自分の居場所じゃない…
そう感じたことはあるだろうか?
私はそう感じていた。
あなたのIQと成績ならば、望む者には何にでもなれます、と小中高と言われ続けて来た。
そう言われ続ければ、
あ、そうなのかな…と思うようになった。
病気ばかりで学校は しょっちゅう休んだ。
それでも、進んでしまった箇所は教科書をサッと読めば何も困らなかった。
親も周囲も期待していた。
病気ばかりするのも、子どものうちだけだろう
と 軽く考えていた親は
どこよりも ずさんな食生活のせいだ
という事を考えてもみなかったので
大学の時から
私の身体は致命的になった。
普通なら死ぬような大病が19歳から始まり、
2年に一度ほど 救急車🚑で搬送されたまま緊急入院となった
というのを繰り返した。
当然ながら
卒業は一年遅れ、
内定していた就職も無くなった。
何とか卒業したものの、
就職して勤務するだけの体力がないため
都内から実家に戻り
親に養ってもらいながら一生独身
という未来図しか描けなくなった。
そんな時、
今の夫が 私を一生食べさせる、
子どもが出来ないのは覚悟している、
と言ってくれた。
彼だけが
こんなに価値のない女を拾ってくれたのだ。
やがて育った環境や価値観のせいで
ステルナ星人となり、
些細なことですぐにキレるわ、
毎年のように引っ越しを繰り返すわ、
私が なまじ努力家で、病弱をおして気力だけで動いているのを良いことに病弱を忘れ、
あれこれ厳しくキャパ以上の事を求めるようになるわ、
それをクリアしていないとブチ切れるわ…
私の苦労と絶望感に満たされる日々が始まったのだった。
医者にお墨付きをもらった「子どもは出来ないだろう」は 奇跡的に?はずれ、
三人次々と生まれた。
その子育てだって、病弱の身には辛かったのに
プラスのあらゆる苦労があった。
ただの主婦になり、
しかも憔悴し切るほどの苦労の人生…
望む者には何にでもなれる と言われたメタ認知とリアルの大差。
次第に強くなる思い…
ここは自分の居場所ではない…
しかし
私の体力の無さを本当には理解していない人が
度々勧めて来るように、
すべてを捨てて一人になり、
新しい自分、
自分らしい自分になり、
ホントに願う事をしたら?
というのは、
仮にそうしたとしたら
私にはどんな生活が待っているのかを
想像力を働かせて見れば
いかに無謀な勧めであるか
がわかる。
(しかし私の事を本当に気遣って、親身になって言ってくれているのは ヒシヒシと伝わるので、嫌な気持ちではない!)
子ども達が大好き😘なパパを捨てて子ども達とも気まずくなり、
生活保護を受け、
(仕事をするほどの体力は やはりない)
それで暮らせる古くて狭いアパートを探し
誰かと会ってランチを楽しむ金銭的余裕もなく
倒れたら寂しく孤独死するのだ。
そう、
よくよく考えてみた。
「本当の居場所」
「本来の居場所」
などと言うものが 果たして人にはあるのだろうかと。
もし、あの時 こうしていたら(いなかったら)
私は今頃 こうなっていたはずだ…
こんなものは実はないのだ。
こんなものを考え始めたら
自分には別の 幾通りもの人生があり得たわけであり、
本当にキリがない。
しかも
今の人生を
死ぬまで 不本意な人生を送っている自分と向き合うだけ
にしてしまう。
たまたま
朝ドラの、千代の姿が私に教訓を与えてくれた。
それは、
仕事が特にない日には
周りはさっさと帰ってしまう事にしていて、千代にもそれを勧めたが、
千代は帰ってしまうどころか
将来の役作りにも活かせると考え、髪結いの修行に時間を使うことにしたのだ。
しかも
かなり見下され、コケにされ、こき使われてもめげない。
ここは自分の居場所じゃない
などと考えずに
自ら居場所を作るのだった。
人は誰しも
初めから居場所を確保されている訳ではない。
思い通りの居場所が手に入るとも限らない。
しかし
居場所を作って
やがて その居場所をグレードアップさせて行くことが
人生を面白くさせるのではないだろうか。
千代の姿勢から学ばせてもらった。
こんな人生になるはずがなかった、
と思いながら生きるのと、
今の人生が実は私の居場所、ここで最高の咲き方をするのがミッションなのだ、と思いながら生きるのと、
同じ事をするならどちらが幸福だろうか。
そう、
私は、ただの虚弱主婦として
今の人生を最大限に輝かせて生きて行こうと決めた。
飛び出す事が 変わる事ではない。
そこにいて
最高の居場所に変えて行く事が変わる事 なのだ。
居場所がない
居場所ではない
そんな下らない
ネガティブな思いに囚われている暇はない。
今日が人生で一番若い最高の日なのだから。
