも言われています。

コンピュータでいえば、
「0」と「1」からなるプログラミング言語
(バイナリーコード)。

或いは「+」と「-」、「ON」と「OFF」
といった二極性を意味します。


八卦六十四卦(八卦に八卦を重ねたもの)
は、
それらの構成を表したものであり、つまり、
‟純粋な科学”だといえるのかもしれません。

そんなものが数千年も前から存在していた
ことに…


しかしながら、
当時の人はそれが何を意味するものなのか
到底理解できず、

やがて「八卦」と呼ぶようになり、
ひとつの概念として思想や占術に取り入れて
いった… 
もはやそうするしかなかったとも言えます。
 

このように、八卦というものが、
易の概念に組み込まれていきました。
 



さて、

『易経』の「繋辞伝(けいじでん)」上巻には、
 
「易有太極 是生両儀
両儀生四象 四象生八卦」とあります。
 

“易に太極あり、これ両儀を生ず。
両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず”。


つまり太極から、
最終的に「八卦」が生まれたというのです。
 
 


 
八卦とは、
 
乾☰(けん)、兌☱(だ)、離☲(り)、震☳(しん)
巽☴(そん)、坎☵(かん)、艮☶(ごん)、坤☷(こん)
 
これら八個の「卦(け/か)からなるもので、
(こう)といわれる符号で構成されています。
 

陽は「—」(奇数)、陰は「--」(偶数)で表され、
それぞれを陽爻、陰爻と呼び、これが両儀
 
爻を二本組み合わせたものが四象
さらに三本組み合わせたものを三爻、或いは
一卦(三重文字とも)といい、
 
それら八種の卦を「八卦」といいます。



一卦が三爻から構成されるのは、

一説ではこの世を形成する天地人(三才)を
示しているからとされ、
卦の爻は下から上に向かって数えます。


この八卦を自然現象に配当すると、
天・沢・火・雷・風・水・山・地になります。
 
天地を一気に投げ出す勢いで物事を行う際に、
しばしば用いられる
「乾坤一擲(けんこんいってき)の乾坤とは、
八卦が由来となっていることがわかります。
 
 
 
八卦は、
 
蛇身人首であったとされ、出土した遺跡にも
様々な構図で描かれている
古代中国伝説上の神伏羲(ふくぎ/ふっき)が、
 
黄河の中から出現した神馬(龍馬)の背の
旋毛の模様を見て、そこから発想を得て
発明したとされています。
(諸説あります)
 
 
そして、この八卦を基にして、
その後、周の文王「六十四卦」をつくり、
 
息子の周公と共に、
「上経(卦辞)「下経(爻辞)
(後の『易経』の原型となる二篇「経」)を
つくったと伝えられています。
 
 
 
よって、は紀元前、
周代にはほぼ完成したとされ、

これは『史記』(古代中国の歴史書)などにも
書かれています。
 
易が“周易”とも呼ばれる所以です。
 
 
 
 

■ 易の書
 
 
四書五経のなかでも最も古くから存在する
『易経』(ここでは易そのものを指す)は、
 
長い年月をかけ多くの学者によって修正、
解説が加えられていき、

(真髄を、人から人に言葉で説明したり、
文字にして綴ったり、或いは、
だれかの都合によって加筆されるほど、
残念なことに、
本質からどんどん遠退いていきます)

徐々にその体形を整えていきました。
 

 
『易経』は、
先述のとおり、文王親子がつくったとされる
「上経(卦辞)」と「下経(爻辞)」の二篇「経」
と、
 
後に、
その「経」に儒教的な解釈を加えて書かれた
「彖伝(上下)」、「象伝(上下)」、
「繫辞伝(上下)」、「文言伝」、「説卦伝」、
「序卦伝」、「雑卦伝」の、
十篇「伝」からなるものです。
 
 
「十翼(じゅうよく)とも呼ばれるこの十篇は、
孔子によって作られたという説もありますが、
孔子は自ら書物を書き記してはいません
 
恐らくは、
弟子たちがその教えを綴ってできたものと
思われます。
 
 
“周易”と呼ばれるまでの易は、
『易経』でいう「上経」と「下経」の二篇
「経」のことを指しています。
 
孔子はこの『易経』(ここでは「経」)を
とくに重要視していました。
 
 
『易経』が、
『詩経』、『書経』(尚書)、『礼記』、
『春秋』と合わせて、
 
いわゆる「五経」とされたのは、
孔子より後の時代のこと。
 
孔子の生きた時代には、
まだ『詩経』と『書経』の原型となるもの
しかありませんでした。
 
 
よって、
孔子が愛読していたのは『易経』となる前の
『周易』(後にそう呼ばれる“易の書”)だった
といえます。
 

 
この書が各地に普及すると、
難解な文の解釈書が必要になり、
 
そのために「伝」
「十翼」がつくられていきました。
 
 
「十翼」は、
“易の書”を鳥の体とした場合に、それを宙で
支えるための翼のような役割をすることから
その名が付けられています。
 
 
 
 

■ 儒教と『易経』
 
 
儒教が『易経』を採用し、
前漢代(紀元前140年~)に、皇帝が儒教以外の
宗教をすべて禁止(表面上は)したことで、
その影響が今日に至っています。
 
当時、易は、
“卜筮(占い)の原理を説いた書”とされていた
ため、危険視されず焚書を免れたとも。
 
 
また、

最初は儒教とは無関係のものでしたが、
漢代になると、
「彖伝」、「象伝」の解釈が加えられ、
 
さらに
「繫辞伝」、「文言伝」の発展にしたがい、
儒家の“中庸(説)”に接近しました。
 
その流れで、(『易経』)はいつしか、
儒教の経典とみなされるようになりました。
 
 
 
漢代がおわり、
魏・呉・蜀の三国時代を経て、
六朝の頃になると、
 
(戦国時代にすでに存在していたとされる)
老荘思想(後の道教)が広まりはじめ、

儒教にも老荘の哲学が加味されることに
なりました。
 
 
唐代になるとインドから仏教が伝来し、
これにより、
儒・仏・道の三教が民衆の思想強い影響力を
与えるようになります。
 
300年ほど続いた唐の時代は、
文化的にも繁栄し、

唐の文化(最先端の文化)を学ぶために、
日本からも阿倍仲麻呂をはじめとする
使節団(遣唐使)が派遣されました。

遣唐使と言えば、
最澄空海の秘話でもよく知られていますね。
 
 
 

 
■ 六十四卦
 
 
周の文王がつくったとされる「六十四卦」
これは、「八卦」が、
下(内卦)と上(上卦)に重なったものす。
 
つまり八卦に八卦を掛け合わせたもの。
 
 
六十四卦は、
1~30を上経、31~64を下経とし、
 
六十四通りある各卦には、卦辞として
それぞれ固有の名前がつけられました。
 

さらに
各卦の六つの爻、一つ一つにも、
爻辞として占いの文句がつけられており、
 
全部で64の卦辞、384(64×6)の爻辞
設けられています。
 
 
六十四卦は、
1年12ヶ月にも対応させることができ、
 
また
‟占術としての易”における基本的な考え方
になっています。

(六十四通り各卦の名称や意味、その占法については、
ここでは割愛させていただきます)
 
 
 
六十四通りの組み合わせそれぞれに、
異なる文句と解釈がつきます。
 
その一つ、

第十番目にあたるのが、
「天沢履(てんたくり)という「履」の卦辞。
 

 
その「天沢履」の意味(“易占の結果”)として、
その冒頭に出てくる言葉(解説)が、

 
「履虎尾。不咥人。亨。」
 
 
 
 

■ まとめ
 
 
太極から生じた万物。
万物は太極そのものとも言えます。
 
 
万物の中で起こる変化。
 
変化し続ける陰と陽を同時に捉え、
流動する陰陽の消長を意識的に理解し、
その上で、
 
人生を最大限に楽しむ。
 
 
 
よく誤解されがちなのですが、
陰が悪くて、
陽が良いということではありませんよ。
 
 
目に見える世界と目に見えない世界。
 
あくまでも
同時に存在し、同時に消滅し、
同時に生まれる、
二つの「気」のことです。
 
 
不自由を感じて、
それまで自由だったことに気付きます。

幸せを感じられるのは、
そうでないときを知っているから。


 
陰陽は、
世の中のありとあらゆる物や現象に
当てはめることができます。
 
一年という単位、季節で考えてみると、
夏至で陽気極まったあとは、少しずつ、
陰の気に向かいます。
 
そして、
陽の気をいっぱい受けた植物たちは、
やがて実りの季節を終え、
草花は枯れ、朽ち果て…
 
冬至に陰気極まり、
また陽の気へと向かいます。
 


 
どれだけ陽極まろうとも
そこには微かな陰があり、
 
どれだけ陰極まろうとも
そこには微かな陽がある。
 
 
どんなに真っ暗に思えても、
一点の光がある。
 
どんなに輝いていても、
一点の闇がある。
 
 
 
ついつい
私たちはそれを見失いがち。
 

時はめぐりますし、状態は変わります。

変わり続けます。
 
 
目には見えない微細な変化も含めて、
万物は何かしら変化し続けています。
 
 
 
こうした“陰陽”を、
頭で理解するのではなく、

瞬時に、同時に、
心や体で感じられたら、
 
万物は既に中庸であることに気付きます。



いまどう過ごせばよいか、

いまどう振る舞えばよいか、


それは

自然と対峙するのではなく、

自然と同化することで、

自然がそっと導いてくれます。

 

自然は何も教えてはくれませんが、

自然から、
“自分の中にあるもの”を導きだすことは
できると、私は思います。


けっして
今自分が悩んでいることの“答え”
“そこ”(自然/外の世界)にあるのではなく、

“自分の中にあるもの”が、
“そこ”から、感じ取って、


そして

自分で、そこから言葉を見つけだして、

自分で、それを解決していく。


それが “学び” だと思います。




 
‟中庸でいなければ”  …と思う必要はなく、
 
‟既に中庸の中にある”
ということに気付くことが大事です。
 
 
中庸は、
 
ふたつの距離の真ん中という意味ではなく、
位置や時間を指し示すものでもなく、
平均値ともちがいます。
 
すべてが同時に存在している。

‟ありのままの状態”のこと。
 
 

 
満ちていくもの、欠けていくもの、
 
実るもの、朽ちるもの、
 

悲しみと喜び、自由と不自由、
 
成功と失敗、不安と安心、
 

幸せと不幸せ、
 

・・・ ・・・ ・・・
 
・・・ ・・・ ・・・
 
 
相反するものは、
どれも必ず同時に存在します。
 
 
“平穏”“危機”も。
 
 
 
 
 
虎の尾を踏むくらいの危険があるけれど、
(今既にそうした状態にあったとしても)
 
心静かに、勇気をもって、
一歩ずつ慎重に、
今できることに精進すれば、
 
きっとうまく切り抜けられる。
 

 
たとえ思っていた通りに事が運ばなくても、
 
そのぶんだけ

新しい展開が、新しい発想が、
 
自分の進路を照らしてくれる。
 

 
心の置き所が変われば、
 
目に見える景色も変化する。
 


おなじものでも

いつもとちがって見えてくる。
 

 
如意
 
 
 
 

昨夜は、“一年でもっとも短い夜”でした。
 
私は思索と読書で過ごしました(  ̄- ̄)
 
 
あっという間に朝を迎えて…
 
 
 
暑さから逃れては、涼を追いかけ、
 
時間の束縛から脱け出しては、

“心の旅”を楽しんで。
 
 
 
 
ここまでお読みいただき
ありがとうございました (*_ _) 
 
 
平安如意
 
 
 
辛丑 夏至翌日 涼夜
KANAME



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