今回の旅行も、思いがけず多くのセルジューク時代の史跡を見ることができました
まずは、ゲヴァシュ・セルジューク墓地 Gevaş Selçuklu Mezarlığı
草原に点々と、細かい彫刻の素晴らしいルーム・セルジューク時代のお墓が並んでいます。
ただ、ほとんどのお墓は土に埋もれていて、ボーボーにのびた草の間から、かろうじて上部がのぞいている状態。
こういうのも本当は全部、すんごい綺麗なお墓なんだろうにな〜勿体ない……
……なんて思っていたら❗️
お墓を掘り起こして綺麗にするというプロジェクトに勤しむ、学生たちに遭遇❗️
後日、その様子が新聞記事になっていました。
院生くんが、このお墓を掘り起こすまでの一部始終を、傍で見学させてもらい←お邪魔虫🕷
長い年月を経て、再び日の目を見た、貴重な瞬間に立ち会えて感動💕
ていうか、いいなー。私もセルジュークのお墓とか掘り起こしたーい💕あ〜今から社会人入試で美術史専攻しようかな〜
茶色いところが地中から出てきた部分。雨風に晒されてないから保存状態がいいですね。
※発掘作業の撮影は禁止ですが、これ↑は監督していた教授に撮影許可いただきました
墓地の端に立つ、ハリメ・ハトゥン廟 Halime Hatun Kümbeti は、セルジューク時代ではなく、14世紀前半のもの。
屋根の鱗のような模様といい、壁の浮かし彫りといい、優美な霊廟です。
この墓地から少し行ったところに、ヴァンで唯一のセルジューク時代のモスク、という
イッゼッティン・シール・モスク İzzettin Şir Camiiがありました。
モスクにあった説明書きには、「1257年のルーム・セルジューク朝時代に建立」とありますが……
セルジューク様式だけども、実際は14-15世紀のものだ、と唱える人が多いそう。
通常モスクには、いつ誰が建てたかを記した票(キターベ)があるのですが、紛失しているらしい
つづいては、チェレビバウ・セルジューク墓地 Çelebibağı Selçuklu Mezarlığı
農家の間の道を抜け、荒野をしばし突っ走ると、人口の丘のようなものが出現しました。
この丘の上に、古いお墓が並んでいます。
青銅器時代の墓まで見つかったそうで、もともとは古墳だったのかも。
つい最近まで墓地として使われていたので、古代から中世、現代までのさまざまな時代の墓石が見比べられるという意味で貴重な場所だそうです。
一番数が多くて、目立つのはルーム・セルジューク時代の。やはり彫刻が非常に美しいです。
こんな所ばっかり周っているから、私の携帯のカメラロールがお墓の写真でいっぱいになってますが😅
さて、最後のセルジューク史跡を見には、こんな荒れ野にやってきました。
なんとここ、旧ヴァン跡地 Eski Van と呼ばれ、20世紀初頭までヴァンの街があった場所です‼️
紀元前何千年から歴史を刻んできたヴァンですが、第一次世界大戦時、アルメニア人・ロシア軍側とトルコ人側の争いによって焼け野原になってしまったんですね。
今のヴァンの街は、ここから少し離れた場所に新しく造られたもの。
ここに20世紀初頭まで大きな街があったなんて信じられませんが、ミナレットの一部だけ残ったウル・ジャーミーの残骸が、それを物語っています。
※ウル・ジャーミー=金曜礼拝を行う大モスクのこと。大きな街には必ず一つはあった
近くまで行きたかったけど、水溜りや穴だらけ、ヘビもいるらしいので、行けませんでした💦
このウル・ジャーミー、黒羊朝時代(14世紀)のものと言われてますが、12世紀にアハラットシャー君侯国によって建てられたセルジューク時代のもの、という説も有力です。
博物館に展示されていた、モスクの内装の残骸や、
過去の写真資料を見るかぎり、かなり私好みなセルジューク感あふれるモスク✨だったようで……
わぁああぁ、悔しい。残ってて欲しかったなぁあああああああああ❗️
あーあ。
歴史と文化の破壊は本当に悲しいです。
旧ヴァンで唯一残ったのが、16世紀にミーマール・スィナンの弟子が作ったとみられる、ヒュスレブ・パシャ・モスク Hüsrev Paşa Camii と 17世紀のカヤ・チェレビー・モスクKaya Çelebi Camiiだそうで。
この後もヴァン周辺のあちこちでセルジュークの史跡を見ますが、ヴァン市内でもこれだけ見れたのは大きな収穫でした✌️
さて、次のブログ記事は「ヴァンのうまいもん・お土産編」です。