第二の聖地マディーナ【メッカ巡礼に行きました④】 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル
いよいよ、ムスリムにとって第二の聖地であるマディーナの街にやってきました🥺

 

 

正式名称はアル=マディーナ・アル=ムナッワラ المدينة المنوّرةで、「光り輝く✨」という意味です。

↑マディーナは「街」の部分
 

ィナディーナと表記されることもありますが、マディーナの方が正則語の発音に近いかと

 

 

マディーナは、マッカ🕋とともにハラマインالحرمين(=双つの聖域)と呼ばれる聖地ですので、長いあいだ異教徒禁制🚫でした。

 

が、2022年から解禁され👀、聖域以外の場所へはムスリム以外の人も訪れることが可能です。

 

 

 

ホテルに荷物を預けたら、すぐにその聖域、預言者モスクٱلْمَسْجِد ٱلنَّبَوِي へ向かいます。

 

 

 

神の啓示を伝えはじめた預言者ムハムマド(saw)への迫害ナイフが、マッカで激化した時、

 

預言者と付き従うムスリムたちを受け入れてくれたのが、オアシス都市🌴マディーナでした。

 

当時の地名はヤスリブ

 

 

預言者モスクが建つのは、

 

預言者(saw)とその家族が暮らし、日々の礼拝を行っていた、ナツメヤシの葉葺きの小さな建物の跡地。

 


 

 

時代とともに改築と増築を重ね、

 

今ではミナレットを10本持ち、同時に100万人の人が礼拝できるポーン超巨大モスクになっています。

 

さすがにこの写真はお借りしました

 

 

預言者ムハムマド(saw)と信者がマッカからマディーナに移ったことを、ヒジュラ聖遷と言いますが、

 

マディーナに来てはじめて、共同体(=ウンマ)が築かれ、宗教としての諸々が整えられたので、

 

イスラームの暦📆であるヒジュラ暦は、この移住の年である西暦622年を紀元としています。

 

今年はイスラーム暦で1445年。

 

 

預言者(saw)は残りの生涯をマディーナで過ごして、マディーナで亡くなり、預言者モスクの緑のドームの下に埋葬されました。

 

マディーナが「預言者の町」という別名を持つのは、そのためです。

 

ホテルでは、預言者の象徴である薔薇の花🌹のプレゼントがありました💕

 

 

そんな預言者モスクですが、中に入ると、四辺の壁など見通せないほど広い❗️天井も高い❗️

 

 

 

それでも礼拝の時間となると、モスク内も中庭部分も、礼拝する人が殺到して足の踏み場も無くなりますポーン

 

 

 

中庭で礼拝する人たちのために設置されているのが、この美しい日傘

 

 

 

開いている時も閉じている時も、ちょっとアールデコを思いせるような佇まいで優美。

 

 

 

 

どこが作ったのかしら、サウジ?なんて思っていたら、

 

日本の企業が作ったんですよ‼️って教えていただきましたポーンえー!

 

正確には、コンセプトと建築設計、システム製造と設置はドイツ🇩🇪の二社ですが、日傘のテント部分の製作は日本🇯🇵の太陽工業が請け負ったんだそうです👏

↑東京ドームの屋根も手がけている企業なんですね!

 

日傘の開閉の様子だけでなく、預言者のモスクの様子が見られる動画です

 

 

マディーナでの3泊4日の滞在は、毎日ほとんどの礼拝をここで行って過ごしました。

 

次のブログではいよいよ、預言者ムハムマド(saw)の霊廟部分に入りますよーーーー❗️