共鳴できる部分も多かった映画『九十歳。何がめでたい』 | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 佐藤愛子のエッセイを原作とした映画🎥『九十歳。何がめでたい』(前田哲・監督/大島里美、・脚本)である。こう見えても、小学生~中学、高校にかけて文学少年というか読書好きでもあったボクにとって、佐藤愛子は田辺聖子と並んで好きな女流作家だった。それぞれの家族個人のあり方と、中高年の老いらくの恋みたいなことを描いた『天気晴朗なれど』なんかは、とても痛快で面白いと思った。『戦いすんで日が暮れて』や『赤い夕日に照らされて』などと言ったタイトルの作品も多い。このあたりは、さすがに佐藤紅緑の娘でもあるといったところか。

 佐藤愛子は美人作家ということでも有名だが、そのキリっとした顔から発せられる歯に衣着せぬ物言いは、おっとりした関西弁でのんびりと話す庶民的な雰囲気の田邊聖子と対照的でもあった。ボクとしては、この2人に瀬戸内晴美を加えて、当時の3大女流作家かなと思っているのだけれども…。そして、この3人を掛け合わせてシャッフルして3で割った形が林真理子かなあと思っている。まあ、そんなイメージだ。

 閑話休題、この映画の話。断筆宣言をした佐藤愛子本人がモデルで、それを90歳の現役女優草笛光子が演じる。草笛光子は前田哲監督の『老後の資金がありません』でも、浪費癖のある厄介な婆さんを演じて痛快だった。

 その佐藤愛子に、どうしても執筆を頼みたいと依頼に来るのが、社内ではパワハラで左遷されているベテラン編集者吉川で、これを唐沢寿明が演じる。かつてのイケメン俳優でもあるのだが「今やオレより少し若いかなと思っていた編集者も、こんな感じで左遷されたり退職しとるのかもしれんなぁ」と思わせてくれるに十分な雰囲気だった。

 そして、何とか大御所を口説き落として刊行した本が大ヒットする。もっとも「こんな本、売れてたまるか」なんて意地を張る佐藤愛子も、さもありなんという感じかな…とも思わせてくれた。

 そして随所に、一見便利そうで実はワシら中高年にとっては不便でしょうがなくなった世の中の今の現象を示していて、それも共鳴する部分は多かった。何でもかんでもスマホ依存の世の中。ボタン一つで便利なように見えて、いちいちパスワードだとかPINコードだとかIDだとかを聞いてきて、それがわけわからんようになってくる。オレ自身、ついこの間それに振り回されたところでもあったので、余計に「そうだわね」と思ってしまった。

 人生100年時代なんて言われるようになってきたけれども、そうなるとオレもまだ30年以上生きないかんということになる。長く生きとれば身体のあちこちにガタもくるし、脳みそも多少は(かなり…か)劣化していくだろう。まあ、そんなことを気にせずに8月8日生まれのオレは、88歳を最終目標にして「めでたくもあり、めでたくもなし」と言いながら少しでも長生きしていこうかなと思っている。