ディヴリイ観光のつづきです。
まだ2つの門が残っています😅
東にあり、侯国の君主たち専用👑の入り口だったという
王の門Şah Kapısı
一般的なセルジューク様式で、ほかの門のような面白さは無いかと思いきや……
ドアは人の背丈より低く、頭を下げて屈まなければ入れないようになっています。
その上部には、「すべての資産はアッラーに属する」(40:16)というクルアーンの章句。
つまり、地位も財産も神から与えられたのだから君主といえどもおごるべからず謙虚であれと、王がモスクに入るたびに戒める仕組みになっているんですねぇ〜。
今この門は公開されておらず、プレハブの隙間から写真だけ撮りました😅
この門も、👉前の記事で書いたほかの門と同様、夏季の昼の礼拝時間45分前ごろからシルエットが浮かぶのですが、
この形は、君主の横顔だろう、と言われています。
え?どこが?と思うかもしれませんが、
私は一目見たとき、スルタン・スレイマンの横顔の図(↓)に似てる!と思ったので、王の横顔というのはシックリ来ました。
3世紀も後のオスマン時代の人ですが
さて、モスクには、併設して慈善施設である治療院dârü'ş şifâ🏥があります。
その入り口の門が
治療院の装飾門 dârü'ş şifâ taçkapı
Dâr=家、 Şifâ=治癒、アラビア語です
治療院を建てたのは、大モスクを建てたアフマッド・シャーの妻メリケ・トゥラン。
トルコ史の中で、夫婦で一つの慈善施設を建てた例は、ここだけだとか。
宗教や性別をとわず誰でも治療を受けることができたので、門にはそれを示すモチーフが彫られています。
円盤状の装飾は、月🌙と星がモチーフでイスラーム🕌を象徴。
ドアの中央には十字を示すライン装飾。
門の両脇(上の写真の◯部分)には、女性と男性の顔👱👧を彫ったものがあったそうです。
顔面が欠損してますが、おさげ髪が見えます。
ちなみに、円盤状の装飾は魔除け効果もあったとかで、同じようなのが👉ブルジエ神学校にもついていました。
スィヴァスのお土産屋さんには、これをモチーフにしたアクセサリーも売っていて、かなり惹かれました
シルバー製。ゴールドだったらアレルギーを心配せず買ったんですが
窓の中央にある柱は、トルコの古い建物に時々みられる平衡柱denge sütunuと呼ばれるもの。
手で押すとクルクル回転しますが、地震などにより、建物が構造上のバランスを欠くと回転しなくなり、目に見えない建物の危険性を伝える役目があります。
現在トルコの建物よりちゃんとした地震対策されてるんじゃ……
ここのは、1939年のエルズィンジャン地震の時から回転しなくなったそうです。って、倒壊とか丈夫なんかい💦
治療院の中も、今は修復中では入れませんが、こんな感じだそうで、
楽器の演奏や、水の音を使った精神の治療も行われていたとか
ヨーロッパなんかでは近世まで、精神病患者なんて縛り付けたり閉じ込めたり、祈りや薬草で治療するイメージ(映画で観る限り)ですが、ここでは13世紀にすでに今と同じようなアプローチがあったなんてビックリ。
11世紀にすでにイブン・スィーナー(アヴィセンナ)が音楽療法を提唱しているそうです
多くのモスク同様、ここも元々はモスクを中心にいくつもの慈善施設が並ぶキュッリエでした。
その一つと思われる建物の残骸が残ってました。ハマムかな。
モスク前の坂は掘ったら色々出てきそう
モスクの左手の山の上にあるのは、13世紀にアフマド・シャーが築いた
ディヴリイ要塞 Divriği Kalesi
迫り来るモンゴル🏇やホラズム・シャー軍の襲撃に備えて、カイクバード1世(ルーム・セルジュークのスルタン)が全国に命じて行われた防衛強化🏰事業のうち、唯一現存するものだそう。
この要塞の裏には、トルコ人がアナトリアに建てた最も古いモスクの一つと言われる、
ディヴリイ要塞モスク Divriği Kale Camii
が建っています。
現在は修復中で足場がかなり危なっかしかったので、私たちは対岸から遠目に見ました。
ヨーロッパの修道院?っていうくらい、山の峰の先っちょに建ってるんですよ……。
大モスクと要塞以外には、これといって見るものはないディヴリイですが、
町中に点在するルーム・セルジューク時代のメンギュジェック家の霊廟kümbetをあちこち見たり、
この時代はドームが作れないので円錐や六角錐形の屋根
ルーム・セルジューク時代から残る橋Aşağı Hamam Küprüsüを見に行ったりして、町中をくまなく散策しました
ディヴリイ名物のスパイシーなピラフも堪能して💕
この後また3時間かけてスィヴァスまで戻ったわけですが、それでも大満足‼️行ってよかった‼️なディヴリイ滞在でした。
大モスクの修復が終わった頃に、絶対にまた再訪したいです💕
スィヴァス旅行・完