先週末、ネムルット・ダー(山)に行ってきました。
イントロ部分(笑)のため、写真はイメージです。自前の写真は本編で。
トルコで10本指に入る見所なはずですが、なんとトルコ歴20数年↑の私も、トルコ人のオットも今まで行ったことがありませんでした。
私は何度か行こうとしたんですが、季節柄通行止めに遭ったりで行けませんでした。
というわけで、イスタンブルから1時間40分強のフライト🛩で、アドゥヤマンの空港に降り立ちました。
この県にはトルコ三大ダムの1つで、ユーフラテス川に作られたアタテュルク・ダム湖があり…
初めてトルコでユーフラテス川を見た時は、「あのユーフラテスがこんな身近に!」と感激したな
魚の養殖をしていたり、なかなか綺麗です。
ダム湖の水辺には、数件のレストランがあって、朝食をとることにしました。
で、2人前の朝ごはんセットを頼んだら、イスタンブルよりそれぞれの量がハンパない!
内容はごくシンプルながら、トマトは息子が1皿平らげたほどフレッシュだし、スイカは驚くほど甘いし、バターや蜂蜜はクリームのように濃厚だし、焼きなすのペーストやメネメン(トマト卵)もビックリの美味しさ、地元の薄いパンは香ばしく、大満足な朝ごはんでした💕
ダム湖で取れるというマス🐟も食べてみたけど、これはまぁまぁだったかな。。。
地元の人に「魚と朝ごはんセットは合わない!」と言われたけど、その通りだった…。しかも私淡水魚がそんな好きじゃないし。
お腹を満たしたところで最初の見どころ、カラクシュ古墳Karakuş Tümülüsüへ。
ネムルット山と同じ、紀元前1世紀ごろにこの辺りを支配していたコンマゲネ王国時代の墳丘墓です。
ミトリダテス2世の母親イシアス(カッパドキア王国の姫)と、妹アンティオキス、姪アカの墳墓だそうで、3つの方角に建つ石柱にワシ、雄牛、ライオンなどの像が乗っていたようですね。
古墳の名称カラクシュ(黒鳥)は、正面の柱に乗っているワシの像に由来します。
奥の柱の上にはミトリダテス2世と妹ラオディケが握手する姿を刻んだレリーフが。
妹って書いたけど、英語やトルコ語では姉か妹かわからなかった。可愛がるなら妹かな…と
ミトリダテス2世はパルティア帝国に嫁いだラオディケを特に可愛がっていたのか、彼女の死後その亡骸をパルティアから返してもらい、この近くに埋葬した上、墓碑に「彼女はすべての女性の中でもっとも美しかった」と刻ませたとか。
ラオディケの棺は、のちにコンマゲネ王国がローマ帝国に征服された際、盗掘され建材に使われてしまったらしいです。
ローマの属州にされてからもコンマゲネの王族はローマの貴族として暮らしたらしい
さらに車を進め、ジェンデレ橋Cendere Köprüsüにやって来ました。
これ、なんと今でも使用されている世界最古の橋だそうです。
橋に残る石碑によると、2世紀にローマ皇帝セペティミウス・セウェルス👑が作らせた橋で、それぞれ皇帝・妻・2人の息子カラカラとゲタに見立てたという4本のコリント風の柱が美しく、雰囲気あるんですけど。
家族思いだったのかしら、皇帝
1本の柱は、土台しか残ってません…
右の手前にあるのが橋の土台
この柱は息子ゲタのものでしたが、父王の死後にゲタと共同皇帝として即位した兄カラカラ帝は(ローマに浴場作った人よね)、彼を暗殺し、その上「ダムナティオ・メモリアエ(記録の抹殺)」を命じて、ゲタ帝に関するすべての記録や肖像を葬り、その一環でこの橋の柱も破壊されてしまったのでした…😢
カラカラ帝によって子供時代の家族の肖像からも顔が消されているゲタ帝。この世に存在したことを消し去るなんて、ほんと酷いねぇ…
以前は車も通っていたジェンデレ橋ですが、97年からは5t以上の車は通行できなくなり、500m先に新たな橋が作られてから車は一切通行禁止になっています。
でも人間は今でも普通に使っていますし、通った感じ、かなり頑丈でした。
いやぁ、20世紀も前に作られた橋が今でも現役って、すごいことですよねーーー!
次のブログではいよいよネムルット・ダーに向かいます。