エホバの証人の方 に質問でございます。(西暦前607年の20年の空白に関して) | エホバの証人研究(ブログ)

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ものみの塔 (jw.org) に関わるすべての人に向けてひたすら情報を提供します。


エホバの証人の方々は
ものみの塔の西暦前607年の教理を信じていると思います。

それで 西暦前607年について簡潔にここで解説し それから質問をしたいと思います。
まずこの問題に関連するものみの塔の記事ですが、すでに全部その主張の嘘やごまかしについては以下のサイトで書いています。ものすごく時間がある方は読んでみてください。

特集1 – ものみの塔2011年10月号http://www.jwstudy.com/docs/bc607_1914/special1_wt2011_10/
特集2 – ものみの塔2011年11月号http://www.jwstudy.com/docs/bc607_1914/special2_wt2011_11/

時間のない方のために3分ほどで読めるように要点を書きたいと思います。
まずは以下の画像をご覧ください。



WT2011年11月号24ページ 右下に小さい文字で脚注が出ています。



ここで

商取引関係の粘土板は,幾つかの例外を除けば,これまで新バビロニアの王たちの時代とされてきたどの年のものも現存しています。」それらを合計すると「エルサレムの滅びは西暦前587年に起きたことになります」と述べられています。

これは現実のことです。

ここで述べている商取引関係の粘土板というのは「領収書」や「
契約書」など重要書類を粘土板に記載した几帳面なバビロニア人の特徴ならではの粘土板です。

実に数万点が発掘されています。そして ものみの塔の認めているように、歴史家の述べている流刑の50年分はすべての年のものがそれぞれ数百点以上残っています

ものみの塔の言い訳は次のような言葉です。

「しかし、この方法による年代計算は、各王が退位したのと同じ年に次の王が後を継いだ場合にのみ有効です」

では ここから質問です。

ものみの塔の主張するユダヤ人の流刑がエルサレム崩壊を起点として70年間続いたとすると、どこかに空白の20年が存在したことになるのですが、

★質問

この20年間の間 商取引はどのように行われていたと思いますか?

その間の商取引関連の粘土板が20年分実質上一つも存在しないのはなぜでしょうか?


これは例えで言うならば
領収書に「昭和64年1月1日」とか「平成1年12月10日」とか
記載することができなかった期間が20年存在したのだと 主張することと変わりません。

元号が存在せず、領収書や請求書が一切書けなかった
期間が、ちょうど20年間存在したということは考えられますか?
20年間も商取引の記録を残せなかったとしないと、ものみの塔の主張する通りにならないのです。

そう なぜか20年ぴったり 空白がないといけないのです。

これは例えると
ニューヨーク証券取引所が
20年間機能をストップしてしまうような
大事件が起きたことを意味します。

経済を勉強している人であれば
これがどれだけ大変なことになるかを
すぐに想像することができるでしょう。

1週間ならまだしも20年間
商取引の粘土板を残せないなんて

しかも、その空想の「大事件」の
形跡がどこにもない。

本当にもう エホバの証人が
信じていることは 妄想の世界なのですよ。

ということで

この大きな文字で書いた質問を
西暦607年のものみの塔教義を信じている
現役エホバの証人の方 どなたでもいいので

お答えをお待ちしています。