イズニックといえばタイルばっかり頭にあった私ですが、考えてみたら、ここは古代ローマ時代にはあの「ニカイア」だったんですよね。
イズニックの地名は、ニカイアが訛ったもの。
今日のキリスト教の教義を決めた「ニカイア公会議」が行われたほどの場所(ここテストに出ます!😜)なわけで、実は歴史的遺産がかなり残っているんです!!
町の周囲には、ビュテニア王国時代に作られ、古代ローマ、ビザンツィン時代に増築された城壁が残っています。
城壁も要塞くらい好きなので興奮!時間があれば壁沿いをずっと歩いてみたかった
4つある大門から入ると回廊になっていて、上から見るとちょっとした都市遺跡みたい。昔は回廊に屋根があったらしいです。
続いて行った、イズニックのアヤソフィアと呼ばれる、このモスク!
4世紀ごろの基礎の上に、6世紀ごろビザンツィンの教会⛪️として建立され、なんと前述の「ニカイア公会議」の第2回目の会場として使用された、歴史的にも意義の深い建物です!
所々に6世紀のものと見られるフレスコ画がうっすらと残っていました!
14世紀にイズニックがオルハン・ガーズィーによって陥落されてすぐ、ほぼそのままの状態でモスク🕌にされます。
左手が教会時代の祭壇のあった建物の中心部。ミフラーブは、建物正面から斜め右。
16世紀のスレイマン大帝の時代に火事🔥に遭い、ミーマール・スィナン👳によって修復と改装が行われ🚧🔨、今のミフラーブなども作られたそうで。
モスク時代の「アッラー」のカリグラフィーの文字が残ってた
19世紀ごろに廃墟となって草ボーボーだったのが、独立戦争の頃ギリシャ軍に火を放たれ
、長い間こんなボロボロのまま博物館(1935年〜)だったのが、
木製の屋根が無くなり、野ざらし。ミナレットにはコウノトリの巣🐣ミフラーブも思いっきり野外。
2007年から修復作業が開始され、2011年からは再度モスクとして使われています。
観光客も入れるし、フレスコ画を隠したりもなし
賛否両論ある修復ですが、ここに関しては手を加えすぎずオリジナルが極力残されてて良いと思いました
帰路についてから気づいた、「イズニックで1番行きたい!」と言ってたはずの、ハジュ・オズベク・モスクに行くの忘れた!オスマン史上最古のモスク(教会からの転用でなく)だったというのに…
イスタンブルへの帰路の途中、イズニック湖のほとりで名物大ナマズのフライを食べました。
淡白でブリブリとした食感で食べやすく、子供にも好評
いやはや、イスタンブルに戻る時間が押していたのでサササ〜っと周るだけになってしまいましたが、もっと見たいところもあったし、陶器も色々見たかったので後ろ髪を引かれる思い
でした。
こんなに見所のある、雰囲気のある町だったとは…。
今回の旅で夫婦ともに一番印象に残ったのがイズニックだったので、近いうちにまたゆっくり来ようと誓いました。
イズニックの旅、前編はこちら。
今回のブルサ周辺の旅シリーズ🐾まとめました。