稽古のなかでこそ、ハッキリと感じ取れるものがあります。

たとえば、呼吸と踊りの関係です。

クラスの中で、特に呼吸と踊りの関係を感じることが多いのは「踊り入門」や「コンテンポラリー/舞踏」のクラスです。

踊りは呼吸から発生しますが、それ以前に、呼吸そのものはどこから発生しているのでしょうか。呼吸、というより、呼吸意識、という方が良いかもしれません。ここに言う呼吸は生物学的なものだけではないからです。

踊りの稽古を続けてゆくと、いつしか、呼吸から、様々なものが感じ取れるようになる筈です。

まずは落ち着いて息をすることが身につくだけでも心身の変化は始まりますが、呼吸の作用は個体というものを超えて様々なものとの関わり方を変えていきます。

呼吸に対するデリカシーが足りないと、他者の発する言葉や雰囲気に対しても不寛容になりますし、外から訪れる音や誰かの奏でる音楽に対しても、好き嫌いが先に立ってしまったりして、的確に動きがつながるようになって行かない感じが、僕の場合はあります。

呼吸は、自分だけのものではなくて、環境や他者との相互の行為であるように思えます。だから踊りに関係が深いのだと思います。踊りは自分を表現するものというよりは、自分と何かの関係を表現していることが多いからです。

ダンスの動きは、頑張り突っ張る動きではなく、戯れあうような、何かと何かが相対する動き。つまり呼吸としての動きです。そこには、何かを受け入れてゆく楽しみと、受け入れられてゆく喜びが、共存しているようにも思えます。

呼吸は、まず、静けさを聴くことから始まると、僕は思います。

静けさを聴くためには、さて、、、。

 

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緊急事態宣言発令期間中は日程や時間を変更して継続活動します。臨時変更や休講などはこのブログ最初のページに掲示いたします。ご参加日の直前に必ずご確認ください。

※ただいまの期間は、ごく少人数で広く間隔をとった、静かなお稽古となります。ご予約は早めにお願いします。

3月からは、平日昼間のクラスを開始します。ぜひ、ご参加ください。

 

 




 

出先で眠れず、思い出したメモ書き(ダンスノート)がありました。

当時のまま正確とはいかないけれど、思い出すままに再記してみました。

 

「夜、深い森の中に入っていくと、身体は動かざるを得ないような感じになる。

たとえ、ある場所に踏みとどまったとしても、非常に敏感に周囲を感じ取ろうとし始める。

それは風景に与えられる情感や感傷に浸るエモーションとは少し違っていて、どちらかといえばサバイブのための能力がふと現れるような感じである。

闇と冷気と深い森の匂いに包まれて、ある種の危機感と同時に、普段にはない敏感さに満たされてゆく感じかもしれない。

生の持続のために、本能的なことかもしれないのだが、その場所の特徴やその場所に存在する何らかの力を読み取ろうとし続けるような感じ方かもしれない。

僕らは、瞬間瞬間に発生する、環境との呼び交しのなかで、ようやく生を許されているのではないかと思うのだが、、、、、、。」

 

たしか、ほぼこんな感じだったのではないかと思います。

かなり前に書いた文章で、過去の公演チラシでも引用したことのあるメモなのですが、昨年から、なぜか、思い出すことが多いのです。この情勢のなかで、それこそ、生の持続のために、ひとりひとりはなにをすれば良いのだろうというようなことを思わざるを得ない日々が続いているからでしょうか。

新作にも関わってくるかもしれないです。

 

 

 

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※3月からは、平日昼間のクラスを開始します。ぜひ、ご参加ください。

 

 

 

 

レッスン報告が続きますが、、、。

きょうはフリークラス「踊り入門」の開講日でした。

このクラスは、自由に参加し、自由に踊る、ということを通じて、心身を緩め、元気になっていただくためのクラスです。

西荻窪に、〈ほびっと村学校〉という、大人のための学び場があり、体のこと、心のこと、衣食住や子育てのことなど、さまざまな知恵を交わしています。その中の「舞踏クラス」として、このクラスを続けています。

感性のおもむくまま、心のままに、体を動かして交感することは、ダンスの原点とも言えます。

感情がグッと湧き上がり思わず体が動くこともあるでしょうし、どうしたら良いかわからず困ってしまうことや、イメージはあるのに体が反応してくれないこもとあると思います、が、それらいずれもが、体との対話体験なのだと僕は思います。

困ること、考えること、解決にむけて動くこと。これらは芸術の核になるものを与えてくれそうな気がしてならないのです。

ある種のスタイルや方法から一旦意識的に離れて、個々の肉体に向き合い直すこと。

一旦、体ひとつの存在として、土や空気や音や言葉や、何よりも自分自身に、関わってゆくこと。

そのような稽古の積み重ねが舞踏の出発点になると僕は考え、このクラスのレッスンを構築しています。

ひとりひとりが、自分自身から出てくる動きを確かに受け止め、どんな動きにも気持ちを込めてゆく、という稽古を積み重ねてゆくことは、全身に心配りが行き届いたしっかりしたダンスに、必ず結びついてゆくと確信します。

このクラスを始めたきっかけは、ポルトガルでのソロ公演を行った時に同時開催した国際ワークショップでの指導経験でした。それは同時に、舞踏なるものと僕個人の関係を探り直すきっかけでもありました。そのあたりのことは、思うこと多々あるので、またいつか書いてみようと思います。

ほびっと村学校・舞踏クラス『踊り入門』、次回は2月4日。

3月からは昼間のレッスンも追加します。毎月第1第3火曜日14:00〜16:00

ぜひ、ご参加ください。

 

 

 

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「オイリュトミー」のレッスンを行いました。

オイリュトミーは、ドイツ発祥の舞踊芸術で、自然な運動で身体的負担が少ないことと感覚の発達を促すため、幼児からお年寄りまでがエクササイズを楽しむことができます。

ダンスやバレエ以外にも、音楽、演劇、教育など、さまざまな分野から注目されてきましたが、その大きな特徴の一つが、「響きとして踊る」ということを目指すこと。つまり、自分の思いや考えを伝えるためばかりでなく、他人の言葉やまわりから聴こえてくる音を受け止めて全身で反響するような意識で踊るということです。

聴こえてくる言葉のもっている力の波や色彩感の広がりを身体で表現する。鼓膜を通じて心に届いてくる音楽の音の戯れやリズムや共鳴を全身運動にして味わい尽くしてゆく。体で聴く。

具体的には、テキストの朗読や音楽の演奏を聴きながら、そのサウンドを丁寧に全身の運動に反映し、それらと共鳴するように踊ってゆくのですが、それは、理解したいという気持ちが踊りになる、ということでもあります。

わかってもらいたい、という気持ちで何かを表現するのとは対極的かもしれないのですが、傾聴し、受け止めようとし、響きあおうとしてゆく、ということもまた、芸術の大切な側面と思えば、納得できる方向性です。

たとえば美術のもっとも基本において目に見える風景を丁寧に描いてゆくことがあり、それが心の落ち着きや注意深さや観察力や妥協のない努力や人間的な成長に関わるのと似て、オイリュトミーは心に映るものを身体表現で描写してゆくとも言えます。

これは実際に稽古してゆくと、かなり感性を刺激するし、何よりも細やかで敏感になってゆくのが自覚できて、なんだか視野が広がってキャパシティが大きくなってゆくようでもあります。

踊りが体が柔らかくするのは当然ですが、このオイリュトミーは、体ばかりでなく「アタマを柔らかくする踊り」と言えるかもしれません。

僕はこれを学んでとても良かったので、ダンサーとして独立してからも練習し続け、希望者とのレッスンもしてきました。いまだに面白さが尽きません。

このごろは、言語オイリュトミーでは、言葉を発する声が放つエネルギーの表現に、音楽オイリュトミーにおいては、音の響きと心身の相互作用に、じっくり取り組んでいきたいと思っています。

長いコロナ禍とオンライン化の中で、僕らは生身でしっかり語り合うことや、音楽に全身で浸ってゆくことから遠ざけられています。この状況ゆえにこそ必要な、心の呼吸とでも言えるようなことが、オイリュトミーの稽古を通じて、できるといいなと思うのです。

興味のある方は、ぜひ、加わってください。

 

 

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きょうは、土方巽さんの命日でした。夜『踊り入門』のレッスンが重なりましたので、集まった方々といっしょに、土方氏の文章をいくつか、読み、踊り、味わいました。

氏の文章の中でも、僕の場合、特に惹かれるのが『犬の静脈に嫉妬することから』と題された断章で、この文章を読むたび、痛覚が連動するようで、どうにもじっとしていることができない、生理の奥からの痛いような悲しいような、咽がからからに乾いてゆくような感触がしてなりません。そして、子どもの頃の淀んだ川や粉っぽい空気の記憶とともに、生々しい暮らしの匂いが蘇り押し寄せてきます。いまの東京には居ない犬が、土方氏の言葉の中には低いうなり声をたてながら、じっとコチラを睨みつけているように感じます。昭和44年の美術手帖が初出のようですから、僕が小学校のころです。筑摩の単行本『美貌の青空』にも入っています。上の写真がそれ。装幀は詩人の吉岡実さんです。

土方巽さんは1986年に亡くなり、当時の僕はまだ21歳でしたが、最後になってしまったシリーズ公演を、いまもよく覚えていて、脳みそに染み付いてしまったシーンもあります。あるときは、舞台が交差点のように組まれていたのが、真っ黒な十字架に見えてしまったり、その十字架と田んぼの畦道が、なぜかダブり重なってしまった、という妄想も覚えています。池袋西武のスタジオ200で展開されていました。亡くなられた時、いや、もしかすると、ご危篤という時点だったかもしれないのですが、その場所の廊下に大きな貼り紙がされていたような記憶も幽かにあります。この人が亡くなるということが、ある季節の終わりであるように感じたのは確かです。寺山修司氏が亡くなり天井桟敷が解散したときから数年しか経っていない頃で、なんとなく、ひとつの大きな波が引いてゆくような感じもしていました。

当時は、劇場にも書物にもギャラリーにも、湿り気や暗さや重さを嫌うかのような新しい波が来ていましたが、その波は明るく開放的なのに、なぜか親しくなることができなくて、対して、土方さんの舞台はそれとは真逆で、暗さ重さが極まり、湿度も高い感じだったのですが、ものすごく近しく懐かしい感じがあったのです。

土方氏の公演を初めて観たのは18歳のときでしたが、異様な緊張感に巻き込まれそうになりつつ、その反面、どこか違和感も感じ、その違和感にまた心を動かされる、という、矛盾や混沌がある独特の経験をしました。以来、亡くなるまで、わずかの間でしたが、観れるだけの回を観ました。

異なる肉体、異なる心、異なる存在、というようなものが、非常にくっきりと目の前に在って、それを感じることから、理由はいまだにわからないのだけれど、強い違和感と強い肯定感が同時に湧いてくる、という、非常に独特の感覚を体験しました。そういう複雑な気持ちのまま魅せられ続けた経験は、土方氏の舞台以外では、いまだありません。

土方巽さんの命日。この日が来るたび、何か書きたいと思いつつ、どうにも書けないということが続いております。思いは色々で複雑で、それゆえ、簡単にコトバにすることができないままなのですが、それは、氏の作品や言動が、いまだに僕の心を動かし続けているということなのかもしれません。

コロナ禍の東京の夜を歩きながら、ひしめきあうようにして見つめた、土方さんの舞台の光景を、ふと、思い出します。

 

 

 

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すこし前に、劇場なるものについてちょっと書きましたが、去年からコロナ禍のせいで劇場や映画館に行く回数が非常に減ってしまいました。今年はどうなることかと、気持ちがざわざわしております。

コロナ禍が始まって以来、仕事で劇場に行く回数が激減したこと以上に、観客として劇場に行ってナマのダンスや演劇や音楽を味わう機会そのものが非常に少なくなったのは精神的に打撃でした。

その反動なのか、さまざまな方法で、まるで学生時代のように、観れるだけの映画を観ました。が、観るたびに少し空虚を感じもしました。

モニター画面の向こうで大きな音と眩しい光による世界が展開すればするほど、かえって、いま目の前にも隣にも「誰もいない」ということを感じてしまい、この現在の状態、人と人の関わりに制限がかかってしまった現実を、かえって思い直してしまうのでした。

映画を観たと言っても、配信のものを自宅受像機で眺めるのと、映画館に行って観るのでは「場」がちがいます。

昨夏あたりはひととき少し映画館も行きやすくなり、大きなスクリーンや良い音響のせいもありますが、それ以上に、やはり、見知らぬ他人同士が同じ空間で同じものを観ている、という共有感や温度から生まれて来る「場の力」が、作品と絡まりながら心に働きかけてくるのを実感しました。

ところで、映像は「不在」と隣り合わせなのではないかということを、虚しさではなく非常に深い感動に結びつけたのは、フランスのマルグリット・デュラスとポーランドのイエジー・ハスではないかと僕は思っているのですが、近年では、そのような方向を感じる経験には、まだ恵まれません。

それでも、胸に迫る経験を与えてくれたのが、現代美術家のゲアハルト・リヒターがモデルと言われる『Werk ohne Autor ある画家の数奇な運命』という映画でした。昨秋に銀座で鑑賞しました。傑作と思います。

この作品の監督はフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクという人で、東独のシュタージを巡って展開された『善き人のソナタ』で有名になった人ですが、この作品では、ものすごく心理的で繊細なセンスが全カットで感じられ、美しい映像の向こう側からは常に死者の声が聞こえてくるようでした。

人間の暗く切実なものが映し出され、ひりひりするような緊張感と危機感が発され続けるのでした。重厚な、3時間を超える映画でした。

ナチスによる退廃芸術展の再現に始まる冒頭シーンは強烈なインパクトで、それを観た幼い子どもが成長して世界的な美術家に成長してゆく物語がシナリオなのですが、その描かれ方が非常にラジカルで、シナリオの根底に横たわっているであろう語り尽くせない恐ろしい人類の悲劇と不安と怒りが深く深く轟いていて、ものすごい重圧で迫ってきました。

ホロコーストに関わるシーンでは、子どもには見せられない、心に穴があくほど凄惨な描写もありますが、それを超えるドラマが、ひたひたと波打ち続ける時の流れは圧巻で、生命の問題と愛の問題と社会の問題が、怖いほどリアルに混在して迫ってくる感じがあり、観ながら、そして、観終えて、この現代に生きるということの意味深さについて、重く重く考えさせられました。

リヒターとヨーゼフ・ボイスとの関係の描写は本当に感動的で、僕自身がボイスの芸術に出会った衝撃や、リヒターの実物を初めて見た日の衝撃を、あらためて思い出しました。

たとえば、新宿のワコー画廊で紹介されたリヒターの作品を目の当たりにして、あらがえぬ引力により、その場を立ち去りがたくなってしまった経験を、たとえば、青山の草月会館でのボイスの姿と声と存在感と会場の異様なざわめきを、思い出しました。

ある芸術作品に初めて出会う、その時の引力の、その時の衝撃が、この映画をみていると、蘇り、同時に、腑に落ちました。

芸術、と呼ばざるを得ないもの(あーと、とか、ひょうげん、と言い換えるのではなく)が生まれてくることへの畏敬と、現代的なメッセージが見事に重なって響き合う映画ではないかと思います。先に上げた『善き人のソナタ』の印象とも合わせて、ドナースマルク監督という人に興味を抱きました。

 

 

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急な事態による臨時休講や臨時変更などがある場合は、当ブログ最初のページにて告知いたします。しばらくは、稽古の前に必ずご確認ください。

・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)

・基礎(からだづくり〜ダンスの基本)

・創作(初歩からの振付創作)

・オイリュトミー(感覚の拡大)

・フリークラス『踊り入門』(ほびっと村学校「舞踏クラス」)

 

 

 

 

 

数日前の写真です。

表参道のビルにいたら、窓から富士山が見えました。

こんなところから見たのは初めてかも。

 

 

 

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昨年5月に美術家のクリスト氏が亡くなった喪失感がどうにも消えませんが、このたび公開されたドキュメンタリー『クリスト ウォーキング・オン・ウォーター』(アンドレイ・M・パウノフ監督、15日まで上映)を観ながら、あらためて回想し、あらためて尊敬の念をいだきました。

写真はそのチラシ。2016年にイタリアのイゼオ湖で行われたプロジェクト≪フローティング・ピアーズ≫の作業現場をくわしく撮影したもので、芸術作品の実現に付きもののトラブルや人間関係の葛藤、そして情熱の持続の困難さを、包み隠さず映し出される内容。作家の生々しい姿はもちろん、その活動を支える人々の仕事ぶりと熱と心意気がくっきりと映し出されている点は実に的確で、とてもリアリティのあるドキュメントでした。

「フローティング・ピアーズ」は、湖の水面に16日間だけ3キロの道を浮かべて人々が水の上を歩くことを実現する巨大な作品で、1970年代から作業が始まり、東京のお台場で行う計画もあったのが拒否され、2016年イタリアでついに実現したものです。このプロジェクトについて思ったことは当ブログに2017年にも少し書きましたが(link)、その実現された風景は息をのむ美しさです。

クリスト氏と奥様のジャンヌ=クロード氏のお二人が考え実行してきた、想像を絶するスケールの美術の実践は、僕にとっては本当に脱帽すべきことでした。彼らの制作の根にある姿勢と情熱と経済感覚に、僕はとても感動してきました。

一つの発想を何十年かけてでも実現すること。どんなに大きなプロジェクトでも、助成金を受けず、自己資金と売上だけで実行すること。超巨大なスケールで、それらを成し遂げてきたクリストとジャンヌ=クロードの仕事は本当に素晴らしいと思います。

個人が自由に、自立して、自らの責任のもとに、どこまでイメージに忠実で妥協の無い作品を実現できるか。その壮大な実験と決行の人生は、大切に記憶されるべきものだと思います。

クリスト氏の新たなプロジェクトは、パリの凱旋門をまるごと膨大な量の青い布と赤い糸で梱包する「L’Arc de Triomphe, Wrapped」で、2020年4月6日~19日に行われるはずだったのがコロナ禍のせいで延期になってしまい、氏は5月に亡くなってしまいました。意志を継いで2021年9月18日~10月3日の実現を目指して進行中だそうです。故人の心を響かせながら、秋のパリの中心に、どんな風景が出現するのでしょうか。その実現のときに向けて、私達は、その風景を楽しみ遊ぶことができる状態に、世界を回復してゆくことができるでしょうか。

 

 

 

 

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たとえば花のフォルムに、たとえば水晶の色彩に、いま、なにを読み取ることができるだろうか。どういうわけか、生まれ消滅してゆくことについて、このごろ、思いがどうにも強まってゆく。限られた時間を走っている。(from memo for next performance2021)

 

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ただいま、緊急事態発令期間のスケジュールを再編成しております。12日(火)に開講決定日の一覧を掲載予定です。