ビトリス県の県都ビトリスを出た私たちは、憧れのアハラトAhlatに到着しました❗️
h音のカナ転写はいつも悩みどころ。Ahlat、アハラトにする人と、アフラトにする人がいますが、日本語のフはf音になってしまうので、私はアハラト表記で行きます。Googleマップではアフラトになってます。
何が憧れって、そりゃも〜 アハラト・セルジューク墓地 Ahlat Selçuklu Meydan Mezarlığıです
私のような、セルジューク史&イスラーム美術ファンには垂涎&必見の場所❤️
20ha以上の広さの土地に、8200基もの12〜16世紀のお墓が並んでいます。
中世のトルコ系ムスリム墓地としては、世界最大規模
その広さと数の多さにも驚くのですが、
意外にもきちんと遊歩道が整備されていました
驚くべきは、墓石のとてつもない美しさ❗️ 痺れる〜
シャーヒデşahideと呼ばれる墓碑に施された彫刻が、とにかく素晴らしんです‼️
今回の旅行で他にもいくつかセルジューク時代の墓地に行きました👈が、ここアハラトのお墓の彫刻はレベルが段違い❣️保存状態も。
西側(正面)に彫られているのは、クルアーンの章句や、セルジュークっぽい幾何学文様。
一見キャンディー🍬に見える吊り下げランプの文様は、中央アジアから続くテュルク民族の伝統で、「神の威光✨ ilahi ışığı」を意味するそう。
トルコの工芸であちこちに登場する「生命の樹🌲」のモチーフは、天と地の繋がり、生命、子孫繁栄の象徴。
ここのデザインは、ディヴリイのモスク👈に彫られていた生命の樹ととても似ています。好きだー💕
ちなみに、彫刻を施した職人の名前も、この面に記されていることが多いんだとか
埋葬されている人以外の名前がお墓に刻まれているなんて面白いですが、ある意味、お墓が作家のサイン入りの芸術作品みたいなものだったってことですかね❗️
埋葬されている故人の名前が彫られているのは、東側つまり裏側の面。
職業、出身地などが記載されていることもあり、700基以上の墓碑の解読済みだそうです❗️
墓碑の後ろには、サンドゥカsandukaという棺状(※棺ではない)の部分がありますが、
そこに彫られていることが多いのは、「死」に関連するハディース(預言者sawの言行録)。
墓碑は高ければ高いほど地位の高さや権力の強さを表すそうで、最大のものは3.5mとか。
とはいっても、王族・大臣クラスになると独立した霊廟に入るので、この集合墓地で大きな墓碑を持つのは、カーディー(イスラーム法の裁判官)だった人だそうです。
12世初頭に、大セルジュークの属国 アフラトシャー君侯国 Ahlatşah Beyliğiの首都となったアハラトは、
13世紀には、バルフ(アフガニスタン)やブハラ(ウズベキスタン)と並んで、宗教・文化・学術・芸術の中心都市「イスラム世界のドーム天井 Kubbetü'l-İslam」と呼ばれたほど繁栄します。
だから、これほどの彫刻技術を持つ職人がいて、立派なお墓を建てられる貴人も沢山いたんですね〜。
アハラトの町自体、紀元前4000年代のフルリ人の頃まで歴史があるほど古く、
この墓地も少なくとも1000年以上前から墓地として使われていたそうで、クリスチャンやヤズィディー教徒のお墓も見つかっているそうです👀
お墓とツーショットを撮りたがる変人でスミマセン😂
ところで、面白いと思ったのは、男女でお墓の形が同じなこと😮
オスマン朝時代のお墓は、男性(身分を表すターバンやフェズ帽の形)と女性(花の彫刻)で形に違いがあるのに、その前の時代はそうじゃなかったという事ですかね〜🤔
オスマン時代のお墓。左のターバンがあるのが男性の、右の花が彫られているのが女性の。
とまぁ、アハラト・セルジューク墓地は、噂に違わず本当に素晴らしかったの一言
興味無い人にはどれも同じに見えるかもだけど💦、私にとってはこのお墓たちみんな違ってみんな良いので、
一つ一つをじっくり見て、写真を撮りまくって、何時間でもいられるほど楽しい場所でした
(あまりの執心ぶりに、「奥さんのお仕事なんですか?」とオットが聞かれてました いや、ただの変人です💦)
いつかまた再訪したい場所の一つです✊
さて、次回の記事は、ヴァン湖周辺旅行の最終回です〜🚗👋