ペルセポリスと古代遺跡【イラン旅行⑦】 | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

地震のため18〜19世紀の建物しか残っていないシーラーズを発ち、古代ペルシア時代の遺跡を見に行きます。

 

 

まずはペルシア帝国最初の首都パサルガダエپاسارگاد‎にある、アケメネス王朝の初代君主👑キュロス大王廟

 

 

 

この方、古代オリエント諸国を統一し、イランでは「イランの建国者🇮🇷」と見なされる偉大な存在

 

しかし、マッサゲタイ族🏇との戦いに破れ、その女王トミュリス王冠1首を刎ねられナイフ血で満ちた壺みずがめ座に突っ込まれた(↓)と伝えられています。

 

この絵、後世の西洋人が描いたんでしょうが、衣装の時代考証がされなすぎでは……

 

 

「トミュリス怖い!ガーンて感じだけど、彼女はこの直前にキュロスのせいで息子が自殺しているので、そりゃあそのくらいやるわ。真顔

 

トミュリスは女も戦う中央アジア🏇では英雄視される人物で、つい数年前にもカザフスタン🇰🇿で『トミュリス』という映画が製作されました。

 

 

 

 

友人のcheyzさん情報ですが、この間の北京🇨🇳冬季五輪の開会式では、カザフスタン🇰🇿のスピードスケート選手Yekaterina Aidovaが、トミュリスをイメージした衣装で選手入場したそうです。

 

 

 

話をキュロス2世のお墓に戻すと、ここはスライマーン(=ソロモン)のお墓だ、と言われてた事もあったそうで。

 

非イラン系に支配されていた時代に、イスラームにとっても預言者である人のお墓と言うことで盗掘や破壊から守ろうとしたのだそうです。🤔

 

20年前と比べると随分と整備されて、パサルガダエの都市の発掘も進んでました

 

 

次に向かったのは、言わずとしれた世界遺産のペルセポリス پارسه

 

上のキュロス2世のあと3代目にアケメネス朝の君主となった、ダレイオス1世が創建した、ノウルーズ(春分)などの儀式のために使用された首都。

 


 

この人面獣の門が印象的!と思ってましたが、当時のペルシアは装飾技術が発展しておらず、アッシリアからパクったデザインなんだそうで。

 

 

 

イランの後、大英博物館🇬🇧に行く機会があったので、アッシリアのものも生で見ました。

 

 

 

ペルセポリスはアレクサンドロス大王ナイフがアケメネス朝を滅ぼした際、火が放たれて🔥木製だった屋根などは焼失し、

 

 

 

20世紀まで土に覆われたままだったので、レリーフなど良い保存状態で残ったようです。

 

 

 

壁のあちこちに彫られている、山羊🐐が後ろからやってきた獅子🦁に狩られる姿は、冬(🐐)が春(🦁)に破れること(=春分、ノウルーズ)を象徴しているとか、いないとか。諸説あり。

 

 

 

ノウルーズの祝典の際には、28の属国から使者が貢物🎁を運んできたそうで、その様子もレリーフに描かれてます。

 

それぞれの民族の顔立ちや服装などの特徴も細かく表現されていて、「世界諸国がかしずいてるんだぞー」というアピールが伝わってきます。

 

 

 

ペルセポリスでは1971年に、キュロス大王のアケメネス朝ペルシア建国から2500年を記念して、パフラヴィー国王のもとイラン建国二千五百年祭典が行われました。

 

 

 

砂漠に植林して、フランス企業が豪華絢爛なテント村を建て、マキシム・ド・パリがケータリングして、ランバンが制服をデザインして、リモージュ陶器で食事がサーヴされる宴に世界中の王族が招かれ、その豪華さはギネスブックにも登録されたそう。

 

かつてのペルセポリスのノウルーズの祝典も、当時の世界ではこんなレベルだったのでしょうね……。