初雪 | 副住職&若坊守の奮闘日記【第二章】〜住職&坊守編〜

副住職&若坊守の奮闘日記【第二章】〜住職&坊守編〜

浄土真宗本願寺派のお寺の副住職&若坊守がお寺の日常をつづって参りましたが、一昨年より急遽、住職&坊守の立場となりました。
より奮闘する日々を、気ままにつづって参ります。

寒いですね~。


今朝はうっすらと雪が…。


いよいよ明日、明後日と “報恩講 ”(ほうおんこう) が勤まります。


恒例のおみがきも無事に終わり、仏具がピカピカに輝いています。


写真ありませんが何か ( ̄_ ̄ i)



そんなわけで今日は、“報恩講”の由来について振り返ってみたいと思います。


たまには、真面目な記事を…(^^ゞ



浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、弘長2(1263)年1月16日(旧暦11月28日)にお亡くなりになりました。


その後33回忌のご法事に、ひ孫にあたる本願寺第3代覚如(かくにょ)上人が、宗祖への深い謝意を『報恩講私記』という書に「詞書」されました。


ご法事の際、宗祖のご遺徳を讃仰し、ご影前においてそれを拝読されました。


このことが、“報恩講”の始まりといわれています。


そしてその翌年に、宗祖の生涯などを「詞書」と「絵」によって絵巻物とされました。


絵巻物は元々、貴族たちが物語を観賞するために作られたのが始まりとされています。


つまり個々、もしくは少人数で鑑賞する形式です。


と同時に、真宗寺院のように大勢の門信徒が一同に集まり、大勢で鑑賞するには不向きな形式でもありました。


そこで覚如上人が68才の時に、長男の存覚上人が「詞書」と「絵図」を切り離して、絵だけ並べて竪型の掛け軸にし、それを吊り下げることによって人々に観賞してもらい、「詞書」は書物にし、それを絵の前で読み上げることが考え出されました。


このことにとって、より多くの人に宗祖の生涯を見て、聞いてもらえるようになりました。


◆ 「詞書」 ・・・ 『御伝鈔 』 (ごでんしょう)


◆ 「絵図 」・・・ 『御絵伝』 (ごえでん)       と言い習わしています。



副住職&若坊守の奮闘日記 


なんとしても伝えたい!!


先人のご苦労が伝わってきます…。




~淨福寺宗祖親鸞聖人報恩講~


■11月30日(土)


  夜 席 19時~21時半頃まで

  

  ※夜席後、ぜんざいの接待があります。


■12月1日(


  朝 席 10時~正午頃まで


  ※朝席後、お斎(とき)けんちん汁の接待があります。


  講 師 本願寺派勧学 岐阜市専長寺住職

      

       山田 行雄 和上




親鸞聖人のご遺徳を偲ばせて頂く中に、有り難いお法りに出遇います。


我が身の尊さを知らされる大切な機縁としていただきたく思います。


皆様のお参りを心よりお待ちしています。







あっ、単身赴任中の住職も先程帰って参りました♪








なんまんだぶつ、、、      (副住職)