酔った。真っ赤で、キラキラしていた。なおかつ、真っ暗闇でもあった。

もういちど行くと力んでいた当日に豪雨、ゆえ断念したが、あべのハルカスでいまやっている絵金展は一度きりでも行っておいて良かった。(もう終わってしまうからメモっておこうかと、、、)

この人の絵を紹介して喜ばれたことは多いが、やはりあのグワッッとした感じが伝わるのだろうか。僕は、この人の絵には興奮がある、沸騰感覚があると思うのだ。

残酷と祝祭、虚実のゆらめき、血の騒乱。ココロが火傷をしそうだ。熱で網膜がやられてしまいそうだ。

奇妙な比較かもしれないが、僕の好みではカラバッジョなんかと並んでしまうほどクラクラするのが、この弘瀬金蔵という人の絵なのである。いい美術には、どこか超知性というか、知性をぐらつかせるような肉感やアナキズム感があるように思えてならないのだが、この人の絵はその典型と言ってもおかしくないと思う。

何かを作る力は同時に壊す力をも内包している。とすれば、変な言い方になるが、壊す力で作りあげられたのが、この人の絵ということなのかも知れない。まあ、こういうチカラというか狂イを現代のもので感じたことは未だない。

どんなことを考えていてもキマジメな感性ではこれは描けないのではないか、とか、本当の真面目さがなければこれは描けないのではないか、とか、これは、はみ出す力がそのまま絵になっているのではないか、とか、まあ色々思う。目の前の作品を見ながら、ここにはもう居ない彼方の人となった作者の人間について、思いや妄想が拡大してゆく。

情がこびりついている。絵というのは現実よりもはるかに生々しい、そう思えてくる。想像力と創造力を通したときにこそ眼に見え胸に迫ってくるもの、それが目の前にある感じがして、ちょっと汗ばんでくる。

天王寺あたりのあの空気感のなかでこの画群に接することができたのもなかなか良かったが、やはり土佐まで行って見たくなる。気持ちが、四国の夜祭りに向かってゆく。

日本は美に恵まれているが、なかでも独特と言えるひとつが絵金の画業で、これは異界の窓なのではないかと思うのだった。

 

 

 

 

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コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

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紫陽花に吸い込まれる。

吸い込まれながら色や音を浴びているような気がする。

静かな高揚感もあるし、

溜息が聴こえてくるみたいでもある。

 

 

 

 

 

 

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photo=private rehearsal (Sakurai Ikuya)

 

 

 

 

 

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いま進めている新作と直接の関係が起こるかどうかはまるでわからないが、ひとり稽古のなかで、尊敬するひとの小説を少し踊った。そしてその柔らかな響きと、その奥にあるシンとした涼しさをあらためて愉しんだ。

このひとの言葉にだいぶ長く親しんできたが、踊ることで少しでも読み進めようとすると、目で読んでもわからないことが、やはり味わえる。覚え呟くだけでも目読とは違ってくる。記憶し、声にだし、さらに踊る、となるともっと違ってくる。言葉というものは、やはり分厚い。そう思う。

言葉を考える、言葉を書く、言う、話す、語る。それぞれ言葉の味わいが違う。

自分自身のことでも、レッスンで出せる言葉と、このブログに直接書き込む言葉と、ひとりつけているノートに書く言葉と、ひとり稽古のなかで出てくる言葉と、それぞれやはり違う次元が広がっている。やはり言葉というものには、手によってこそ活かされてゆく側面や、息によってこそ活かされてゆく側面が、それぞれあるのだろうか。

書かれた言葉を目で読むのではなく声に出して読んでいるだけでも言葉の相は変わってゆくし、誰かが読んでくれたりすると、さらに言葉は広く深くなってゆく。

肉体の奥に隠されている言葉や、魂の内海にあそぶ言葉のない言葉をも、となれば、もっと広がってゆく。それぞれの次元の差異は、振り返ってみると非常に面白い。広がりの彼方に、深まりの底なき底に、何があるのか。

そういうことに敏感になったのは、やはり現代ダンスと並行してオイリュトミーをやってきたからなのかしらと、たまに思う。

オイリュトミーはきちんと聴くということから始まる舞踊だ。言語の音声や音楽の楽音をエネルギーと捉え、法則性を持った全身運動で可視化する。踊る、ということと、聴く、ということ、そして解析する、ということが、結び付き、アウフヘーベンされて、時空に刻印されてゆく。ひたすら聴くことから、感受してゆくことから、生まれてくるモーションやタイムやスペースがあるのだ。

自分の気持ちを他人に表すためのメソッドではなく、他人の気持ちを聴きとり味わおうとするためのメソッド、それを基盤に表象され変化変容してゆこうとする踊り。このオイリュトミー(Eu+Rhythmos/ῥυθμός)なるものを起草したR.シュタイナーは認識についての考えを極めた人だが、認識は革命に通じてゆくのかと連想させられるような凄みを、その思想はもっている。関わりつつ、世界の革命を謳う前に自己自身を革命すべきではないか、己の世界をこそ変え続け刷新してゆこうとすべきではないか、という思いも湧いた。シュタイナーの感性をまるごと反映しているのがこの舞踊方法と僕は思い、ダンスと並行してオイリュトミーを稽古し続けてきた。そしてこの踊りを通じて様々な人と出会った。もう40年経つから、僕のダンス作品ダンス公演ダンスレッスンにも、少しくらいは影響し始めていると嬉しいが、、、。

踊ることによって何かを主張するのではなく、踊ることによって何かを受容し理解しようとする。表現のための踊りでなく、受容のための踊り。これは非常に未来的な気がしてきたのである。幾分ヘーゲルくさいかもしれないが、相互受容への道筋を探る行為として踊りというものが古来あったのではないかなあと思うことも、あった。

心も体も澄まして言葉や音楽に触れそして揺振し、響きを心身の奥深くまで入れてゆこうとする。

踊りによって自己の内面を表出するだけではなく、踊ることによって他者が発する響きに参入し理解しようとする。響きの受容によって「ひと」を全身全霊で想像し認識しようとしてゆく。

未来において最も深刻に要請されるのは理解や認識であるのではないかという予感を、この踊りは孕んでいる。僕はそう思う。

自分を表現することも大切なのだが、自分の外のどこかに表れている何かを積極的に汲み取ろうとしたり、他者の声を積極的に感じ取ろうとしたりすることが、もっと大事になってくる未来というものが「やがて来る」という予感を僕はこの踊りを稽古するたび、抱く。抱きながら踊り、踊りながら、私たちの未来は理解をめぐる時代になるのではないか、ならざるを得ないのでは、、、、など、妄想する。

 

 

 

 

 

 

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せっかく大阪に行ったので天王寺の絵金展を再見するつもりが大変な大雨になり、

新幹線が動かないというから帰京を一夜延ばしたが朝晴れてなお動かないという事態になり、

待つうちついに夜となり、

途方にくれくたびれたが久々に苦労して家に辿り着いたこの経験は、

久々にほっとするという経験でもあったのだろうと思っている。

 

 

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ドクダミの花が咲く瞬間は、

僕にとって毎年の楽しみのなかでもピカイチで、

とても小さなこの花から、

なんとも言えない眩しさを、今年もまた、感じている。

この可憐な白い光は、雨の季節を前に、

眼を下におろして、地に落ち着かせて、

いま、このここに、居る、

ということを寿いでくれているみたいに、思う。

 

 

 

 

 

 

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写真は、過去作のなかで未だに気になっていて今後またどこかで関連作が生まれる可能性を探しているものの一つで、『死の舞踏』というタイトルをつけた作品の1シーンである。

死の舞踏という言葉は、たとえば、ホルバインの絵などで知られているかもしれないが、中世ヨーロッパのペスト禍を背景にした一種のヒステリックダンスの流行を想像しつつ創作した一景とも言えるが、別の言い方をすれば、疫病流行のイマジネーションをモチーフとして「踊りという何か」が私と肉体との関係性を解体してゆくプロセスを妄想した一景とも言えると思う。

昔のパンデミック記録からヒントを得たこの作品を上演したすぐあとに、当時は全く想定外だったコロナ禍を自ら経験し、こんなに長く生活に影響することになるとは、まあ、皮肉な偶然だった。

写っているのは演舞中の足で、よく見ると文字が書かれているのがわかると思う。これは、演劇とペストについて論じたフランスの俳優アントナン・アルトーの言葉を、この作品のパートナーであった美術家が出番寸前の僕の足に、痛いような強さの筆勢で書き留めたのだった。

たぶんアルトーが信用していたのも伝達の力というよりは伝染の力なのではないかという感じが僕にはあって、それは演劇に限らず社会変動にも通じるし、個の内的革命にも関係すると思っていた。それから、僕は踊りを内面の入れ替えから始まるものなのではないかと思っていて、そのことを、この作品では少し掘り下げようとしていたから、これはちょうど良かった。

まあ、これは詩人に足を噛まれたような、あるいは、催眠術みたいな効果も期待できるのだろうから、ダンスに対する僕の考えの中でも、魂の流入や憑依の問題についての考えを少し汲み取ってくれたのかもしれない。

この作品の美術家というのはルクセンブルクの人とベルギーの人の二人組だったが、どちらも僕は言葉がうまく通じなくて、そのぶん感じあうことや察しあうことが軸になっていたのが良い思い出になっている。その中で、この書く書かれる関係とか、演者の皮膚に言葉を目盛って託しておくというのは、なかなか良いアイデアだねと思って仲良くなった。

作品の力がうまく働いてくれたら、そこにある体も、その体の心も、外から内から揺さぶられ思わずともオドルという出来事へとシフトすることがある。踊り踊らされ、振りまわされる。そして何かが少し変わる。思いがけない何かが成立する。そのような奇妙な期待を彼らと一緒にしていたかもしれない。

踊る前と踊った後では、明らかに世界が変わって見える。そうでなかったら、踊りが浅いというか、踊ろうとして動いているという域に未だ居着いているのだろう。自分の内界に何かが差し込んで波風を立て振り回されル、これは乳海攪拌みたいなことかもしれない。

宇宙は時々振られねばならない、というのは何度かお話を伺っていたI先生の本にあった言葉だが、いい言葉だなぁと感心していた。最近なんだかその感覚が腑に落ちる。揺さぶらなければ宇宙は固まり錆びてしまうかもしれないし、揺さぶられ動揺するかぎりは宇宙というものは生まれ変わってゆくに違いない。世の中に宇宙というのは沢山あるのかもしれないが、これはどんな宇宙にも当てはまるのではないかと思えてならない。

 

 

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あらためて衝撃的だった、というのは変な言葉使いかもしれないが、ついそんな風に言ってしまうほど感情が高まったのが、土門拳の写真展だった。恵比寿の東京都写真美術館がやった「古寺巡礼展」である。

僕は奈良に生まれ育ったから、この人の写真は幼児より何度も見たし、そこに写されている仏サンや仏閣の柱も屋根も毎日の暮らしで接していたから非常に身近で、匂いまで思い出す。そしてあの後ろの方に限りなく開かれた暗闇も、季節や空気と同じような重さで身体に入っている。けれど、それでも、あらためてイマこの歳になってこの東京で一気にあの写真群と土門拳の言葉に改めて触って、ゾゾっとするほどの電流が眼から全身に流れ込んだのは、想定外だった。

あの写真群を直接目の当たりにするのだから、土門拳の凝視の凄まじい力が伝わってくるのはもちろんだし、彼が凝視した被写体の奥に鳴り響く無音の音楽が聴こえてきて悩ましいような心理空間が生まれてくるのだ。さらに、添えられた土門自身の言葉が実に鮮烈で、僕の胸の最深部に混濁しているものを、突き刺し、かき回す。また、徹底的な凝視の果ての一撃たるシャッター音を想像すると、これはもう背筋がシャキッとする。つまり、全身で感情したのだ。

ふと、いま私たちには私たち自身の魂の根を知るべき時が来ているのでは、と思うことがある。そんな個人的な時代感にも重なり、いまこのタイミングで、この展示が計画されたこと自体が、実に面白いとも思った。

 

 

 

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photo=private rehearsal

 

 

 

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