この夏は、格別暑い日々が続いている。そうした中で夏の高校野球も無事に終了した。何とか各地の夏祭りも開催されている。こうした日々の日常があるということはやはり尊いことだと思う。我々にとって忘れてはいけないのは、つい5年前、新型コロナの大流行で、こうしたあらゆる日常が中止になってしまったという現実があったということである。
その5年前に、ボクは何を思い何を感じていたのかということを過去のブログを引っ張り出して見てみた。思ったよりも、いいことを言っているなと思って、今、改めて公表したいと思った。
「特別の夏となった2020,年・令和2年の夏。予定されていた第102回全国高校野球選手権大会は地方大会も含めて中止となってしまった。その発表があったのが5月20日。その約1カ月前にインターハイ(全国高校総合体育大会)の中止が発表されていただけに、その可能性は高いかなとは思われていた。
ただ、中止が発表されても、全国各地の高野連関係者は、東京都や愛知県、岡山県などはいち早く対応し、夏の代替大会の独自開催を発表。それに追随するかのように、各地でそれぞれの判断で開催が発表された。一旦は開催しないことを発表した福岡県も、4地区大会止まりではあったものの、代替大会を開催することとなった。結果的には、全国で代替大会を開催することが出来た。
コロナウイルスの感染状況などを考慮しながらということもあって、8月になって開催した埼玉県や千葉県、神奈川県などでは、8月半ばも大会は開催されている。また、甲子園では、1試合限定だけれども、選抜出場が決定していた32校によって交流試合も開催されている。
あくまで、今年は変則という形ではあり、しかも7月は雨続きという、今度は天候との戦いということもあった。だけど、夏になってやはり高校野球があるということは、日本の社会現象としても文化という観点から見ても、それは大事なことだと思っている。ボクは、東京都や愛知県や静岡県、千葉県などの大会には取材で窺わせていただいていたけれども、限られた条件ながらも、見守る保護者たちの熱い思いも感じられた。
(中略)
そして先日、ボクにとっては大学の先輩にもあたる専大松戸のベテラン持丸修一監督と取材を兼ねてお話しさせていただいた。その言葉が身に染みた。
「オレも、時間があるときは、東京都など各地区の試合テレビで見たりしていたけれども、何処もいい試合するね。大人たちが思っている以上に、今の高校生っていうのは、ほんとにしっかりしているよね。だけど、指導者として、大会があってチームとして勝ちたい、勝たせたいと思ったら、やっぱり叱ったりもしなくてはいけないこともあるんだよ。正直、指導者としては今年は辛いと思ったよ。だけど、生徒たちは本当に一生懸命にきちんとやっているよ。応えてくれているよね。却って大人が教えられたことも多かったんじゃないかな」
そんな言葉が、ボクにも、重く強く、心にしみた。そしてメディアのはしくれに関わる人間としては、「いろんなことを言うヤツがいたけれども、やっぱりこの大会、開催してよかったんじゃないだろうか」ということは、つくづく思っていた。
そんなことを思っていたら、不覚にも、涙がこぼれそうにもなってしまった。
やっぱり、高校野球って、いろんな人に、いろんな思いを与えてくれる、素晴らしい日本の文化なんだなぁということも、再度認識した。そんな、高校野球に対して、端くれとしても関わっていられる自分の立ち位置を嬉しく思うと同時に、本当にしっかりと思いを伝えていかないといけないなぁということを思った2020年の夏ということを再認識した。還暦を超えてなおなお齢重ねつつも、「我、木鶏に至らず」。学ぶことだらけである。」
これを書いたのが、5年前になるけれども、そこから5年、齢を重ねたボク自身も、前期高齢者となって、岡山の娘から孫の水泳の頑張りなんかを知らされて嬉しいなと思うようにもなっている。だけど、元気である限り、求められる限りは、現場に足を運ぶことは怠ってはいけないと思っている。
高校野球を伝えるということは、文化の伝承であるという思いは変わっていない。




