チニングをするか悩んでいます | ぽんぼし=孤高のチニングマン

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キビレ(クロダイ)のルアーフィッシング、素人料理、映画レビューの3本立てです。

皆さんこんにちは。


最近、変なおっさんの映画紹介が多いんですけど、今日は当ブログの主、ぽんぼし本人がお送りします。











大阪湾岸の水温は既にチニングシーズン開幕を示す数値となっています。


私は病気を患う以前、2018年の初夏までは毎週チニングに通い続けていました。


毎年この時期になるとチニングに出掛けたくて、釣りのことを考えると痛いくらいギンギンに勃起したものですゲロー















昨年、病気が癒えて再び大阪湾の隅っこに立ち、やっぱり釣りは楽しい爆笑と再確認したのでした。


しかし同時に、私の人生において釣りというものが担ってくれる役割は、ほぼ無くなったと強く感じたのでした。


魚という生命に触れることで、生きるとはなんぞや、死ぬとはなんぞや、地球とは、自然とは、人間とはなんぞや……


たくさんのことを学びました。

もし今後も釣りを続ければ、もっともっと多くを学ぶことができると思います。


しかしながら多くを学ぶ代償として、魚や地球に多くの負担が掛かってしまいます。




学ぶ量 > 自然にかける負担


ならばまだ良いのですが、





学ぶ量 < 自然にかける負担


となってしまうのは絶対に避けなければならないことです。





間違っても釣りから学ぶことが無くなるほど私が成長したというワケではありませぬ。

釣りを通して学べることは、それこそ無限にありますから。


今の私では釣りから今以上を学び吸収するための器が足りないということです。












釣りをこんなにまで気難しく考える人は、そう沢山はいらっしゃらないでしょう。

シンプルに愉しめばそれでいいと思います。


これは私の弱さなんですかねぇ、

楽しみの相手が生き物だということ、決して合意の上で楽しんでいるのではなく、楽しいのは人間だけで、釣られる魚にとっては迷惑千万。


活きた餌は無駄な殺生、ルアーやフックやラインをロストして自然を汚す、釣具のパッケージが大量のプラゴミになるetc…etc…



これら全てを心の中で粉々に噛み砕いてシンプルに楽しむ……


私には極めて難しく心苦しいことです。












2011年、釣りの「つ」の字も知らないド素人が息子を連れて大阪南港で初めて糸を垂らしたあの日、

なんて楽しいんだ! と感激した一方で、

いつか必ず竿を持たなくなる日が来ると自ら予言したその日が遂に来たのかもしれません。


しかしながら、釣りが好きだ、釣りがしたいという気持ちはあの頃と全く変わっていません。

また気が向けば釣りに出掛けるかもしれないし、このまま2度と竿を振ることはないかもしれない。





今年のチニングシーズンがどうなるのか、自分でも決められない複雑な心境です。









くだらない話ですみませんでした滝汗