年末は各クラスそれぞれ踊り納め。その一回一回が、やはり印象深い時間だった。

12/28は今年の〆稽古で《オイリュトミー・クラス》関連記事の日だった。オイリュトミーはシュタイナー教育で有名だが、ダンサーにとっては聴覚と運動感覚を深く結びつけることをはじめ「踊る」ために有効な諸感覚の冴えを促す有効なトレーニングとなる。この日は、さまざまな音を聴きとり動き分ける稽古、そして、七惑星の力や特性を表す動きを紹介し体験していただいた。オイリュトミーのために考案された振りの中でもなかなか美しい動きで、のびやかに出来るようになるとかなり気持ち良い。これはエネルギー循環に関わる体験を重ねてゆく稽古とも言えるし、星の力というのは昔の人には音楽体験にも重なるものだったのだから、これは身体と何かを響き合わせてゆく想像力を育てることにも関わると僕は考える。こちらも

12/27の《踊り入門〜ほびっと村学校・舞踏クラス》関連記事では、18世紀の名女優アドリアナ・ルクブルールを巡る文章とベートーヴェンの弦楽ソナタを踊っていただいた。テキストや音楽を傾聴しながら、非常に丁寧に心境の変化や体の動きを体験していることが伝わってきて、同時に、ある種の鋭さと重みがしっかりと感じられた。ルクブルールは演技の自然さが凄くて評判をとったということになっているけれど、それは身体の感度とか、ある種の直感力が、役を呼び込むとか魂を変異させていたのではないかと僕は勝手に妄想していて、尼僧ヒルデガルトなんかとともに想像広がる人物のひとりだ。リアリティというのはどこからどのように訪れるのか、これはダンサーにとっても非常に重要なことだと思う。踊る体の体験を蓄積してゆくことは、リアリティの回路を開発してゆくことに近しいかもしれないと思うし、このクラスを行うときいつもそこを大事にしている。

遡って、先週12/23は《コンテンポラリー/舞踏クラス》関連記事の踊り納め。ピアノの生演奏を行いながらメンバーとのセッションをするインプロヴィゼーションの稽古日だったのだが、この一年のさまざまな踊りの発露や語り重ねた話題がときにフラッシュバックされるような瞬間が何度かあり、新たな年への気持ちが高まるような感覚があった。このクラスではこの日のように生演奏とセッションする日と楽曲研究の日とが交互なのだが、いつも踊りから誘発されて様々なお話をさせてもらっている。今年は踊りに対するコメントからふくらんで、土方さんやニジンスキーやバランシンのような先駆者についての話もかなりしたが、これは事前に計画した解説というよりは、その場その瞬間に生まれてくるクラスメンバーの即興ダンスが触発したのだから、一瞬一瞬の動きに対する思いは、ごく自然に瞬発的に、やはりダンスの根元への想像力を刺激したり歴史へのリスペクトなどにも繋がり結びついてゆくのだと思うし、これからもっと膨らんでゆく予感がする。

12/24は《創作/振付クラス》《からだづくり・基礎クラス関連記事の2クラスだったが、これはどちらもペースが大事なクラスなので、年末年始という雰囲気とは関係なく、あえて淡々と稽古と講義をして、一人一人とのコンタクトとさせていただいた。タイミングをみて、どんなことをやっているかについても少し掲載したいと思っているが、やはり、ダンスにおいて「作品創作」とか「振付をする・受ける」という行為と「からだづくり」「身体認識」という作業は、切り離すことが出来ない深い関係であるのは、ご想像の通り。作品を育てること、身体をケアして基礎的な力を育て保つこと、これは本当に継続そのものであり何か特別なトピックではなく毎回毎回そこに「いる」ということ自体が定点となるのだと僕は考えている。

さて、ここから。

新年の展開、また楽しみで仕方がない。

 

 

 

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冬の夜は光が際立ってきて、月も、やけに眩しく感じる。月下の人まで眩しく見える絵もあった。たしか応為だった。月も描かれてはいるが、その下に居る女性が、何やら光を吸って変異してゆく百合みたいに感じる。ちょっと前の月食の日にも思ったことだが、月のチカラは心を少し変えるみたいに思う。(あの日、駅前の人混みが異様にその場に停止して等しく月光に目を注ぐ有様を面白く見て、そのあと稽古だったが、集まった人は踊り、月を見て、また踊って、何だかとても良かった。)

月の諸相を眺めながら思い浮かぶことも考え及ぶことも、太陽の及ぼすそれとは明らかに違う。

反射光だからか、自ら輝く太陽とは全く別の温度感が、見えない針のように降り注いでくる。

月の魔力によって壊れてゆくピエロを歌った音楽があるが、あれはやはり良く分かる。半音階も太陽より月に似合う。月には人を「一人」つまり「身ひとつ」にするチカラがあるに違いない。

身ひとつ、になる時は私自身なるものからも少し遠ざかることができるかもしれない。そうすると何か知らないものがこの体に入ってくるかもしれない。

踊っていると、底が無いような沈黙に入り込んでゆくようなことがある。あれは、なんだろう。イマジネーションと沈黙と月の関係に、なんだか気が向いてく。

 

 

 

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時間のない場所、永遠の現在。

砂と肌が追いかけあうところ。

(人が作ったものにはわけがあるが、この、カラダとかいうやつは、人が作ったものではない。なぜこの世にあるのか、なぜ出来たのか、未だに解明されていないから、、、)

 (櫻井郁也創作ノートより引用)

 

 

 

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久々に読んだ本があった。一語一語が腹の底にどすんと落下してくるようで、こんなに強い言葉たちがこの一冊の中に封じられていたのかと溜息をついた。それらの言葉に、言葉の余韻に、身体を内部からひっくる返されるようでもあった。

変な言い方かもしれないけど、言葉のひとつひとつに体重があるのではないか、と、たまに思う。言葉は響きとともに空間を生み出すが、言葉には色彩や光や音が宿ってあり、それらが、その言葉の体重を生み出しているのではないかと思ったりもする。

言葉を巡って踊っているときは、言葉を受けとめたり、言葉に受けとめてもらったり、している。そんななかで、次第に言葉にも体重があるように感じるようになってきたのかもしれない。

音楽に身を揺すられるのもいいが、言葉と身体の関係には、また特別な感じがある。

初めて言葉を聴いたときの記憶や、初めて言葉を喋り得たときの記憶は、生きてるうちにどこかに消えたが、言葉を巡って踊っているときは、それらを思い出しているような感覚になることがある。

 

 

 

 

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稽古しているときの面白さのひとつに、身体と自我との関係にハサミを入れるという感覚がある。

踊りによってものごとの認識が少し変わってゆくという現象もある気がする。舞台稽古など極端な集中力が必要なものでは、稽古によって細胞が入れ替わっているのだろうかと勘違いをすることもある。

肉や血は祖先から繋がっているのは勿論だが、人体の大部分は自分以外のもので出来ているのだと思う。それが、踊っていると非常にハッキリしてくるのだ。

体が思うように動かせるように稽古するというのもあるのだが、こうしたいああしたいということが出来ても特に面白くなくて、むしろ、思うようには動かないということを感じとることから、色々な疑問や感触や面白さというものを味わうことが圧倒的に多い。

病気の声や怪我の声や年齢の声もあるし、食った物の声や読んだり聞いたりした言葉の声や、耳から忍び込んできた音楽の声や街の人々や物質の声が、ギシギシと肉体の奥から、何か自我に何か喧嘩を売ってくるみたいでもある。そのような内的闘争感というか調和が壊れる、そういうところから作品が生まれてくる感じが、やはり強い。

僕にとって身体というのは、矛盾みたいなもので、ちょっと怖い気もする。矛盾は現実の証なのではないか、というようなことをシモーヌ・ヴェーユは書いていたように覚えているが、僕はその言葉に若干頷く。

 

 

 

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