新作公演まで、あと2週間を切りました。
写真は通しリハーサルの一コマ。
出演者もスタッフも、いよいよ作業の山場です。ぜひ、ご来場くださいませ。
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開催日=2022年 7月30(土)〜31(日)
席数限定。ご予約はお早めにお願いします。
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写真=櫻井郁也ダンスソロ前回公演より
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雨のなかで、送り火を焚いている人があった。
パチパチと小さな音を立てて火が燃え、そこに霧のような雨が注ぐ。
小さな子供が傘をさして見ている。
夏は死者に関わる季節だ。
コロナからウクライナ戦争へ、そして先日の狙撃事件へ。
世界について社会について、人間そのものについて、ますます深刻に考えずにいられない状況になっている。
それは現実の世界についてだったり、生活についてだったり、ということばかりでなく、それらの出来事を通じて、もしかすると、死者が私たちに何かを伝えようとしているのではないか、というように、僕には思えてならない。
死者、とはどのような存在なのだろうか。
死者、という言葉の向こう側には、いかなる意味の広がりが、広がっているのだろうか。
メメント・モリ(死を想え)という言葉があることを知ったのは、思春期の頃だったと思うのだけど、その言葉が当時よりも身近になっている気がする。
その言葉から想起することが、より現在現実に近づいているということかもしれない。
そういえば、最も新しいという宇宙写真を観た。
NASAが開発した「ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」によるものだが、すこぶる鮮明な光の洪水である。
星の光は失われた場所から届いている。
星の光は死者の光とも言えると思う。
死者の光は、あの宇宙暗黒の何を照らし出そうとしているのだろうか。
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新作ソロ、本番まで残り3週間。連日の稽古や議論のなかで、ダンス公演というものについて、繰り返し考えさせられています。
今回のチラシ(↓)には、久々にイメージ写真を用いました。稽古プロセスをスタッフが見て試作したもので、言わば中間地点のビジョンですが、これがまた一つのキッカケになって僕自身も作品もかなりの変化を続けています。この月末の2回の本番で、どのようになるか、まだ想像がつきません。
裏面(↑)は過去作と現在をつなぐ意味で前回公演の記録写真から選びましたが、この数年のチラシは表に前作写真を使って舞台と舞台の連続性を示唆していましたから、今回は少し変えたわけです。
前作は昨年上演しましたが、これはコロナ以前に創作を開始し自粛による二度の上演中止を経て再構築したものでした。対して、今回の作品『やがて、、、(タトエバ切ラレタ髪ノ時間ト)』英題 ”WITH TIME" は、コロナ禍を経験し始めてから発想した作品です。それゆえ、コロナ以前には無かったイメージや身体感覚や空間が作品の核を形成していて、そこには何かしらの大きな変化が出てくるのではないかと、稽古を進めながら予感しています。これは僕のダンスが新しいタームに入ってゆくのではないかという予感でもあります。
また、上演の場についての感覚も、変わったと思います。まず一つは、社会状況に対する認識。次に「対面」とか「ナマ」ということの重みが、やはり大きくなっているということ。これらの点は、非常に大きいと思います。
今回の作品は、公演サイトに書いたように、僕自身の過去の記憶と目下の世界に対する眼差しが絡まって非常に大きな舞踊衝動になっているのですが、加えて、現況での現場感覚、ライブの場で生まれる瞬間瞬間というものに対する皮膚感覚が、本番では、かなり大きな要素になると思っています。
イメージはいつも一瞬一瞬の時間と運動感覚が絡まり合って生まれます。だからこそ一回一回のステージの「1回」という意味の重みがあるのだと思います。同じものを何回も見ることができるものとは極端な違いがダンスにはあります。同じ作品でありながら日々生まれ変わっていなければダンスという感じが、どうもしない。そのあたりのことを、今回の作品ではよく体験してみたいと思っています。
ふと思うのですが、ダンス作品は、人生の断片から膨らんでゆくのですから、作品というのは常に新しく常に現在でありながら過去や未来に深く関わろうとする、連続と非連続の重なりであり、矛盾や未知の要素を含んだまま訪れてくるもの、あるいは、生成される時間のカタチなのかもしれません。
さて、どんな作品が、どんな現場が、生まれるのか。
本番までひたすら変化し続けたいと思います。
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この数日、何度となくピーター・ブルックの事を思い出していた。
7月2日に亡くなった。それを5日の朝に知った。舞台芸術の巨匠である以上に大変な知性を僕らは失ったことになる。ショックを受けたままその日の昼に踊りのクラスをやったが、人が気持ちを込めて踊ろうとする一挙一動がとても大切にあらためて思えた。
クラス中、ふとメンバーから寺山修司のことが話題に出た。踊りながら、僕の音読を聞いて踊りながら、寺山の言葉を思い出したという。どんな?かくかくしかじか。ーーー。とても素敵な言葉だった。素敵だと思いながら、思い出していたのは、演劇や舞踊や映画が革命に結びつこうとしていた、あの雰囲気だった。僕なんかが居たのは、その、もうおしまいのころだったかもしれないのだけれど、それでも、まだ、ある種の異様な渇望と絶望が熱を帯びていた頃、寺山が亡くなり土方が亡くなり、穴があいたようなところに、熱や湿度や怒涛の代わりに何か軽やかで薄情な格好良さがウイルスのよう街を犯し始めた頃、芸術が「あーと」と言い換えられ始めた頃、いきなりピーター・ブルックが爆弾のようなカルメンを持って東京に来たのだった。
カルメンの悲劇。銀座に新築されたばかりのセゾン劇場だった。杮落としの一環だったのだと思うが、出来立ての劇場の客席をブルックはいきなり解体し、素朴で座り心地の悪いベンチに取り換えてしまったのだ。そして、真新しい舞台で本物の焚き火を燃やして、その炎の中で、カルメンの悲劇を上演したのだった。もちろん話題になった。だけど思い出すのは、どちらかというとそのような事件性やインパクトではなく、俳優の声や仕草や汗、あるいは手に持ったタンバリンの音、そして気がつけば食い入るように見つめたラストシーンだった。人間の内側に秘められた激しさをそのまま目撃してしまったようだった。舞台芸術が本来もっているラジカルさを、突きつけられた気がした。
さらに衝撃を受けたのはブルックの拠点劇場であるパリのブフェ・ド・ノール(Théâtre des Bouffes du Nord)で見たシェークスピアだった。舞台のみならず劇場の至るところが砂まみれで、砂漠のなかの廃墟のようになっている。そこでタイタス・アンドロニカスが上演された。ティンパニとラッパが何度も野蛮に吠えるなか、凄まじい戦闘が繰り返されるのだった。シェークスピア最後の悲劇にして異様な暴力世界が生身の衝突で体現されてゆく。これは恐ろしい力が人間に取り憑いて世界を崩壊させてゆくような感じを受け、ちょっと心理的なダメージさえあった。
もう一つ、鮮やかに思い出されるのがブルックの監督した映画『注目すべき人々との出会い』。有名な神秘家G.I.グルジェフ(この人については機をあらためて書きたい)の自叙伝のような話で、当時やたら話題になった後半の秘教的舞踊グルジェフムーブメンツのシーンを目当てに見に行ったのだが、より強烈に焼きついたのは、果てしない旅の感覚と砂のイメージだった。物理的に映っているわけではないが、主人公の若きグルジェフがリアリティを求めて彷徨い旅する世界が広大な砂漠のように見えるのだった。
ピーター・ブルックの劇を通じて、僕は人間なるものが秘めている途方もないエネルギーと謎を目の当たりにさせらてしまったのかもしれない。強く尊敬し続けると思う。
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stage info.
7月30(土)〜31(日)
席数限定。ご予約はお早めにお願いします。(詳細=上記タイトルをclick)
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photo=新作公演・現場リハーサルより
組織ではなく個の肉体を見つめようとする「独舞」を活動軸として20年を超えました。
舞台上の肉体を一つにする、という状態を最初から最後まで持続することで、意識の状態は独特の集中に向かっていきます。そして精神と肉体の関係が鮮明に表出されます。
そのような状況でのダンスを通じて、僕は、人間と人間以外のものの関係性について、あるいは、存在と存在しないものとの関係性について、想像力を広げてみたいと考えたのです。
そして、いつしか、死者のことや未誕生者のこと、喪失と未出現について、ということも、視野に入ってくるようになりました。
肉体には過去と未来が常に宿っているということでしょうか。
いまこの一瞬が最も創造的な地点あるいは現場性ではないかと僕の場合は思っているのですが、踊りの場で、現在この一瞬ということに強く集中すればするほど、不思議なことに、肉体なるものが遠い過去や未来と連なっていることが意識されてならないという経験が出てきたのです。
そのようなことを、今回の作品ではあらためて意識し直しています。
この春に出演した「天使館・ポスト舞踏公演(世田谷パブリックシアター3月)」ではソロシーンとアンサンブルシーンを踊り、本番は4回もやったのですが、その一回一回の変化が非常に大きく、踊りが変容する芸術であるという、ごく基本的なことを再認識しました。
天使館というのは、僕の師である笠井叡が設立し、舞踏の草創期から現在まで続いてきた場なのですが、そこで学んだ人が世代を超えて集まった舞台でした。思えば、この天使館での修行時代を経て、コラボレーションの継続からカンパニー活動への準備に向かっていた時期が何年かありましたが、方向を変えて、独舞に集中的に向き合いたいという考えが急激に強くなったのが2001年のことでした。
春は色んな方々と踊りましたし大きな劇場で観客席と舞台は明確に区別されていましたが、今回の新作公演の会場はアートギャラリーですから演者との境目が曖昧で、限られた方々の前で一人一人のお姿がハッキリと見える中で独りで踊りますので、対照的とも言えます。
一人一人が見えるなかで独り踊る。これは僕の中ではかなり大事なことで、演者と観客の接近、個人と個人の対峙としての場づくり、これは僕の公演活動のなかでは、独舞に集中し始めた時からスタートしたテーマでもあります。
独舞=ソロダンスの特徴は、肉体の微細な変化をも見つめることができること、同時に、1回1回がその場で消えてゆくこと、それゆえ再現が困難であることだと思います。そのような特徴を、なるべく演者と観客が接近した状況で味わってもらいたいと思って続けてきました。
生きている時間と共に、生きている生身の身体が踊る、すべては現在進行形。
本番まで1ヶ月を切りました。
どのような出来事が生まれるか、ドキドキしながら稽古を進めたく思っております。
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7月末開催の新作公演 チラシです。
都内の劇場やギャラリーなどで配布中。見かけましたら、ぜひ手にとってみてください。
※イープラスのアプリではダウンロードも可能です。
※メディア掲載や情報更新などはコチラ
新作公演2022
櫻井郁也ダンスソロ
『やがて、、、
(タトエバ切ラレタ髪ノ時間ト)』
SAKURAI IKUYA DANCE SOLO “WITH TIME"
2022年 7月30(土)〜31(日)開催
東京・六本木
ストライプハウスギャラリーB1
公演サイトopen↓
公演の基本情報、チケット予約、作品に関する声明や創作メモなど。
過去作の記録や写真も掲載しております。
ぜひご閲覧ください。
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おかげさまで、下記イベントは終了いたしました。
ご参加いただいた皆さま、関係者の皆さま、心より御礼を申し上げます。
さまざま、胸中をめぐっております。近日何か言葉にできればと思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
【出演情報】
6月26日(日)19:00〜21:00
トークライブ
『こころ・身体・魂のダンス』
~ ユング派心理療法 × 現代ダンス
会場=上智大学・四谷キャンパス
ナマ=定員〆切
オンラインでも聴けます。ぜひ!
〈オンライン予約〉https://ournature2.peatix.com/
対談:櫻井郁也氏(ダンサー・振付家)
猪股剛(ユング派分析家・帝塚山学院大学准教授)
西山葉子(臨床心理士・公認心理師、長谷川病院)
司会:長堀加奈子(上智大学)
コンテンポラリーダンス・舞踏分野のダンサーとユング派心理療法家二人とのTalk Live。他者と出会うこと、都市で生きることと自然、暴力や死(殺害)、即興や遊び、コンステレーション(布置)などをめぐるテーマについて。etc
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新作ダンス公演=チケット予約start
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開催日=2022年 7月30(土)〜31(日)
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7月末上演の新作、稽古中の写真です。
失われた時間が現在を、見つめているのではないか。
私の生を死者が、見つめているのではないか。
同時に、
まだ生まれていない時間や、まだ生まれていない存在もまた、
この現在、この私を、私たちを、見つめているのではないか。
そんなことを、
今回の作品を作りながら、たびたび思います。
思い返せば、子供の頃から、
私の時間に死者の時間が重なってゆくことを、
私の時間が未生の時間に連なってゆくであろうことを、
さまざまな機会に経験してきたのかもしれません。
奇妙な言い方かもしれませんが、
いまここの時間には不在の時間がどこかで結びついているのではないか、
と思えたりもします。
公演ステートメントに書いたようなことに加え、よりプライベートな事柄も含め、今回の作品は喪失と予感に繋がっているのかも知れないです。それともうひとつ、病や痛みや弱さや脆さや危うさを抱えながら、あるいは、それらを受け入れながら、ダンスとして作品として時空が成立するということ。そのようなことも最近は考え始めており、これはなかなか容易くないのも確かですが、必要なことではないかと感じています。
肉体はいつも時を数えています。
肉体は喜びや哀しみとともに時の経過を蓄積し、やがて時に満たされ、消えて行きます。
そのような当たり前のことも、今回の作品では改めて反芻しています。
本番まで1ヶ月半ほどですが、ここから稽古が山場に向かいます。大きく二転三転してゆくかもしれません。さて、どのようになってゆくか。今回の作品は、これまでとは少しちがった感触がし始めています。
また経過を書きたいと思っております。
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作風や踊り方が「変わってきた」という感覚を抱いたのは、2017年に上演した『夜』と題した作品からでした。体調も精神的にも調子が良くないのに何かを掴んだ感じがあり、これはどういうことかと感じた、あの本番から後、少しづつ僕のダンスは変わっている気がします。
イメージに身体を合わせてゆく感じから、身体とイメージが互いを侵食してゆくというか、創作したいものを実現するというより、出来上がってくるものを受け止めてゆくような感じに、ということかもしれませんが、とにかく、自分の思いとは別のところから作品が息づき始め、踊りが躍り始めてゆくような感じが、どこかあるように感じるようになったとも言えます。
それを今回の新作の稽古では、また顕著に感じており、自分なりに思い描いてきたダンスというものやパフォーミングアーツというものを見直すきっかけになっています。
きのう稽古した帰りに、ふと、ブータンの音楽家 Jigme Drukpaさんのことを思い出しました。
もう、かなり前なのですが、氏がテレビに出ていられたのを見まして、その発言のなかで「三つのS」すなわち「small,simple,slow」この三つが人間には大事なんだと思う、と言っておられたことを、なぜか思い出したのです。
ブータンにテレビとインターネットが入って子どもたちに急激な変化が起きたそうです。日本の僕らもそうだったのだと思うのだけれど、メディアは豊富な情報と引き換えに、人間と人間の関係から、そして街や村から、何かを奪うのかもしれません。ティンプーが東京みたいになる日は近いのだろうか、とか、ふと思わずにはいられなかったのも確かなのですが、氏の音楽や言葉は、明らかにそのような時の流れに抗い本来を問いかけようとするような心に根差しているように感じてならないのでした。
Drukpaさんは、伝承音楽と現代音楽の相互関係を活動している方という紹介があったのですが、氏の音楽からは音が皮膚に触れ、音と一緒に温度や湿度が毛穴から染み込んでくるような感じが強烈にあり、久しく出会っていなかった感情と柔らかさに、深く感じ入るものがありました。ブータンの風土や宗教性からくるものばかりでなく、もっと広い、僕らの歴史や生活の未来を見据えた父性とでも言うしか仕方がないような心性から発される感覚的なメッセージなのかなとも思いました。
ふと思いだしたのは、レグレッシブな態度、という言葉でした。プログレッシブ、つまり、前進前衛、という態度に対して、レグレッシブ、というのは、振り返ることや退行や解体や、場合によっては破綻をも視野に入れてなお古きを考えることによって「現在」の行動を見直そうとする態度なのではないか、と僕は考えて大切に思っています。
レグレッシブな芸術家というのは、現況ではあまり誉められないのでしょうが、僕は案外そのような態度も大切なのではないかと思いながら創作をしています。外に向かう表現でありながら、内省や傾聴でもある、ということかもしれないです。
未来には、前に進むばかりではなく、あえて一歩退いて現在を再構築する、ということにも意味があるのではないか、という態度が、ブータンのこの人の音楽に感じられます。掛け違えたボタンを外して、もう一度裸になること、という態度なのかもしれません。
前に前にどんどん進む、という段階から、いちど立ち止まってみる、という時期に僕らは入っているのではないかという気が、いま、します。コロナ禍のこの数年の停滞のなかで、それは正直たびたび思いました。停滞しながら、沈黙しながら、貧しくなりながら、どこかで「今まで」を反省している気がします。私は何者なのかと自身に問う。つまり、身の程を知ろうとする、というのでしょうか。それを踏まえた上でこれからの生活を構想するとき、三つのエス(S)、「small,simple,slow」というアイデアは、一つの道標を示している気がしてなりません。
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Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト
新作公演=2022年 7月30(土)〜31(日)開催。
ぜひご注目ください。
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