平信徒は教育を受けた司祭から神の救いの言葉を聞く必要がありました。
現代の「ものみの塔」は各国語に翻訳され誰もが読むことができます。
平信徒も聖職者も皆同じ教育の糧を得ることができます。
しかし時々、 長老たちにだけ特別な啓発 が与えられるときがあるようです。
ここでは一つの例を取り上げます。
まず以下のものみの塔の記事を読んでください。これは一般に配布されて誰もが読めるものです。
*** 塔97 1/1 26-29ページ 邪悪なことは憎悪しましょう ***
「会衆の子供たちを保護するためにも,子供にわいせつなことをしてきたことが知られている人は,会衆内の責任ある立場に就く資格がありません。また,開拓者になることや他の特別な全時間奉仕を行なうこともできません。」
では、この記事の文面はどのように解釈することができるでしょうか。
上記の文を、児童虐待の前科があると責任ある立場には就けないという意味に受け取りませんか?
「会衆の子供たちを保護するため」の素晴らしい取り決めのように受け取りましたか?
実は違います
この記事が出てからすぐの1997年3月14日に、協会は長老たちに特別な手紙を発送します。
![$エホバの証人研究](https://stat.ameba.jp/user_images/20120923/23/jwstudy/a4/53/j/o0550014112203231070.jpg?caw=800)
その手紙は訳すと以下のようになっています。
1997年の1月1日号のものみの塔の記事「邪悪なことは憎悪しましょう」の29ページには「子供にわいせつなことをしてきたことが知られている人」が会衆の特権を得る資格がないということが述べられています。ここで述べられている個々の人とは、過去に児童虐待を行ったことが社会やクリスチャン会衆に「知られている」人を意味します。
つまり、長老たちが知っていても、地域社会や会衆の人たちに知られていない場合は必ずしも当てはめなくてもよいということです。
さて、問題はこのような特別な理解を与えられた長老たちは平信徒に理解を分け与えるのかということなのですが、どうやら与えてくれないようなんです。
というのは、この長老たちの手紙、冒頭の部分には大文字で
「CONFIDENTIAL(内密)」
となっていて「平信徒には話すな」という内容のようです。
![$エホバの証人研究](https://stat.ameba.jp/user_images/20120923/23/jwstudy/04/22/j/o0679038912203249394.jpg?caw=800)
わたしは児童虐待に関して魔女狩りのような風潮は行き過ぎるとよくないと思います。性的虐待も悪質さには幅がありますし、すべて一律につるしあげるようなこともよくないとは思います。
ただ腑に落ちない点があります。もう一度前述の「ものみの塔」を見てみると、
*** 塔97 1/1 26-29ページ 邪悪なことは憎悪しましょう ***
「会衆の子供たちを保護するためにも,子供にわいせつなことをしてきたことが知られている人は,会衆内の責任ある立場に就く資格がありません。また,開拓者になることや他の特別な全時間奉仕を行なうこともできません。」
「会衆の子供たちを保護する」ということが真の目的なら逆なんじゃないかなと思います。
前科について会衆の人に知られているなら逆に再犯の心配は少ないわけです。