終戦から81年となった今年、戦争の記憶が風化しないようにということも含めて、太平洋戦争とは何だったのか、何ゆえにあの戦争が強引に進められていったのか、そんなことを再検証する番組も多かった。それは、我々人類が、二度とあのような間違いを起こさないようにという思いもあるからであろう。
この『開戦前夜』(石井裕也監督・脚本/原作=猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」)もまた、そんな作品の一つである。そして、戦後10年以上を経てこの世に生を受けた我々世代も、もはや社会の現役世代ではなくなって来てもいる時代の中で、果たしてどう戦争を捉えるのかということも、再認識しておかないといけないのだろうなとも思っている。
近年、中国やロシアでの対日感情の問題も含めて、かつてないほどの緊張感があるようにも感じられる。そんな今だからこそ、改めて戦争へ進んでいってしまったあの時代を検証していく必要もあるのだろうとも思える。
1941(昭和16)年4月、日本が真珠湾攻撃を仕掛けることになる8か月前。当時の日本中の頭脳というか、エリートたちが官僚や軍人、民間企業などから選りすぐって集められたのが「総力戦研究所」だった。そして、そんな頭脳を結集して議論を重ねられた。
そこで導き出されたシミュレーションの結果として、アメリカと戦争をしたら圧倒的な敗戦になるというものだった。つまり、戦う前から、日本の敗戦は見えていたということである。しかし、それなのになぜ、日本は無謀な戦いを挑んでしまったのだろうか。どうして日本は日米戦争突入を止められなかったのだろうか。
そのことを改めて検証していく映画でもあるといえようか。経済、軍力、資源などあらゆる角度から国力を検討していき、シミュレーションしていって、1年後、2年後、そして長期戦になっちたら、その損失は多大なものになるということも計算されていた。つまり、まったく勝てない戦争という結論を導き出していたにもかかわらず、どうして日本は戦争という渦中に突入していってしまったのだろうか。

原爆投下以外のほぼすべてを的中させていた彼らの見解は、やはり当時のエリートの頭脳にふさわしいものだったのであろう。だけど、その考えは採用されることはなく日本は勝ち目のない戦いへと突き進んでいくことになったのだ。それは一体なぜなのか?
結局は、当時の日本の中で作り上げられていった「米国、憎し」という空気。それが、戦争へ向かわせてしまったのだろうか。そんな世論が作り上げられていったのは、どうしてなのか。必ずしも軍の上層部が対米戦争を推進していったものでもなかった。むしろ、国力を冷静に比較していけば、日本に勝ち目のないことは自明の理でもあったのだ。それなのに何故、無謀にも日本は米国と戦うことにってしまったのか。
この戦いは危ういものだということが分かっていながらも、どうして止めることができなかったのかということも、考えさせられた。この若き頭脳の疑似内閣のシミュレーションが討議を重ねていく中で、その世論というか、止めようのない空気を感じさせられていくのだ。
実は、陸軍大臣から総理大臣に祀り上げられた東條英機にしても、冷静な判断で、勝ち目のないことは分かっていたのだろう。だけど、交戦へ向かわざるを得なかった「空気」の正体とは何だったのか…。そんなことも、思わされた。
そしてそれは、80年以上も経過した今、地球上もいささかキナ臭い空気が流れつつある中で、SNSといえかつてなかったメディアの普及によって、より世論が動かされやすい時代にもなっている。だからこそ、今、みんなが改めて、81年前の日本国の失敗を、もう一度学習し直さなくてはいけないのだとも思う。
そのためにも、今のこの時代に、この作品が公開されたのではないかということもしみじみと感じた。平和の有難さと幸せを甘受しつつも、改めて平和であるとはどういうことなのか、ということも考えさせられる作品でもあった。


