あらたな 「使命」  ⑦ | まめちゃん くらしを見直す!

まめちゃん くらしを見直す!

母親の胎内環境から既に悪く、乳幼児期から最悪な食生活で育てられたために 病気のデパートだった、生きているのが奇跡だと医者にも言われ続けて来た身体を、あらゆるセルフメディケーションにより作り直し中。きっとお役に立ちます!

病院🏥のベッドで、
病院らしい部屋を見ながら、
病人らしい格好をさせられ、
身体にあれこれ装着されて、
病人らしい食事を食べ…


それが、
ますます人を
病人らしい病人
にしていくのだと思いました。


普通に暮らし、
普通の格好をし、時には思いっきりオシャレまでし、
好きなもの、
美味しいものを美しい器で食べ…


病人であることを
忘れる方が
どんなに気分良くなり、
その気分の良さが 体調回復の要である 免疫力を高めるのか。


それを 過去の経験から
思い起こしていました。




人は
自分が思っているような人になるという事も 信じていました。


もう歳だから
と思えば そのようになるし、
まだまだ何でもできる
と思えば そのようになるし。



そのために、
私は 病人らしい生活を 徹底的に拒否したのです。


しかし、
重荷を下ろして 楽に生きることと、少しでも毒を入れない生活にすること
これだけは 頑張ろうと思いました。


私にとって、重荷となるのは
苦手な事を頑張ること。


苦手な事の一つは、
家族以外の誰かと長時間過ごすこと、片付け、整理整頓、掃除🧹🧼🧽
です。


理由なく苦手なのですから、仕方ないのです。


どれも、本当に やりたい!
と思えるまでは、極力やらずに
自分をラクにしてやりたいと思いました。



7〜8年間は、
ほとんど他人と関わらずに生きました。友人は多い方ですが、
理由を告げずに 音信不通にしていました。


向こうから、心配して 関わりを持ってくれる数人とだけ
細々と交流を続けていました。


自分が嫌いになるほど家が散らかるまで、とことん放置していました。


とは言っても、
客観的に見て、(今もそうですが) 一見すると 特に汚くも
散らかってもいない、
ギリギリの状態には していました。


お金は、ラクをするために使う事をいといませんでした。
ちょっと疲れていれば、タクシーをひろい、電車に乗る時はグリーン車。


食事を作りたくない日には
どんどん 美味しい店に食べに行く。
「作るの いやだ! 食べに行っちゃおうよ!」
今まで そんな事を言ったこともない私が 平気で家族に提案するようになりました。

そんな事を 決して許さない夫、どんなに簡単なものでも作れよ、家で食べたいんだから!と叱るのが常だった夫も、
私の気迫には負けて、なぜか2つ返事で外食オッケー👌にしてくれる人になりました。




とことん、
気楽に生きることに徹したのです。


その期間、体調は ゆっくり良くなる事はあっても
悪化した感覚はいっさいありませんでした。


劇的な回復こそ なくても、
悪化しない、
少しは上向いてきた、


それだけで満足でした。



続きます。