少し長い前置きです。
日本人の若者がアメリカテキサス州のお宅にホームステイにいったとします。
その家族は初めての日本人を迎えました。
恐らく食事の際の最初の話題は
「君の宗教は何だい?」
とくるでしょう。
「宗教は別にありません」
そう答えると
「宗教がなくて道徳はどうするんだい?」
アメリカ人にとって宗教がなくても道徳的に生きている
日本人を見ると不思議に思います。
そしてアメリカはキリスト教の精神によって成り立っていると
かなりの人が信じています。
しかし実際に分析していくとアメリカなどの近代国家の道徳を
支えているのは実は聖書とはあまり関係なかったりします。
例えば、20世紀のアメリカで起きた流れである
奴隷解放運動、女性の権利の向上、子供の人権意識の向上
少なくともこの3つは聖書の道徳とは関係ありません。
むしろこれらは人々の知性が築き上げてきた文化の結果とも言えます。
さて、ここから先は先回からの続きになります。
エホバの証人の子育て論は聖書を総合的に吟味して導きだしているか?
この点を推論するために、2つの時代の子育ての風潮について比較します。
まず1970年代:
*** 目77 11/8 27ページ 日本の「喜びに満ちた働き人」地域大会 ***
大会でバプテスマを受けた一人の主婦は次のように語りました。
「真理にはいる前あるサークルに属し,子供に決して体罰を加えてはならず
ほめて育てるようにと教えられていました」。
しかしプログラムを通して幼い時からエホバの懲らしめと
精神の規整によって育てるよう学びました。
この主婦は「体罰を使わずに誉めて育てる」という考えを
サークルで学んでいました。
ところが大会に出た結果、考えを変えました。
どんな話がされたのかはわかりませんし、
この女性が具体的にどのように変化したかも書かれていません。
しかし1977年という年代を見ると大体想像つきます。
そして20年後
*** 目97 8/8 8ページ 子供をのびのび育てる ***
褒め言葉:親はどうすれば子供たちにそうした愛を示せるでしょうか。
まずは,長所を探すことです。…どんな子供も良いことをした場合は
いつも褒めてもらう必要があるということです。そうすれば,
子供たちが自分にはろくなことができないと思い込み,
「気落ち」した状態で成長するという危険性は減ります。
褒めて育てることが勧められています。
ここまで来ると1977年の時の主婦は「真理にはいる前に属していたサークル」
の教えの通りにしていたほうがよかったのでは?と考えてしまいます。
さて、ここで考えたいのは次の点です。
どちらの時代も同じ聖書がありました。
それなのに時代によってなぜ論調が変わったのでしょうか?
子育ての記事を書く執筆者は、まず自分が正しいと思う子育て理論を持っています。
その子育て理論は誰かから正しいと教えられたものか、その人の文化の中にすでに
あったものかはわかりません。
執筆者は、数多くの聖句の中からその理論に合う言葉を思い浮かべます。
そして、子育て論を述べたあと、その聖書の言葉を引用します。
つまり聖書に導かれた教えというよりも、現代文化と文明が築き上げてきた
価値観に後から聖書の言葉を当てはめてみたという側面が大きいわけです。
聖書は人に動機づけを与えます。聖書の言葉を道徳的指針とすることに
価値はあると思います。山上の垂訓の価値を否定する人もいないでしょう。
しかし時に聖書の言葉が恐ろしい結果をもたらすのも事実です。
エホバの証人は「血を避けなさい」という言葉をもって
救命のための輸血を拒否します。
「食事をしてもならない」「あいさつの言葉もかけない」という聖書の
言葉を使って、エホバの証人をやめた人を(家族も)集団で無視します。
「70年」という言葉を使って根拠のない西暦前607年を信じ続けます。
ついでに1914年や1919年も。
これらは一般常識から離れても聖書が述べているからという理由で
エホバの証人が採用している教えです。
話を元に戻します。
ものみの塔は冒頭で引用した記事でわかるように1990年代に至るまでに
少しずつ文面が変わってきました。これは「人々の人気を失わない」ため
なのか、あるいは単に考えを変えただけなのかはわかりません。
では続いて、1946年に発行された育児書を見てみましょう。
ここでは子供を小さなうちから褒めることの大切さが述べられています。
スポック博士の育児書 p.60
親からこどもたちへの最大の贈りものは、愛情です。そして、その表わし方は
無数にあります。たとえば、いつもやさしい顔で接し、ときには抱きしめ、
何かをやり遂げたときには褒めてやり、…責任感と高い理想をもった
りっぱな人間に育てることなど、みんなそうです。
この本の初版は1946年です。1997年の「子供をのびのび育てる」の記事に似ていますね。
スポック博士に関しては
ベンジャミン・スポック博士
をご覧ください。
実はこのスポック博士は、ものみの塔協会からは「放任主義」を提唱していた人としてやり玉にあげられていた人です。