いいところで そそくさと帰って行く…
こんな風だから 彼に嫌われてしまったんだ…
こう思い込んで、思い詰めてしまい、ジャンクフードさえ喉を通らず、激痩せしていき、
ついに38キロまで落ちてしまいました。
どうせ寮では夕食は食べない。
入浴の順番が回ってくる時にはしばしば疲れ切って寝てしまい、下手をすると三日以上入浴出来ていない。
こんな風じゃ、寮にいる価値は全く無いんじゃないか。
こう思った私は、
アルバイトを増やして家賃を工面すれば良い、と踏み、
大学から徒歩五分のエリアに建った 新築のアパートを見つけて契約しました。
二十歳になっていました。
しかし、
その頃から、ますます体調不良が悪化。
バイトを増やした疲れと、
さらにジャンクフードしか食べなくなった生活のせいで、
ついに、ある夜、
アパートの自室で猛烈な脇腹の痛みに悶え苦しみ、高熱で意識が朦朧とする中、
自分で救急車を呼びました。
急性腎炎と、肝機能障害でした。
そのまま入院となりました。
驚いたことに、
病院に真っ先に駆けつけ、
しかも2週間の入院中、毎日通って届け物などをしてくれたのは、離れていよう、と言われてから 数ヶ月 音信不通だった彼でした。
私が、キャパを超えて無理をしているのが分かったので、体調が良くなるまで 無理に会わずにそっとしておいてあげたい、
と言う意味で 離れていよう、と言った事が後からわかり、
しかも、これからは自分が付いててあげないと私は無理だ と思ってくれたそうで、
とことん、身体の問題を抱えた私に寄り添ってくれました。
この思い出があるから、
結婚から現在に至るまで
あらゆる苦労や、彼の嫌な面を味わわされても、
離婚に至らなかったのだと思います。
やがて、小康状態になり、退院しました。
それでも、疲れ易さは半端なく、長期休みには実家に帰省して、毎日上げ膳据え膳でゴロゴロしていました。
その頃の母親は、やっと少し料理に目覚めていて、友の会というところに所属して、まともな食事を作ってくれるようになっていました。
それでも、またアパートに帰ると、毎日いい加減なものばかりを口にする生活に戻りました。
まともな食事を作る術を知らなかったのです。
21歳になり、危篤を味わう事になります。
続きます。