創造神は、なぜ人間を創りたもうたのだろう。
創造神は、「ご自分の像(イメージ)に人を造った」そうである。
だから、人には 他の動物にない、創造性、愛や哀しみや嫉妬…など、複雑な能力や感受性、感情がある。
人には
自分を認めて欲しい
という感情があり、他との関係性によって生き甲斐や幸不幸を感じるものだ。
無人島に一人 流されたとしたら、
オシャレも化粧もしないだろうし、
愛や妬みも感じないかもしれない。
多くの人が
様々なSNSで
自己アピールと、「見て見て、私を見て」
に余念がないのは
そういう事なのである。
考えてみれば、
人間は創造神のイメージなのだから
創造神も
私を認めてほしい
という感情をお持ちなのだろう。
植物も、人間以外の生き物も、
創造神を認識することはない。
神々しい景色を見て
思わず創造神を讃美したくなるのは人間だけだ。
幸せだなぁ、
神様ありがとう✨✨
というのも人間だけである。
何でもそうだが、
認識されないものは
存在していてもいなくても一緒なのではないか。
認識して
讃えたり感謝したりする人間という存在がいてこそ、
創造神は存在できるのである。
人間も、
一番辛く、かつ悲しい、嫌な事はシカトされる事である。
居ても居なくても同じだよ、
という態度を取られることである。
創造神も同じなのだろう。
荘厳な景観、日の出や日の入り、夕焼けの美しさ、花々の可憐さなど、
創造神の作品を評価し、感動するのは人間だけである。
自らの存在をアピールして
それに応えてくれるのは人間だけなのだ。
動物は、いま、この瞬間や、限られたテリトリーしか認識しないが、人間は悠久を思い、
想念は時空を越える。
精密な宇宙の成り立ちに想いを馳せるのも人間だけであり、
人間が存在しなければ宇宙は
あっても無くても同じなのである。
もし、
我々に、サプライズの贈り物が🎁届いたとしよう。
送り主の名前がない。
でも、我々は考える。
誰だろう、と。
そして、仮に送り主が突き止められなかったとしても、
「どなたかは存じませんが、有難い有難い…」
と思うのではないだろうか。
やったね!ラッキー🤞
で終わる人は居ないだろう。
つまりは、
創造神は、
人間を造り賜うたとき、
自分を認識し、感謝し、
自分を創造神たらしめる存在が
必要だったに違いない。
美しく咲き誇り
短い期間の感動を与えてくれる桜🌸🌸🌸のトンネルを通過しながら、
これらを愛でて幸せを感じる存在が欲しかったのだろうな、
と
ふと思って
これを書いてみた。
創造神に感謝することは
探すといくらでもある。
