ものみの塔2013年7月15日を読んで ふと思ったこと。 | エホバの証人研究(ブログ)

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2013年7月15日(統治体が奴隷級になった雑誌)について整理して記事を書こうとしているのですが,要点を整理しようとすると腹立たしく感じる点があります。

ものみの塔筆者が導こうとしている点は数節でまとめることができるような内容なのに,そこに至るまで無駄な説明を多くしています。そして多くのページを割いているのに,つっこまれそうな点についてはほとんど説明を載せない,あるいは真摯に取り組んでいないという状況が見えます。

例えば,「忠実で思慮深い奴隷」は「終わりの日の預言」なので,西暦33年ではなく西暦1914年以降に「忠実で思慮深い奴隷」が現れるはずだと述べておきながら,それにつづく「10人の処女」や「タラントを委ねられた奴隷」が「終わりの日の預言」としてどのように説明できるのか一切書かれていません。

SF映画やファンタジー映画を見ていると,ストーリーが非論理的で,突っ込みどころが満載なものがあります。映画製作者は観客がストーリーの非論理的な部分には注意を向けないように全体を組み立てていきますが,まさにそれと同じような印象を受けます。

そして不思議なのは,過去の記事を見ても,突っ込みどころがある見解の変更をしている研究記事はやたらと要点が不明瞭で,難解になっているという点です。

「1914年の世代」の見解変更の説明も,「重なる世代」の説明も,過去の雑誌を振り返って読んでみると,信者に自分で考えさせることをあきらめさせることが目的なんじゃないかなって思えるほど要点を意図的にぼかしてるように思えます。



いろいろ言いたいことは出てきますが,それはさておき

気になる文面がありました。

ものみの塔2013年7月15日号6ページ
$エホバの証人研究

ここで不思議に思ったのは
「王国の音信を退け,大患難が始まる前に死んだ人たちは,復活の見込みのないやぎとみなされていました」という文面です。

過去のいろいろな記事を調べてきましたが,「死んだ人」についてここまで明確に書いているのは見た覚えがありません。復活の見込みがないのは「ゲヘナ」に行った人だという記述は多くの出版物にあります。

かつてエホバの証人は,自分の話を退けた家族や友人は死ぬとゲヘナに行ったと考えていたのでしょうか?

そして今はどう考えているのでしょうか?


もしエホバの証人の話を退けて死んでしまうとゲヘナ(永遠の死)に行くのであれば,エホバの証人の活動はまさに死神のようなものに思えます。叫び

これは,ある小説の一場面を思い出させます。

エスキモー: もし私が神と罪について知らなかったとしたら、地獄へ行くんですか? 

司祭: いえ、知らなければそのようなことはありません。
 
エスキモー: ではなぜ私に伝えようとするんですか?

Annie Dillard, 'Pilgrim at Tinker Creek' より




以前,親しくしていたエホバの証人と話していたときに,中国での伝道活動の話題が出ました。いわゆる「禁令下」での活動についてです。しかし彼はイスラム教圏について語ることはありませんでした。

それもそのはず,エホバの証人の大半はイスラム教圏の人のことなど頭のなかにないのです。意図的なのかはわかりませんが,ものみの塔はイスラム教国でエホバの証人がほとんど活動していないという事実や,それを危惧するような文面さえ掲載しません。


では,もし来年あたりにいわゆるハルマゲドンがきたとしましょう。
伝道がなされなかったイスラム教国で,今年までに老齢や病気で亡くなった人は皆ハデス(象徴的な墓)で眠っていて将来復活すると信じているのでしょうか? もしそうならイスラム教国に住む人たちは死神が訪ねてくることがなかったラッキーな国ということになるでしょう。ドクロ