「勇気」 って 何だろう…① | まめちゃん くらしを見直す!

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母親の胎内環境から既に悪く、乳幼児期から最悪な食生活で育てられたために 病気のデパートだった、生きているのが奇跡だと医者にも言われ続けて来た身体を、あらゆるセルフメディケーションにより作り直し中。きっとお役に立ちます!

今回の問題を

とりあえず克服(もしかしたら、永久に克服)した身として


「勇気」って

本当は どんな事 なのだろう?


と深く考えてみた。




こんなの自分には当てはまらないという人もいるだろうし、

考え方が変わりました

という人もいるだろうと思う。



あくまで私の経験から割り出した考え方が、誰かの役に立てれば

というスタンスで書いていく。





少し前の記事で述べた。

楽しく付き合っていたブロ友に

彼女のブログの中で 私が公開処刑されているのが分かってしまい、

決裂した話である。





一昨日、

そして昨日は、

この記事で述べたように



彼女が正しかったのだろうか?

私に勇気がなく、保身に生きている 意気地なしなんだろうか?


と、本気で考えてしまった。




しかし、昨日、私は

いわゆる特攻隊になり、

捨て身で夫に突撃し、

多分今回は 勝利🏆した

という事を確信した。




保身🟰自分や大切な人を守る

この事に


勇気を出したのである。




よく、SNSで挙げられているが、

華奢な母犬、母ネコが、捨て身で我が子(それはすなわち大切な子たちを失いたくない自分)を

命懸けで守ろうとして

自分よりも遥かに強い敵に立ち向かう


というものであり、

一種の保身である。




別れを選ぶのは

その時 立ち向かうのを避ける事であり

食い下がらないのを避ける事であり、

相手を変化させるのを やってみないうちから諦める事である。



アドラー心理学によれば

反省し、自分を変えるのはその人の課題であり、他者は踏み込めないし、結局は無理なのである



という事で…



私もそれを正しい、うん、その通り!と確信していた。

が、違うのだ、と分かった。




人が、他者により、生き方やスタンスを180度変えられた、

という話は枚挙にいとまがない。




それは、

変化した人が

どれだけ「本気度が凄まじい」を見たか?

(行動でも、論議でも、である。)



という事による のだと私は思う。




私が本気度が凄まじいのを夫に突きつけたのは、夫を完全にそれまでのサイコパスな部分を封印するに至らしめるためであった。



リスクが高い事だった。

母犬、母ネコが、相手に殺されるリスクが高い のと同じくらいに。



なぜなら、

夫の反応が、

「あぁ、分かったよ。お前なんかもう必要ないわ。俺は絶対悪くないし それを考え直す気もないし。ボロアパートさっそく契約してサッサと出ていき、少ない年金で一人で生きていけ!」

という返事が返ってする確率が五分五分

だったからである。



虚弱なシニア女性が 仮に生活保護が通ったとしても、あらゆる面で苦労を受け入れる覚悟が必要だったのだ。





しかし、

仮に相手が巨大な熊🐻であっても

その 凄まじい気迫に圧倒されて、おとなしく立ち去る というのを見て来たと思う。




母犬、母ネコにとって

一番簡単で 手っ取り早い保身とは

自分だけそこから一目散に逃げる事である。


しかし

それは確実な保身ではない。

なぜなら、熊に追いつかれて自分がまず殺され、次いで子ども達のところに戻った熊は、子ども達をも殺してしまうかも知れない。


たとえ逃げ切ったとしても

大切な子ども達は、全滅である。





私は長い人生経験の中で見て来た。

身近にたくさん見て来た。

別れを選んで、その後

とんでもなく苦労している人たちを。

夫源病による心身の不調からは、一時的に解放されるかも知れないが、


その後の人生の、長い長い苦労と

自分を守ってくれる存在がなく、自分で自分を守り続けるしかない姿

をたくさん見て来た。



置いて来た子ども達とは 本当に仲良し

という感じではなくなり、冷めた関係になっているのもたくさん見て来た。




夫源病から逃れるために

本気で戦うのを諦める、やめることが勇気だと思っているなら、

それは違うかも知れない


という事を

このシリーズで書いてみたい。




人間関係は

どれだけ本気や誠意を見せるか

によって、必ず変わると思う。



相手の課題には踏み込めないし踏み込むべきでもない

という心理学は


今や私の中には存在していない。



続く。