エホバの証人研究のサイトを立ち上げてから数カ月がたちました。
ご覧になっていただいている方は、このサイトはどんな立場の人が書いているのだろうかと疑問に思われているかもしれません。
信仰に関して少しだけ自分のことを書こうと思います(基本的に自分の事は書かない予定です)。
■信仰について
わたしは以下の言葉に強く賛同する立場です。
ウィリアム・K・クリフォード
「どんなときでも、どんな場所でも、どんな人にとっても、
不十分な証拠に基づいて何かを信じることは、間違っている。
It is wrong always, everywhere, and for any one,
to believe anything upon insufficient evidence. 」
この原則にのっとり、聖書のふ謬性、神の存在も、精査されるべき対象であると考えています。
これについては自分の考えをまとめて少しずつ記事にしていこうと思います。
■エホバの証人について
・親族にエホバの証人がいます。
・基本エホバの証人に対して悪い感情はもっていません。
エホバの証人に関する記事を書く動機は、エホバの証人が聖書を知らない人に伝道したいと思う気持ちと同じなのではないかと思っています。
■記事の内容について
幾つか聖書解釈についての記事を連載する予定です。目的は別の信仰を推奨するためではなく、純粋に聖書の言葉の元々の意味を提示することです。視野を広げるのに役立つと思います。
そして順番は未定ですが以下の内容をシリーズ化して連載する予定です。
・エホバの証人の深刻な問題点(根本的な問題だけに絞ります)
・聖書のふ謬性についての問題提起
・神の存在についての問題提起(進化論と創造論の検証)
記事の内容はそれぞれ視点は異なりますが根底には上にあげたクリフォードの言葉が考えにあります。
■お知らせ
以下の記事が追加されています。
(新しい記事順)
- 聖書解釈 – 臨在(マタイ24:3)②
- 聖書解釈 – 臨在(マタイ24:3)①
- 聖書解釈 – 思慮深い奴隷(マタイ24:45)②
- 圧倒的な信任状
- ロルフ・フルーリ – ものみの塔の強い味方
- 要点をぼかす – ものみの塔2011年10月号
- 聖書解釈 – 思慮深い奴隷(マタイ24:45)①