ところで、エホバの証人の村八分制度、どんな聖書的な根拠が
あるのでしょうか?
長老マニュアルには、聖書の模倣すべき例のことが出ていました。
排斥された人と断絶した人に対する正しい見方
排斥された人や断絶した人をどうみなすべきかに関する聖書
的,また歴史的な指針は,「ものみの塔」誌1981年11月15日号
20-31ページに載せられています。
群れのすべてに注意を払う(1991) 単元5(イ) 103頁
「ものみの塔」誌1981年11月15日号 に
出ているということなのでそちらを見てみました。
ありました。「排斥―それに対する見方」という記事です。
*** 塔81 11/15 20ページ 3節 排斥―それに対する見方 ***
西暦1世紀当時,ローマの支配下にあったユダヤ人に死刑を執行する権限はありませんでした。(ヨハネ 18:28‐31)しかし律法に違犯したユダヤ人は,会堂から追放することができました。この厳しい刑罰の結果,他のユダヤ人たちが追放された人々を遠ざけ,避けるようになりました。その人に生活必需品は売りましたが,それ以外には,その人とは商取引きさえしなかったと言われています。 ―ヨハネ 9:22; 12:42; 16:2。
すごい推論ですね
確かに西暦1世紀の模範といえばそのとおりです。
本当は殺してしまいたいがローマ人がそれを許してくれなかったので
会堂から追放することにしたんだそうです。
ヨハネ 9:22; 12:42; 16:2 が根拠だということがわかります。
それで聖書を開いてみました。
ありました。
(ヨハネ 9:22) 彼の親たちはユダヤ人を恐れていたので,こうしたことを言った。ユダヤ人たちはすでに,だれでも[イエス]をキリストと告白する者がいれば,その者は会堂から追放するとの合意に達していたからである。
当時のユダヤ人たちの模範だそうです。
キリストを告白する人が追放されたそうです。
この追放した側のユダヤ人って誰なんでしょうか?
2番目の参照聖句にありました。
(ヨハネ 12:42) とはいえ,実際には,支配者たちでさえその多くの者が彼に信仰を持ったのである。しかしパリサイ人たちのてまえ,[彼について]告白しようとはしなかった。それは,会堂から追放されないようにするためであった。
ますます根拠がわからなくなってきました。
それで3番目の参照聖句を見てみました。
(ヨハネ 16:2) 人々はあなた方を会堂から追放するでしょう。事実,あなた方を殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています。
はい。
ものみの塔が参照していた聖句を読んでみましたが、
なんだか別の意味で目が開けてきたような気がします。
終わり
追記:
この他の排斥制度に関する聖書的根拠とされているものに関しては
以前に書いた記事「エホバの証人の習慣と信条 – 排斥」
で論じていますので、そちらもご覧ください。