映画の根っこにある絶対的なテーマとしては"家族″だということは、常々ボクが思っていることである。それを真っ向から描いていったのかなという印象の🎥映画が『メモリィズ』(坂西未郁監督・脚本)だった。
義父が一人で営んでいる小さな写真館の手伝いをするために、妻と子どもを東京においたまま九州大分県の片田舎町にやってきた主人公が柄本佑。義父が足を骨折してしまい、思うように動けなくなったので運転手や撮影助手みたいなこともやっているのだ。その義父がイッセー尾形だ。
彼の仕事としては、犬の散歩もあるけれども、その途上で目にした景色などもスマホで抑えていっている。このあたりは、今の時代らしいシチュエーションでもある。また、昼食は、二人が向かい合って弁当などですますのだけれども、取り立てて会話をするというでもない。けれども、決して二人の関係は悪いものではないということは感じさせてくれる。その弁当をある日、皿に盛り直してみることで、「おっ、これいいねぇ」と、義父が喜ぶ。
それも他愛ないちょっとした出来事でしかない。そういうことを繰り返しながら、小学校の卒業アルバム用の写真を撮りに行ったのする仕事もあるようだ。たまに現像を依頼する客も来るが、そんなに多忙というワケではない。まぁ、田舎町の小さな写真館だから、当然ではあるのだけれども…。
妻は東京下町で、中国人などの観光ガイドをやっているので、なかなか忙しいようでもある。だから、日々に起きたことを、お互いにスマホ映像などを通じて、伝えあっていくのが日常となっている。まさに、それこそが「メモリィ」ということなのかもしれない。
そうして伝え合うことで、お互いを確認しあているということなのだろうけれども、それとて他愛ないことである。田舎町での何の変化もない日々と、都会で賑やかでいろんなことがありそうなところを対比して映し出している映像も印象的だった。
写真館の仕事としては自分は会ったこともない人が亡くなって、その遺影を届けることになって、そこで、その人の生きてきた人生をうっすらと感じていくのだ。それも、刺激になるとかそういうことではないのだけれども、その思いを妻に電話して伝えてみたりする。だから、何が起きるということでもないし何かの変化があるということでもない。
そんなことを繰り返していくうちに、やがて義父の骨折も直ってきたのか、松葉杖をしなくてよくなる。そして、自分の妻でもある義父の娘が娘も連れてやってくる。そこで過ごす時間も、野焼きを見たりはするけれども、取り立てて刺激のあることをするでもない。
我々の日々の日常でも、いつも何が起きるというワケではない。だけど、何も起きないけれども、時間が流れていき、微妙な変化や思いの変化があるものだ。それこそが、平凡な日常である。そんな所をじっくりと描いていっていたということであろうか。
映画とは、スクリーンの中の世界に非日常を求めていき、普段の生活では経験しえないようなことを疑似体験として味わうことが多い。観ている側は、それで刺激やカタルシスを味わうものだとしたら、この作品は、その逆を行っていると言ってもいいのかもしれない。
だけど、そんなスクリーンも悪くはないのかななんて言うこともじんわりと思っていた。
ところで、この義父役を柄本明という本当の親子でやっても面白かったのかなぁなんて思ってしまったのだろうけどどうだろうか。むしろ、イッセー尾形の淡々とした姿が二人の関係性を示していくには、上手くハマっていたのだろうか。



