私は観光地での生活が長く
いわゆる普通の住宅地で
暮らした期間が短かかったなぁと
生まれてから4歳までは
母も専業主婦で
近所に公園もある
静かな住宅地で育ちましたが
4歳から北海道へ移住するまで
観光地として有名な東映太秦映画村にほど近い
大映通り商店街で育ちました
あの頃は近所に
松竹、大映、東映と3つの撮影所があり
俳優さんたちが
時代劇の衣装のまま
商店街で買い物したり、食事をしたり
学校帰りには
何処かしらでロケをしてたりして
今、思えば
街全体が撮影所みたいでした😊
うちの両親が経営していた
クリーニング店も
撮影所関係のお客様が多く
またロケ撮影に使用されることも
何度かありました
そんな生活だったせいか
私は普通の暮らしに
並々ならぬ憧れがあって
笑笑
中学生の頃の夢は
公務員と結婚して
団地妻になることでした
😂😂😂😂😂
ところがどっこい
時代劇の衰退と共に
商店街が寂れ始めたのと
大型クリーニング店の進出などもあり
うちの両親の店にも陰りが見え始めます
そこで私は
資格を数多く取得して
どの時代にも対応できる人間になりたいと
思うようになります
時代はバブル絶頂期
会社が乱立しすぎて
顧問先が増えすぎて
手が回らなくなってきた
知り合いの会計事務所から
うちで働いてみないか?と誘われ
女性で会計士‼️それはカッコイイと
即、就職😅
昼は会計事務所で働き
夜は会計の専門学校へ通い
ひたすら資格取得を目指しました
初めて受けた簿記の試験が満点💯で
すごく嬉しかったことを
今でも覚えています😊
しかし会計事務所の仕事は
残業も多く
また両親からは
世の中の女の子はバブル絶頂期で
オシャレして、お出かけするのに
オマエは仕事と勉強ばっかりで
大丈夫か?と心配されたりして😱
そんな中、ついに私は
過労とストレスから
病に倒れます😰
その時
私を救ってくれたのが
薬膳料理教室と生け花教室でした
美味しい料理と美しい花が
私を励まし、私にパワーをくれました
そして母が私に言いました
ずっと商人の街で育ったアンタには
お堅い会計事務所より
料理やお花の仕事で生きていくほうが
向いているんじゃないか?と
なんかね😅母の言葉が
神からのお告げのように聴こえた
折しも時を同じくして
結婚するつもりだった
公務員志望だった彼とも
その頃から行き違いが増えるようになり
私は会計事務所を退職して
調理師学校へ社会人入学することになりました
25歳の春でした🌸
〜次回へ続く〜
大喜びの私と祖父