先日のこと
昔の思い出話をしていたら
『もしかしてファンタジーの世界で生きてた?』と聞かれて大笑いしてしまった。

そんなことはない。
ファンタジーの世界に浸るほど夢見がちな子供ではなかったし、そんなことが許されるほど甘々の環境ではなかった。
ただ うすらぼんやりとしていただけである。


目の前のものを見たままに捉えて生きていた。
私の目は立体造形を平面に変換していたのかも知れないけど。

『ここでは騒がないで大人しくしていて』
と言われれば ちょこんと大人しく座っている以外の選択肢を思い付かない子供だっただけである。
『これはこうやって使うもの』と教えられたら それ以外の方法があるだなんて想像することすらなかった。
そんな話をしたときに聞かれたのが冒頭の言葉。
繰り返すが
そんなことはない。
ただ うすらぼんやりと生きてきただけである。

三つ子の魂百まで
今でも さほど変わってはいない。
見たものを見たままに疑うことなく信じてしまうのが私の欠点なのだろうが 反面 最大の私らしさなのだと思う。
そんな人間 騙すまでもなく利用するのは 賢い人たちには簡単なことだろうから何度か泣く目にもあった。それでも周囲のそんな動きも半分くらいは気付くことすらなく平和に生きてこられたのは やはりこの性格のおかげなのだ。

今更 生き方を変えようとは思わない。
変えられるものでもないだろうし 変える必要も感じてはいない。



冒頭の『ファンタジーの世界』の件
即座に否定したものの 
若干 思い当たるところがあった。
さすがにファンタジーの世界ではないが 
ある時期までは物語や小説の中に常に片足を入れて暮らしていたのかも知れない。

小学生のころから 本が大好きだった。
お小遣いをもらったらその日のうちに本屋さんに駆け込んだ。
読み出したら途中でやめるということが嫌で
とにかく1ページでも1行でも先に早く読み進めたかった。
寝る前に少しだけと読み始めて読み切るまで寝られなくなるのが当たり前だった。
貪るように読んだ。
読む間は現実世界から離れて物語の世界の住人になっていた。

小学生から高校生くらいまで 
私は真面目にこの世を生きていなかったのかも知れない。意識の半分は常にそのとき読んでいる本の世界に浸っていたのだと思う。
元来 うすらぼんやりしているというのに
半分しか意識が向いていないのだから
周りからは相当浮いていたことだろう。
よく無事に生きてこられたものである。


専門学校に入り 働くようになり
本を読む時間も気力も失ったことで
やっとこの世界に両足を着いたのだと思う。

コーヒーとチョコレート
読みかけの本があればしあわせ♡


いまでも本は好きだ。
でも随分と減ってしまった。
読むスピードも遅くなった。
一気に読み進めることなど出来ず
時には途中で投げ出してしまうこともある。
昔は考えられなかったことだ。
趣味は読書とは もう言えない。


昔のように
本の世界に溺れることが
出来なくなってしまった。


またいつか
ページを繰るのももどかしく 焦がれるように
息さえつけぬほどに
圧倒的な文字の波に飲み込まれるかのように
我を忘れて浸りこむことができるのだろうか?

是非ともそんな読書をしてみたい。

溺れたい。