When Ye are in the Service - YW
「奉仕中のあなた - 若い姉妹」
この動画はモルモン公式ページの動画で
三日間でどれだけ奉仕をできるかを短いクリップにまとめたものです。
若い人がボランティア活動に参加したり、自分の能力を人のために使ったりしている姿ってすがすがしいですよね。
下の写真は 1:30 のところの場面
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151109/17/jwstudy/3f/fe/j/o0800053013479082545.jpg?caw=800)
ビラを受け取ってくれる人に出会いました。
若い姉妹たちはハイタッチして喜んでいます。
(モルモンも互いを兄弟姉妹と呼ぶ)
見ていると思わず「良かったね!」という気持ちになります。
でも同時に複雑な気持ちにもなります。
若い人がボランティア活動に勤しんでいる姿は美しいものですが
それが布教のような宗教活動である場合は
その価値は「その信条が真理である」ことを前提としたものになります。
ここでいう「価値」というのは
社会的な価値だけではなく
当人における価値も含みます。
それが真理でない場合、あるいは真理でないと分かった場合、
その活動に費やした労力に対する価値観は大きく変わることになるはずです。
信仰を持っている方は、「そんなことはない、たとえ組織に間違いがあっても、まことの神に仕えた時間は一つも無駄ではない」と感じると思います。
しかし実際にモルモンやJWを離れたならばどうでしょうか?
「無駄はなかった」と言えるならそれは幸せだと思います。
ここで提案なんんですが
もし可能なら、やらされている感がある奉仕活動はすべてやめることです。
伝道活動もそう。
寄付もそうです。
創始者C.T.ラッセルが言った通りです。
ものみの塔の創始者は寄付を懇願するようになったら「出版を中止する時だ」と述べています。
“それは出版を中止する時である,とわたしたちは考える” –C.T.ラッセル
(告 21章 340ページ)
先日NHKの番組で
自治会の存在意義について考える番組がありました。
ちらっとしか見てないので詳しい内容はわかりませんが
その中でとても面白いインタビューがありました。
自治会の活動を最小限にすることを決めた役員だったと思いますが
「自治会の定期的な活動をやめてしまうと
必要な活動にも参加する人がいなくなっちゃうのではないか」という質問に対して。
「本当に必要な事に対しては、人々はその活動に自発的に参加するものです」というような答えでした。
もし、エホバの証人の活動や拡大が、「奉仕報告制度」や「仲間の圧力」、「開拓奉仕制度」などに依存しているのであれば、それはもともと神の支援がある業ではなかったということです。
エホバの証人としての自己犠牲的な活動の中には純粋に「本当に必要と感じて」する活動と、そうでもないものがあると思います。
と まだ続きはあったのですが
とりとめもなくなるので ここまでにします。
![笑顔](https://emoji.ameba.jp/img/user/ta/tamakuromoru/8268.gif)