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冬の夜は光が際立ってきて、月も、やけに眩しく感じる。月下の人まで眩しく見える絵もあった。たしか応為だった。月も描かれてはいるが、その下に居る女性が、何やら光を吸って変異してゆく百合みたいに感じる。ちょっと前の月食の日にも思ったことだが、月のチカラは心を少し変えるみたいに思う。(あの日、駅前の人混みが異様にその場に停止して等しく月光に目を注ぐ有様を面白く見て、そのあと稽古だったが、集まった人は踊り、月を見て、また踊って、何だかとても良かった。)

月の諸相を眺めながら思い浮かぶことも考え及ぶことも、太陽の及ぼすそれとは明らかに違う。

反射光だからか、自ら輝く太陽とは全く別の温度感が、見えない針のように降り注いでくる。

月の魔力によって壊れてゆくピエロを歌った音楽があるが、あれはやはり良く分かる。半音階も太陽より月に似合う。月には人を「一人」つまり「身ひとつ」にするチカラがあるに違いない。

身ひとつ、になる時は私自身なるものからも少し遠ざかることができるかもしれない。そうすると何か知らないものがこの体に入ってくるかもしれない。

踊っていると、底が無いような沈黙に入り込んでゆくようなことがある。あれは、なんだろう。イマジネーションと沈黙と月の関係に、なんだか気が向いてく。

 

 

 

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時間のない場所、永遠の現在。

砂と肌が追いかけあうところ。

(人が作ったものにはわけがあるが、この、カラダとかいうやつは、人が作ったものではない。なぜこの世にあるのか、なぜ出来たのか、未だに解明されていないから、、、)

 (櫻井郁也創作ノートより引用)

 

 

 

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久々に読んだ本があった。一語一語が腹の底にどすんと落下してくるようで、こんなに強い言葉たちがこの一冊の中に封じられていたのかと溜息をついた。それらの言葉に、言葉の余韻に、身体を内部からひっくる返されるようでもあった。

変な言い方かもしれないけど、言葉のひとつひとつに体重があるのではないか、と、たまに思う。言葉は響きとともに空間を生み出すが、言葉には色彩や光や音が宿ってあり、それらが、その言葉の体重を生み出しているのではないかと思ったりもする。

言葉を巡って踊っているときは、言葉を受けとめたり、言葉に受けとめてもらったり、している。そんななかで、次第に言葉にも体重があるように感じるようになってきたのかもしれない。

音楽に身を揺すられるのもいいが、言葉と身体の関係には、また特別な感じがある。

初めて言葉を聴いたときの記憶や、初めて言葉を喋り得たときの記憶は、生きてるうちにどこかに消えたが、言葉を巡って踊っているときは、それらを思い出しているような感覚になることがある。

 

 

 

 

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稽古しているときの面白さのひとつに、身体と自我との関係にハサミを入れるという感覚がある。

踊りによってものごとの認識が少し変わってゆくという現象もある気がする。舞台稽古など極端な集中力が必要なものでは、稽古によって細胞が入れ替わっているのだろうかと勘違いをすることもある。

肉や血は祖先から繋がっているのは勿論だが、人体の大部分は自分以外のもので出来ているのだと思う。それが、踊っていると非常にハッキリしてくるのだ。

体が思うように動かせるように稽古するというのもあるのだが、こうしたいああしたいということが出来ても特に面白くなくて、むしろ、思うようには動かないということを感じとることから、色々な疑問や感触や面白さというものを味わうことが圧倒的に多い。

病気の声や怪我の声や年齢の声もあるし、食った物の声や読んだり聞いたりした言葉の声や、耳から忍び込んできた音楽の声や街の人々や物質の声が、ギシギシと肉体の奥から、何か自我に何か喧嘩を売ってくるみたいでもある。そのような内的闘争感というか調和が壊れる、そういうところから作品が生まれてくる感じが、やはり強い。

僕にとって身体というのは、矛盾みたいなもので、ちょっと怖い気もする。矛盾は現実の証なのではないか、というようなことをシモーヌ・ヴェーユは書いていたように覚えているが、僕はその言葉に若干頷く。

 

 

 

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肉体とともに、刻一刻と何かが盛衰しているのだろう。

形の無い生命かもしれない。

(櫻井郁也ダンスソロ『やがて、、、(タトエバ切ラレタ髪ノ時間ト)』創作ノートより)

 

前作反芻を進めつつ次への身体を探っていて、時折思い直すひとつがこれ。漠然とした言葉だが、これをメモしたときの感覚は比較的いまも新鮮だから次作にもどこかで繋がってゆくかもしれない。

似ているものの一つには、肉体の場所や時間に関わる認識があると思うが、これは観賞する場合にもたびたびあって共有しやすいかもしれない。

踊っているときでなくとも、別の肉体が踊っているのを眺めているときでも、ごくまれに、場所の認識や時間の感覚が変化することがあって、これはやはり印象に残る。

場面が見えてくるのは当たり前だが、それとは別に、何と言えばいいのか、代わりが無い場所、代わりが無い時間、とでも言うようなものが出現して、さまざまな物事に無常さとか名残惜しさを感じることがあるのだ。

視覚が捉えている物理は同じでも、その大事さが急速に変化するというのかしら。肉体がしっかり生かされていると、場所や時間も生きていることが、分かってくるのかもしれないし、それと共に、刻一刻の儚さが際立って体感されてくるのかもしれない。

かと思えば、ふと場所が消えたり、時間が停止したまま動かなくなってしまったように、感じることもある。特別な集中力が出た時に限ってだが、これは、深く真っ暗な所のような、少し怖しいような感覚でもある。

肉体が纏っている場所や時間が移ろいゆくような働きが、もしかすると、踊りにはあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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昨夜。

 

 

 

 

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